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それは青春の渦中で香った夏の匂いだった

年末、信じられんぐらいの真冬だ。何をしていても寒い。布団から出たら寒いし、玄関を出ても寒い。どこかしこも人工的温かさがないと、眉間がきゅっと寄ってくる。

そんな寒き年末に、夏に出会った男子学生の話をしたい。

「えっ、お前誰とキャップ変えたんだよ!?」

それは、家路の途中にある公園から聞こえてきた。ちらりと目線を送ると、中学生ぐらいの男の子が2人、ベンチに座っている。

数年前、真夏のピークは去ったけれどまだ夏の名残で暑い日、午後6時ぐらいの出来事だ。

くすんだ青とオレンジが混ざり合う空になぜだか切なさを覚えたけれど、公園から聞こえてきたのは、空とは対照的な興奮と好奇心に満ちた声だった。

確か、定時ぴったりで仕事を終えた日の帰り道だった気がする。

その公園は割と広くて、手前には遊具スペース、奥には小さな野球チームであれば試合ができそうな金網に囲まれたグラウンドもあった。


中学生だろうか、高校生だろうか。半袖の白いワイシャツと、肩からかけるアディダスのスポーツバック。

懐かしい。私の義務教育時代も、男子は同じような格好をしていた。それが戦闘服のようらしかった。

2人のきゃっきゃとした会話は、私に子ザルの甲高い鳴き声を思い出させた。1人は興奮のあまり立ち上がり、ベンチに座っているもう一人をばしばし叩く。私が言うのも大概だけれど、若々しいエネルギーだ。


そのとき、夏の終わりに吹く生ぬるい風が、ふぅ~っと吹いた。

ああ、そういうことか。

風のおかげで、私は2人の会話がなんとなく想像できてしまった。

夏。男子学生。放課後。公園に2人きり。興奮した1人と座る1人。キャップを変えた、という会話。それはひと昔前に流行したCMから派生した、一種の儀式のようだった。

風と一緒に運ばれてきたのは、シーブリーズの匂いだった。


学生にとって、汗拭きシート、制汗スプレー、シーブリーズは、夏の三種の神器だ。それは今も昔も、そんなに変わらないんじゃないかな。

汗拭きシートは、人によって持っている威力が異なる。女の子は香り重視、男の子はシート厚さと爽快感重視。肌がビリビリするほどの威力を持った汗拭きシートで顔を拭いて、授業の眠気覚ましに使ったこともある。

制汗スプレーは、ストラップに次に女の子のリュックを彩っていた(夏限定)。でっかいサイズから持ち運び用まであって、私たちが高校生の頃にスプレータイプの他に、くるくる塗るタイプのものが発売され始めた。


そして、シーブリーズ。

甘ったるさよりも清涼のある匂い。空の匂い。夏の匂い。高校生の夏、種類がたくさんあるシーブリーズの匂いが教室に充満していた。シトラス、石鹸、無香料、ローズ、柑橘。

全部その匂いなはずがないのに、何故か全部、それぞれの匂いがした。

シーブリーズはこぼすと、こぼれた部分が白くなる。出し残りの液が垂れて、例外なく、液口には白く粉がふいていた。蓋のところも白く粉がふいていた。粉っぽさこそシーブリーズだった。


ひと昔前、シーブリーズの上部、キャップを交換するのが流行っていた。きっかけは先ほどのCMからだったと思う。いや、学生がしていたのを広告会社がCMにしたんだろうか。

交換するのは、例えば好きな人や、友達と。もしくは自分で2種類買って、好きな色味にする人もいた。

キャップを変えてなんの意味があるのかと言われれば、意味なんて全くない。驚くほどない。

意味なんてないけど、キャップを変えた行為自体に意味があった。

本体がオレンジなのに、青色のふたをしていること。本体がピンクなのに、黄色のふたをしていること。そこに意味があった。

カラフルなシーブリーズよりもカラフルな気持ちを、シーブリーズは見えるようにしてくれた。仲良しの友達の、「仲良し」の部分。好きな恋人の「好き」の部分。見えない絆とか、繋がりをキャップが色にしてくれた。


大きな公園。くすんだ青とオレンジが混ざり合う空。夏の名残の暑さ。男子学生が2人。シーブリーズの匂い。


「えっえっ、誰? 誰とキャップ変えたの?」問い詰める声が聞こえた。


私も昔、あそこにいたんだと懐かしく思った。同じように、キャップと本体の色が違う友達を見つけては「えー!! 誰と交換したの!?」と詰め寄っていた。

もう、今は過ぎた青い春の夏。


私たちはいつだって、今の歳の最初で最後の夏を過ごしている。15歳の夏も、17歳の夏も、25歳の夏も、全部たったの一度きり。

最後のはずなのに、そんなこと知らん顔で季節が3つ過ぎればまた夏がやってくると、今の私は思うようになっている。


ふぅ~ともう一度風が吹いた。シーブリーズは彼らの匂いだと思った。


”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。