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特攻隊員の遺書「会いたい、話したい」

太平洋戦争の末期、日本には特攻という愚かな戦術がありました。戦闘機に爆弾積んで飛行機もろとも敵艦に突っ込むアレです。

撃墜王として有名な坂井三郎少尉は、特攻作戦を明確に愚策と断じて批判しており、後にこう述懐しています。

「特攻で士気があがったと大本営は発表したが大嘘。『絶対死ぬ』作戦で士気があがるわけがなく、士気は大きく下がった」

当たり前です。特攻に対しては、ほとんどのパイロットたちがあんな作戦、「あり得ない愚策」と思っていた。

ちなみに、戦争中の軍隊なんて「命令は絶対」だと思っていませんか?「命令違反なんてとんでもない」と。特に、映画で描かれる日本軍はそういうイメージだと思います。勿論、軍の命令に従わないことは重罪に当たります。

しかし、そんな中にあっても、特攻命令を拒否し続けたパイロットたちもたくさんいます。

それについてはこちらに書きましたので、ご興味あればご覧ください。

とはいえ、それでも無念にも特攻で散った多くの命があったこともまた事実。日本で最初の特攻攻撃で散った関行男大尉が、特攻の命令を受けて基地の報道班にもらした言葉。

「僕には体当たりしなくても敵空母に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。日本もおしまいだよ、僕のような優秀なパイロットを殺すなんてね。僕は天皇陛下のためとか日本帝国のためとかで行くんじゃないよ。KA(妻)を護るために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう!」

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偽らざる彼の本音だろうし、さぞ無念だったことでしょう。悔しかったことでしょう。

そして、そんな技量も経験もなく、ひたすら忠実に軍の命令に従って(本心は違うはずだが)特攻で死んでいった若者たちもたくさんいます。


以下は、昭和20年4月12日に出撃して帰らぬ人となった第20振武隊穴澤利夫大尉(23歳)の遺書です。年齢と階級によってもわかるように穴澤大尉は学徒出陣組です。

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遺書は、彼の婚約者である智恵子さん宛てに書かれたもの。全文ではなく一部抜粋してご紹介します。

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二人で力を合わせて努めて来たが,ついに実を結ばずに終った。 希望を持ちながらも,心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”と言うことが実現してしまったのである。

去月十日,楽しみの日を胸に描きながら,池袋の駅で別れてあったのだが,帰隊直後,我が隊を直接取り巻く状況は急転した。そして今,晴れの出撃の日を迎えたのである。

便りを書きたい。書くことはうんとある。

然しそのどれもが今までのあなたの厚情にお礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。あなたの御両親様,兄様,姉様,妹様,弟様,みんないい人でした。至らぬ自分にかけて下さった御親切,全く月並のお礼の言葉では済みきれぬけれど「ありがたふ御座いました」と,最後の純一なる心底から言って置きます。

今は徒に過去における長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。然し,それとは別個に婚約をしてあった男性として,散って行く男子として,女性であるあなたに少し言って征きたい。

「あなたの幸せを希ふ以外に何物もない」

「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない」

「勇気を持って,過去を忘れ,将来に新活面を見出すこと」

「あなたは,今後の一時一時の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には,もう存在しない」

極めて抽象的に流れたかもしれぬが,将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様,自分勝手な,一方的な言葉ではない積りである。

今更何を言うか,と自分でも考えるが,ちょっぴり慾を言って見たい。

1.読みたい本

「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2.観たい画

ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」

3.智恵子、会いたい,話したい,無性に。

今後は明るく朗らかに。自分も負けずに,朗らかに笑って征く。

昭20・4・12

智恵子様

                     利夫

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※参考文献 渡辺 洋二「彗星夜襲隊―特攻拒否の異色集団」(光人社NF文庫)、水口文乃著「知覧からの手紙」 (新潮文庫)等。


穴澤大尉と智恵子さんのエピソードについては、こちらにも詳しく書きました。合わせてご覧ください。


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