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表現の自由は地球上にあるのか

NYは世界のどんな場所よりも自由な表現が許される場所だと思っていた。

個人的には自分の制作物に対して、表現における不自由を感じることはなかったが、この前それを揺るがす出来事があった。

私は、NYFA(New York Foundation for the Arts)という団体が主催している移民アーティストのプログラムに参加している。それは移民アーティストの支援、コミュニティ構築のために結構長い間続いているプログラム。NY在住のまだ経歴の浅い移民アーティストがサバイヴしていくために先輩移民アーティストのメンターから色々教わるという趣旨のもの。プログラムの後半にはメンバー全員で参加するはずのグループ展があった。

そこで、
メンバーの1人が展示に参加することを拒否されたのだ。


理由は、彼女が展示しようと持ってきた作品に使われているイメージ(写真)が、レイシストに思われるリスクがあるから、ということ。
彼女がキュレーターやNYFAのスタッフと話した時は、初めからその理由をはっきりと教えてはくれなかったという。
私達、参加アーティストはてっきり、彼女の作品に使われているLEDライトのコードが安全上の問題があって設営できないだとか、そういう物理的な問題だと思っていたので、解決策を彼女と一緒にグループチャットで話していた。
しかし、その後、彼女がキュレーターを問い詰めて聞き出したところによると、作品に使われている写真が問題だと。
その写真が「人種差別主義者」と見られかねないから、アーティスト本人にとっても、主催団体にとっても、キュレーター自身にとっても、それを展示することはリスクでしかなく、そんなものは展示できない、と気まずい雰囲気で言われたそう。
彼女はそのことをグループチャットでみんなに報告してきたが
相当うろたえているようだった。
それも、問題視されているその写真は、亡くなった彼女のお母さんの写真だったからだ。
彼女は孤児として育ち、両親のことをあまりよく知らない。この写真は彼女のお母さんが赤ん坊の時のもので、赤ちゃんだった頃の彼女のお母さんが猿の頬を包み、愛でている写真なのである。
なんとも愛情感じる写真にしか見えないのだが、
「白人の赤ん坊が黒っぽい色の猿と戯れている様子」が黒人差別の歴史を思い起こさせるものだと懸念されたのだろうか。(彼女はオーストラリア出身の白人)
彼女はこれを聞いてショックのあまり、この写真がどういうもので、彼女にとってどんな意味を持つものなのかをキュレーターに説明することもできなかったという。
というか、これは何の写真なのかも聞かずにハナから展示拒否する方がおかしい。
この作品が主催者的にダメであっても、彼女を展示から完全に除外するのもおかしい。せめて違う作品を出展する、という話にもならず、彼女は持ち込んだ作品をただ自分のスタジオに持ち帰ることしかできなかった。
これって逆に差別じゃない?って感じた。
その作品には人種に関するステートメントなどもなく、
ただ猿と遊んでる少女の写真に、藪から棒に"レイシスト"という文脈を勝手に持ってきて展示自体を拒否する、というのはひどい。
「自分は孤児で、ようやく自分の死んだ母親に関する作品を作れたと思ったら、レイシストなんて言われてめちゃくちゃになっちゃった。」と彼女はグループチャットで漏らしていた。
もしその問題の写真に写っている少女が白人ではなくて黒人であればレイシスト扱いされずにすんだのだろうか。
彼女は白人ではあれど、ユダヤ人であり、被差別の歴史を持って生まれてきた側の立場でもある。
孤児であり、ユダヤ人であり、そしてゲイでもある彼女は人生の局面でいろいろな差別を経験してきたのではないかな、と私には想像することしかできない。
しかし、孤児にとって親をテーマに作品を作り、そこに使った数少ない親の写真をそのように歪んだ見方で解釈されるのはどんなに屈辱だろうか。
彼女はその後、このグループ展のオープニングに来てみんなに「おめでとう」と言っていた。

グループ展"In/Between"のオープニングの様子。想像以上にたくさんの人がきた。会場はNew York Live Artsというシアターのエントランス。
展示の様子。19人のアーティストに一つの壁しかないのでつめつめ感があるが、参加アーティストの出身国は本当に様々。
数名写っていないが、参加アーティストたち。私は左から二番目の座っている人。

この事実を運営側は認識していたのであろうか 認識しての判断だったのだろうか。移民のプログラムなので、NYFAが彼女のバックグラウンドを知らないわけがないと思うのだが。これは検閲であり、表現の自由ってNYにすらないんだなと思った。というか、近年は、NYだからこそ、そのへんの規制が強まっているのだろう。○○差別と言われて攻撃されそうな要素はリスクとして表にあげない。賛否両論なものを持ち出して議論の場を作ることができるのもアートの役割、と思っていたが、今ではそのような作品は人々の目に触れることもないんじゃないかな、ただの家族の写真ですら展示拒否しているようでは。キュレーターの裁量もあるかもしれないが。


展示の詳細については知りたい方はこちら

ニューヨークで学びアーティストとして活動するための資金とさせて頂きます。