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山の上ホテルに捧ぐ

 商売というのは領分が決まっているから信頼を得るものであって、もっとも総合商社などという海のものとも山のものともつかない得体の知れない商売もあるけれども、だから客の方でも、林檎が欲しければ八百屋へ行くし、鯵が食べたければ魚屋へ行く。そして、それらが店子になっているのがショッピングモールで、街に一つでも出来れば、周りの商店街は軒並み店を閉め始める。もっとも、ここではそんな都市経済論を語るつもりはなくて、仮にヒトが旅先ないし出張先で、その日の宿として選ぶのがホテルであって、客の方はホテルを泊まる為の場所と認識しているし、実際、ホテルが営業する為には、「旅館業法」に従って、その第二条には「宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業」と定義されている。だから当然、ヒトは泊まるつもりが無ければホテルを訪れることはなくて、林檎が欲しいと思っている向きが出掛ける場所ではない。前置きが長くなったけれども、言いたいのは、そういう先入観に囚われていては、ホテルの魅力の十に一つも判らなくて、ホテルという商売は、実は総合商社並みに、何でも(と言って良いくらい)快く叶えてくれる所でもある。

 前に、一流ホテルというのは、宿泊客でなくとも丁寧にもてなしてくれるものである、と書いたことがあったけれども、本当にその通りで、大きなホテルになれば、表向きの、つまりはメニューに載っているサービスだけでも、食事と言わず、クリーニングであったり、靴磨きであったり、最近ではリラクゼーションを売りにして、スパとかジムとか、健康増進にも役立てられて、客室の稼働状況次第では、デイユースといって、泊まらずとも部屋を使わせてくれることがある。だから、宿泊客ともなれば、言わずもがなで、これは極端な話になるけれども、パリの一流ホテルに残る伝説の一つに、さる宿泊客がフィレンツェに忘れ物をしたから届けて欲しいと要望し、コンシェルジュが八方手を尽くして探し出し、実際、フィレンツェまで飛んで忘れ物を取り戻して来たと言われている。それだけでなくて、国は忘れたけれども、ヨーロッパのあるホテルでは、泊まっていた富豪が、何を思い付いたか、象が欲しいと言い出して、これもまたコンシェルジュが、野生なのか、飼育なのか、本当に象を調達して、その我儘な富豪を悦ばせたという話も聞いたことがある。事ほど左様に、ホテルという商売は、もてなしのプロであって、とりわけコンシェルジュやレセプショニスト(フロントというのは和製英語である)は、客が、言ったように宿泊していない向きも含めての客が、何を求め、自分はどうすればそれに応えられるか、を常に考え、客の悦びを己の悦びとして任に就いてくれている。だから、これほど頼もしい相談相手もないのであって、あたかも『聖書』の一節「求めよ、さらば与えられん」の域に達している。

 以前、仕事で遅くなって終電も無くなり、深夜の二時に泊まれる場所を探したことがあって、たまたま職場から近かった山の上ホテルに連絡してみたところ、二つ返事で引き受けて頂いた。車寄せに乗り付けたタクシーを、真夜中だと言うのに、ドアマンとレセプショニストの二人が礼儀正しく待っていてくれて、いくら二十四時間営業しているホテルといえども、常連でも無いのに、丑三つ時という非常識な時間に、チェックインさせてくれた心意気には、かねてよりアットホームを売りにしているとは聞いていた山の上ホテルの魅力を、身をもって体験することが出来た夜だった。その日は、ほんの四時間ほどしか床に就くことは出来なかったけれど、翌朝に下のてんぷら屋で口にした和定食は殊のほか旨くて、それは一泊させてくれた恩義から言うのではなく、寝不足というコンディションであったにも関わらず、名物のちりめん山椒を振り掛けた白米などは天下一品、温かい味噌汁共々、お代わりまでしたことを覚えている。それからと言うもの、すっかり山の上ホテルの虜になって、パーラー「ヒルトップ」のババロアを愉しみ、夜は夜で、小さなバー「のんのん」の洋酒を友とした。

 その山の上ホテルが、休業している。築八十余年という本館の老朽化を憂えての決断らしく、改修するとも、建て替えるとも、アナウンスは無く、残念ながら再開の見通しは立っていない。出版の聖地、神保町にほど近いという立地から文士の宿として名高く、数多の作家が「缶詰」と称して、編集担当に監禁(!)され、脱稿まで解放されなかったという逸話を持つホテルである。一体、山の上ホテルが無くなって、文士は締切に間に合うのだろうか、などという心配はどうでも良くて、作家と言わず、このホテルの世話になり、このホテルを愛した顧客は数知れない。休業を告知した日から、実際に休業した二月の半ばまで、年来の愛好者によって予約はたちまち埋まってしまったと言う。それぞれの想い出を胸に、再開を願う声はやまないはずで、味気ないビジネスホテルでもなく、一泊十万円もするような三ツ星ホテルでもない、それは一種形容し難い山の上ホテル独自の立ち位置、世界を創り上げて、眼の行き届いた規模感と、徹底したホスピタリティは、「宿」というよりも「家」と呼んだ方が相応しい存在であったのかも知れない。その家を、再び暖かい灯が照らし、あのラウンジのライティング・ビュローで一筆したためることが出来るようになる日はまた訪れるのだろうか。今はただ、年来のもてなしに心から感謝の気持ちを捧げると共に、労いの言葉を贈りたい。山の上ホテル、ありがとう。

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