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「一人暮らしの自由」が揺らいできている

一人暮らしは、自由だ。一人暮らしの家、つまり城には、主の私しかいない。好きな時間に起きていいし、眠っていい。夜更かしだって手慣れたもんだ。好きなときに食べたいものを食べたっていい。それも好きなだけ食べていい。2食分と思って作った焼きそばだって、1夜で食べていい。夜中、目が覚めてお腹が空いていたらプリンを食べたっていい。お皿洗いを後回しにしていいし、畳んだ洗濯物がタンスに仕舞われていなくたっていい。布団は朝起きた状態のままでいいし、夜になれば逆再生のようにまた眠りにつく。

一人暮らしは、自由だ。何をしたっていい。だって、一人だから。誰にも咎められることもないし、誰に怒られることもない。「ちょっと止めておけば……?」みたいな注意喚起もない。だって、一人だから。

でも最近、私の中で「一人暮らしの自由」が揺らいできている。

先日、一人暮らしをしていたけど職場が変わったことで実家に戻ったという友人にあった。彼女に言われたのは「やっぱりいいよね、一人暮らしって。自由で」。その前には、最近同棲を始めたという友人から言われた。「独りはいいよ、気楽で。何も衝突がないもんね」。確かに、それらの言葉は間違ってない。自由だし、気楽だし、何も衝突がない。

だけど一人ってことは、別の世界・別の世界線には行けないってことだ。

今日、小学生の男の子を後ろに乗せた自転車とすれ違った。そのとき、男の子が、運転するお母さんに言ったんだ。

「あのね、今日学校でね……」

続きは、通りすぎちゃったからわからない。それを聞いて思った。

「お母さんが生きているのとは別のところで、男の子は生きているんだ」と。

別の世界・別の世界線は、人が2人以上いるからこそ、起こりうることだ。「今日学校でね」と情報交換ができるのは、別の世界・別の世界線で生きている人がいるからだ。

実家に戻った友人も、同棲を始めた彼女も、交換できる世界線がある。人がいる分だけ世界と世界線があって、交わらせることができる。

だけど、一人暮らしではそれはなかなか難しい。毎日が自分だけで、毎日が一人だけ。

それが寂しいのか、悲しいのか、どうにかしたいのか、まだ気持ちはよくわかってないけれど、“ 自由 ” というより、「狭い世界だな」と感じてしまったのだ。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。