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【旅の記憶】バルト三国・リトアニアで見つけた小さな日本と大きな貢献

バルト三国、って聞いたことありますよね。聞いたことがあるのは学校の授業だったか、受験勉強のための勉強時期だったか、どうでしょうか。

わたしの記憶の限りでは、それ以外のところで「バルト三国」という言葉を聞いたことはなかったと思います。

Q:バルト三国の国名を答えよ。
A:リトアニア、ラトビア、エストニア

答えられると、満点。

答えられないと、減点。

テストの解答としては、これで十分。教育された側としても「あぁ〜、世界のどこかに、そう呼ばれる国があるんだねぇ」程度の感想しか、残っていない。

あれだけ勉強したのに、それしか「残っていない」。でもそれでも、点数を取るためには、それでよかったりする。

でもですね。


国の名前を覚えるのも大事ですが、もう少し踏み込んで、その国がどういう国で、どういう成り立ちで、そして今、どうなっているのか?が重要です。


今回、「リトアニア」を取り上げようとは思うけれど、わたしも行くまでは、リトアニアがどういう国なのか?ということはほとんど知りませんでした(習ったかもしれないですが、ほとんど記憶に、ない)。

だからこそ、脚光を当てたい。

バルト三国のリトアニア

念の為、バルト三国とリトアニアの位置を確認しておきたい。バルト三国は文字通り「バルト海」に面した国。

リトアニアはバルト三国の中で、一番南にある。周りはロシア、ポーランド、ベラルーシ、ラトビアに囲まれている。

ロシアに近いということで、ここはもともと旧ソ連の国でもあった。ソ連の崩壊もあり独立したのは1991年。

ロシアという大国に近かったこともあり、結構悲惨な歴史を歩んできた国でもあります。ロシアに近い国は、今も昔もロシアに近いということで、なかなか難しい立場を強いられてきたように見えます。


第二次世界大戦時、ソ連の侵攻を受け、支配を受ける。その後ソ連とドイツの仲が悪くなると今度は、ドイツに占領される。ドイツが劣勢になった大戦末期、再びソ連が占領。以後、ソ連の連邦の一つになった。


今、わたしたちの目の前で戦争が行われている。この戦争に対して、リトアニアの人たちが、どう思い、何を考えているのか。歴史背景を考えると、納得できるだろう。



言葉


リトアニアはリトアニア語がメイン。実際、書いてある文字はアルファベットではないし、英語もあまり通じない。レストランやショップではあまり不便しないけれど、それ以外では少し不便だ。

実際、バスや電車の切符を買った時、窓口のスタッフさんに英語で話しかけたけれど、通じなかった。行き先を告げると、わかってくれた。あとGoogle先生には助けられた。


ま、普通はそうなのかもしれない。


日本だって、都市部は英語がわかる人が多いけれど、地方に行くとそもそも人が少ないし、英語わかる人も少なくなる。同じことだ。


現地の言葉を覚える。それに越したことはないけれど、なかなか難しいこともある。

小さな国の中の小さな日本

日本から遠く離れた欧州の一角に、日本を感じられる場所があるとしたら、どう思うだろうか?こんなところに「日本人?」っていうのがあるけれど、まさにそんな感じ。


東洋文化がほとんど感じられないこの地に、日本がある。しかも、最近のものではなく、何十年も前の何かが、残っている。


それを見ただけでも、ちょっと嬉しくなったりしないだろうか。

わたしは少し、嬉しくなる。


リトアニアで見つけた小さな日本というのは、こちら


近年、日本でも注目されるようになった人物だという、杉原千畝。彼がリトアニア・カウナスの領事館に勤務していた時、難を逃れるために難民にビザを発給したことで、難を逃れたということから「命のビザ」と呼ばれている。


彼の住居というか、当時の領事館が今も残っていて、そこが記念館のようになっている。当時使われていた、家具、道具なども残されているし、当時何があって、どういう状況で、そして「命のビザ」を発給するに至ったか。学べる。


わたしも滞在したのは1〜2時間だったけれど、歴史を学び、雰囲気を感じ、貴重な体験ができた数時間だった。興味のある人は是非訪問してほしいところだ。


自分にできること

歴史を学ぶこと、わたしは個人的には好きなことです。偉人について知ること、歴史を学ぶこと、探せばいくらでも機会を得ることはできます。

ただ、歴史を知って「ふーん、そうなんだ」で終わらせていては、何も残らない。そのあとが重要なんじゃないか?と思います。

偉人と同じことはできない。

わたしはその人じゃないから。

で、そこで終わるのではなくて、偉人を見て「同じことはできないけれど、わたしは何ができるのか?」を少し考えることが重要だと思います。

同じ経験をすることは万に一つもない。だけど、近いことなら千に百に一つあるかもしれない。そんな時に、学んだ歴史・教訓から、「自分は何ができるのか?」を考えておけば、「あ、こうしよう」と思えるだろうし、実行に移すことも少し楽になる。

訪問すると、学びのレベルが濃くなる。

歴史を学ぶことはつまらないかもしれない。実際、若い頃は、そこまで好きじゃなかったかもしれない。

でも今になって、歴史を学ぶということがどういうことなのか、少しわかってきたような気がする。

まとめ


バルト三国の一国、リトアニア。小さな国で、日本を感じられるとはなんとも複雑な気分になるけれど、感じられてよかった。

いつも日本にいると、ここを見ても「ふーん」で終わってしまうかもしれない。離れていると、より深く感じられるものなのかもしれない。

そういう意味でも、たまには日本に触れることも大事なことです。

それでは、また。

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