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私は無印良品の女の子になれなかった

1月末に東京に引っ越してきたとき、確固たる決め事を作っていた。

それは「家に関する全てを無印良品で揃えるぞ」というものだった。


家に関する全てとは、ベットやテーブルといった家具から、カーペット、ベットのシーツ、枕、カーテン、さらにはキッチン用品、整頓用のボックス、スポンジ、シャンプーの容器、歯ブラシ、扇風機、鍋、皿、カトラリー、そういう生活を作る全てのこと。

色は、白かグレーか、ベージュで揃える。森とか花とか、そういう植物の匂いを部屋からさせたい。"清潔さ”をこの部屋で形にするんだ。生活は丁寧じゃなくても、"丁寧な暮らし”をしそうな部屋を作るぞーー


一人暮らしをしていると、そんなふうに決意する瞬間が何回かやってくる。いや、何回もやってくる。

次こそ家具はIKEAで揃える。お皿は気に入ったものだけを買う。100円均一は行くもんか。美術館かなんかに行ってアートを買うぞ。ドライフラワーなんかもいいな。無印良品で売ってるなんとかティーを煮だして透明なマグカップに入れて飲む。

幻想で固められた理想。


Instagramで「6畳ワンルーム」と検索すれば、色味の統一感がある、間接照明で照らされた、壁にはどこで買えるんだそれっていう絵が飾ってあるような部屋がぽんぽん出てくる。

部屋の隅にドレッサーが構え、白のドロップチェアがその前に置かれているし、ベッドには「それいる?」という端がフリンジになったブランケットみたいなのが置かれている。なんか枕もすごいいっぱいあるんだよな。

そういう部屋に私はいつも憧れていた。生活のしやすさ、よりも“丁寧な暮らし”。まずはかたちから。

次こそは。次こそはこんな部屋を……!


でも、実際引っ越してみてどうだろう。私は自分の部屋を見回す。

色の統一感もなければ、間接照明もない。あんなに決意したのに、無印良品はひとつもない。シルバーの冷蔵庫に、ウォルナットのベッド、プラスチックの衣装ケース。


そういえば、引っ越してからまず先に場所を確認したのはニトリとダイソーだった。そして買い物をしたのも、ニトリとダイソーだった。ニトリでテーブルとベットとシーツを買って、細々した生活用品はダイソーで買った。

やっと生活が落ちつき、生活が整った今。Instagramを開いてはっとする。

そうだ、無印良品で揃えるっていってたじゃないの私。揃えるつもりだったじゃないの私。


最寄り駅にある無印良品に行くと、ときどき家具を買う人を見かける。白いシャツワンピースを来た女の子と、ベージュのリネンシャツを着こなす男の子。

それを、羨ましい、と思う。羨ましい、と思いながら見てる。私は隣でただ眺めている。

生活用品やインテリアを買うときに無印良品が選択肢に入ってくる人が羨ましい。


きっと、シンプルで余分なものがない部屋で暮らしているんだろうな。生活リズムは穏やかで、朝は毎日早起きをしてるんだろうな。

本を読んだり、珈琲を楽しんだり、自分を大切にする術を知っているのだろう。

料理を作ることが得意で、コットンや麻のゆるっとした洋服を身に纏う。細かに笑い、自分を卑下したりもしないけど、相手に寄り添ったりできる、彼ら彼女ら。

というのが私の、無印良品を手に取る人の勝手なイメージなんだけど、あながち外れてない気もする。


無印良品に行くと、私もそういう女の子になりたかった、という嫉妬心で心が泣く。

無印良品を見ると、私はアイスピックで私の中の何かがガリガリと削られる音を聞く。


手にとった商品を前に、「これ買って大丈夫かな」と誰にともなく確認してしまう。

無印良品は大して格式も高くないし、安くてイイ商品が多いとみんな言うし、もちろんそうなんだけど、そんな無印良品に時々ある高値の商品に私はひゅっと手が下がる。

イチキュッパとかニーキュッパは、人の心理を利用した値段設定だと誰かが言っていた。


とてもとても憧れているのに、咄嗟に買い物に行くとしたら、ニトリか百均になる私。


そんな私もいつか、木製のカトラリーとお皿で食卓を埋めたいと思ったりする。

無駄のない、穏やかな生活を営みたいと思うし、無印良品に囲まれた生活をして、それに見合う女の子になりたいと思う。願っている。

そしてできることなら、アイスピックで削られた何かを木製のスプーンでかき氷みたいに食べてしまいたい、とそんなふうに思っている。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。