「死ぬのが怖いんです」死を恐れるMさんのお悩み
こんばんは!
WhyWhyカウンセラーのふぁーこです!
きょうもお悩みをいただきましたのでいっしょに考えていきたいと思います!
○○○○○○○○○○○○
女性 年齢非公開 Mさんからのお悩み
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「死ぬのが怖いんです」
唐突ですが、私は死が怖いのです。私が死ぬことに限らず、私の大事な人が死ぬことも。
実際には、死ぬことに限らず、今が幸せであればあるほど、
それを失うことを想像して、勝手に怖くなってしまっているだけなのかもしれません。
関わる人や場所が大好きであるほど、そことの別れが惜しく、離れ難くなり、
いつまでもこの状況が続いたらいいなと思う反面、必ずくるであろう、変化が怖くなります。
母や子供の寝顔を見ながら、ふと死ぬことを考えて、涙が止まらないことがあります。
最近、会社の上司が夜眠ったまま亡くなっていたということがあったのですが、
それもすごくショックでした。
人が死んだらどうなるのか?
自分が死んだら全て無くなってしまうのか?
昔から、死については怖かった分、死後に関する本などをよく読んできました。
輪廻転成も信じていますし、前世を見たこともあります。
だけどやっぱり、どこかで全ては消えて無くなるもの、
死んだらおしまいだと思っているのかもしれません。
そして、寂しがり屋なので、死んで1人になるような気がするのが怖いのかもしれません。
大好きな人たちが離れていくこと、大好きな人たちと離れなければいけないことを想像するだけで、
寂しくて、不安で、怖くて、どうしようもなく悲しくなります。
こんな死への恐怖とどう向き合ったらいいのでしょうか?
死への恐怖を越えた先に、生きる希望や喜びを感じていられる自分でいたいのですが、
普段はすっかり忘れているのに、時折思い出して、恐怖に囚われてしまうことがあります。
抽象的な悩みで申し訳ありませんが、アドバイス頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんばんは~!
Mさん、小説のような、詩のような、入りこむくらいとても文章を書かれるのがお上手ですね!
ふぁーこも途中から考えて泣きそうになってしまいました。
だから、1つお伝えしておいていいですか?
まず、Mさんとふぁーこ、お互いに天に召されたら会いましょう!
Mさん、お酒は飲めますか?
あっちに行ったら飲んでも飲んでも病気にならず、ザルのように飲めるかも!(完全にふぁーこの予想)
だからたくさん乾杯して、たくさん話して、たくさん笑いましょう!
たくさん飲んで、たくさん歌って、たくさん泣きましょう!
でも、最後には必ずハグをしましょう。
Mさんの恐れの原因は、もしかしたらこのハグ(愛の交換)ができなくなることなのかもしれないな~と感じたのですが、どうでしょうか?
ハグって、日本人はあまりしないですけど、外国では親しい方たちの挨拶でもよくされてますよね?
それって、愛の交換だと思うんです。
愛しています。
愛されています。
このハグ、とっても簡単な愛の交し合いなんですね。
でも、死んだらできなくなる。死んだらしてもらえなくなる。
それでとっても恐いんじゃないかな~と思うのです。
自分が死んでしまっても、誰か大切な人が死んでしまっても、愛の交換ができない・・・
それって、ほんとうでしょうか?
ちなみに、ふぁーこのお母さんとお父さんは離婚しており、
お父さんは70歳手前でいま一人暮らしです。
たまに姉とふぁーことお父さんで会うことがあるものの、
お父さんは70歳手前で携帯も電話と短いメールしかできないので、
何かあったときにすぐ気づけるかどうか・・・
もし倒れたのに気づかず何ヶ月かして自宅でひとりで亡くなってたら・・・
そう考えたらものすごく恐くなりました。
わたし自身が、もう耐えられないのではないか、罪悪感でいっぱいになり、
そして悲しみに耐えられないのではないか、と思いました。
それで、お父さんと3人で食事をする機会があったのでそのことを「心配だ」という話で
言ってみました。
すると、お父さんは
「なにバカなこと言ってんだよ。いいか、そんなのは残された側の勝手な妄想で、辛かったんじゃないか、痛かったんじゃないか、むなしかったんじゃないか、って思ってるだけなんだよ。死ぬことはツライことでも悲しいことでもない。ただ身体がなくなるだけだ」
と言われました。
お父さんは九州男児なので、あまり言葉数が多くはないのですが、わたしたち子どもに
「魂があるんだから心配するな、自分たちの生きたいように生きろ」
ということを言ってくれているかのようでした。
このお父さんの気持ちを聞いて、すごく安心しました。
勝手な話ですけど、魂が生きているということは、魂に会うことはできるんですね。
愛の交換(ハグ)も、魂とすればいいんです。
それが、夢なのか、お墓でなのか、他の人間を通して感じるのか、はたまた自分が死んでからなのかわからないけど、
魂に会えるんだとしたら、今もこれからも、たくさん思い出(冥土の土産)持っていけるように、思い出増やそう、と思います。
それからふぁーこは自分が死んでもぜったい天国からこの世で生きてる自分の大切な人たちを守りぬくって決めています。
もちろん、天国には先輩のおばあちゃんやおじいちゃん、その他先に神様に愛されに召された人たちがたくさんいます。
その先輩に聞きながらでも、天国から大切な人たちを守り抜く。見守りぬく。
そうココロで誓っています。
そう自分自身で決めると、死ぬことも、死なれることも、多少恐さがなくなりました。
自分が生きてる間は、自分ができることをするしかない。
そして、いまこの世で生きてる間は亡くなった人たちが必ずチカラを貸してくれるし、
自分が亡くなったら自分が大切な人たちのチカラになればいい。
自分が愛し、愛されるように
誰かが愛し、愛されるように、
ただただ愛することを恐がらず、続けてみてほしいのです。
愛し、愛されることで、Mさんの恐れは薄れていくはずです。
Mさんが生きる存在そのものが、誰かの強さになるのです。
誰かの「生きるチカラ」となっているのです。
そして、それはもしかしたらMさん自身もお母さんやお父さん、旦那さんやお子さん、周りの大切な友人たちからもらっているのではないかと思います。
ただただ自分ができること、生きれるだけ生きてみてください。
あなたの存在が「愛」です。
それを忘れないでください。
たくさん冥土の土産、つくりましょう。
たくさん、ハグして愛を与え、与えられましょう。
死ぬのも死なれるのも恐いって言うMさんなら、わかりますよね?
自分自身が愛であることに恐れないでください。
ふぁーこは、いつでもMさんの愛、ハグしにいきますから!
またご報告、お待ちしています!
それではきょうも、石を拾ったらたこ焼きのような味のする石だったようないい夢をみましょう~!