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幼稚園で娘に平手打ち

うちの娘は「いつも通り」にこだわります。いつも通りの服装。いつも通りの食事。いつも通りの番組。何かが少しでもいつもと違うと、もう許せません。普段は、本人の気がすむようにさせていますが、そうはいかないときがあります。先日、とうとうその「地雷」を踏んでしまいました…

先日、幼稚園に娘を迎えに行きました。いつもより2時間ほど延長して預かってもらった上に、いつもの母の代わりに父の私が迎えに行ったもんだから、もう大変。

ギャンギャン泣き叫ぶ。キーッと奇声をあげる。からだがオコリにかかったように震える。平手で顔をひっぱたいてくる。メガネが吹っ飛ぶ。

お母さんが来てほしい!お父さんは幼稚園に来ないで!

幼稚園の先生方の前でメンツ丸つぶれ… むりやりかかえて帰宅しました。

もう、なすすべがありません。玄関先で、気がすむまで泣かせました。それからしばらくして、やむにやまれず、私のしたくなかったことをすることにしました。それは…

1. 主導権が私にあることを示す
2. 条件を提示して取り引きする

まず、泣き止みなさい。それから、幼稚園の荷物をすべて玄関に置きなさい。それができるなら、一緒にお母さんを迎えに行ってもいいよ。

徐々に気持ちが落ち着いてきて、しゃくりあげる声も小さくなります。そして、自分からリュックと水筒を置いて、ダッコをせがんできました。

その後は、信じられないほど「いい子」でした。家の近くの交差点で、信号や車の往来を楽しく見ていたら、そのうちにお母さんが帰ってきました。道端で感動の抱擁…

そのときにわかったんです。私が育児から逃げていたことを。

誰だって、子供にああしろ!こうしろ!あれはするな!これはするな!と言いたくはないものです。子供は「子分」じゃない。でも、誰かが言わなければ、朝は起きられなくて幼稚園に遅刻する。お菓子ばっかりで夕飯が食べられない。急に飛び出して車にひかれそうになる… そうした「いやな役目」をすべて母(妻)任せにして、きれいごとではすまされない「育児」から逃げていたのではないか…

それは、娘との関係づくりから逃げていた、とも言えます。

親子は「親分子分」ではありません。ですから、これまで命令口調は控えてきました。何かしてほしいことがあったら… 

1. やさしいことばで、するようにお願いする
2. してくれたら、感謝する

すると、気がつけば「母親分」を頂点にして子分が二人、のような家族関係になっていました。

お父さん、お母さんと話すの禁止!

そんなときは、たいてい妻と大人の話をしています。娘にとって父は対等で、大好きなお母さんを取り合いする「ライバル」なのです。私は、それでもいいだろうと思っていました。父親の威厳なんて時代じゃないだろうと…

でも、それじゃ、ダメだったのです。親子や家族の関係(倫理)を維持するためには、「力関係(政治)」や「利害関係(経済)」が必要になる場合がある。「善い関係」ばかり目指して、「悪い関係」に手を染めないでいると、その「善い関係」ですら保たれなくなる…

「子育て参加」だの「イクメン」だのと、お上からわざわざ言われなくたって、子育ては父母(男女)の共同作業だと思います。その意欲があったところで、親子の関係づくりはむずかしい。そう、思い知らされました。

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