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「ただいま」と言える暖かさ

お正月休みを終えて、東京の一人暮らしの家に帰ってきた。実家へも帰ったし、おばあちゃんちへも帰った。そして今の住民票があって、自分で家賃を払っている家に帰ってきた。

私には帰れる場所がいくつかあるんだ、と思った。

思い出せば私は、仲の良い友達の家に遊びに行ったときも自然と「ただいま~」と言っていたことに気がつく。「ただいま」と言える暖かさが身に染みる。特に、年始さまざまなニュースが飛び交ったからこそ、余計にそう思う。

「ただいま」と言えば、そこには「おかえり」と言ってくれる人がいて、まあ、一人暮らしの東京の家はどちらも自給自足、セルフ「ただいま」「おかえり」だけど、ドアを開ければ休める部屋がある。ライフラインもあるし、お風呂もあるし、お風呂上りのタオルだってある。布団があって、実家とおばあちゃんちに関しては電気毛布まである。贅沢品だ。布団に入るまでに電源をいれておくと、ちょうど布団に潜り込むころには中がほかほかとしていて、布団に入ったときに起こる「ふとん、つめっった~~!!」現象とは無縁の暖かさがそこには根付いている。人類の文明の利器を感じざるを得ないこの贅沢品を、私は実家でもおばあちゃんちでも堪能していた。

帰ってきたこの部屋には電気毛布はないから「ふとん、つめっった~~!!」現象が起こることを承知で布団に入るしかない。ちょっと寂しい。


12月、これから他拠点生活をする予定の人と話したことを思い出す。その人は他拠点生活を「新たな挑戦」と言っていてすごくかっこよかったのだけど、他拠点生活はたくさんの「ただいま」ができる生き方なのだと思う。

あっちへ行っても、こっちへ行っても、すべては帰る場所であり、心休まる場所になる。「ただいま」を言って開けたドアの向こうにはガス、水道、電気があって、浴槽はわからないけどきっとシャワーはあって、きっとタオルもある。電気毛布という贅沢品はないかもしれないけど、布団はあると思う。

「ただいま」を言って開けられるドアがあること。帰れる場所があること。その暖かさを、きっと今日も布団に入ったときに感じるのだと思う。


”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。