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初恋 第18話

 ここで僕は再び、「恋」に巡り会った。誘拐事件と父の失踪で記憶のボードから消し去られたあの言葉——「恋」——が再び僕の前に姿を現した。徐々に蘇るアフリカの記憶。クレジオとアメリのバスの中でのじゃれ合い。僕は夢の中でラメラに理科の補習をしていた。そうだ、旅行の前にはよく、ラメラが僕のところへ算数の問題を聞きに来ていた。あれはひょっとすると、彼女が僕に関心があったから? 算数は単なる口実? 

今、僕の目の前に多くの恋の物語が広がっていた。それはかつてのように単なる言葉と想像だけではなく、実物として少しずつ身近になり、手を伸ばせば届きそうな距離に近づいてきていた。それは僕の中にさまざまな形で、「恋とはどんなものかしら」と問いを投げかけた。「ロメオとジュリエット」のように、恋とは燃える命だと定義したもの。これはまだ僕にはピンと来なかった。でもその時代、僕がロメオならそうしたかもしれないと少しだけ思った。「トムソーヤの冒険」のように、二股をかけた恋の成就というのは、男として許されるものじゃない優柔不断だと思った。僕なら、どこかでどちらかの女性に決断しただろう。

僕が最もあり得そうだと感じたのは「ジャン・クリストフ」で、恋を燃やし始める純粋な魂が、羞恥や逡巡や、懊悩や期待、誤解と夢想の回廊をぐるぐる回りながら、瞬間の破裂や時間の沈黙や見えない手探りを一人であるいは恋の相手と繰り返し、言葉が言葉の指先を握りしめて視線のリボンでそれを結び感情の緩やかな気まぐれでそれを解いてしまう予感の告知 本能を縛ってゆく愛の色が見え、ただ混乱と混浴する愛情と怜悧な聡明さを打ち破って崩れて去るアキレウスのように、気がつけば気がつく程がんじがらめになっている自分に気がつくという、自然発生的で自己増殖するもの。これなら、僕の将来に起こるかもしれない予感があった。

清貧で純真で激情の気質を内包するクリストフは、自分のピアノの生徒である貴族の娘ミンナの手に、レッスン中、いきなり口付けしてしまう。彼も彼女もこれをきっかけに恋が燃えてゆく。自分とラメラの、ロマンチックでドラマチックな情景を想像してしまった僕は、突然、顔が赤くなった。え? どういうこと? 僕はまだ彼女に一言も発していない、何のアクションも起こしていない。それなのに、一人で興奮しているなんて。恋とはそれを思うだけで恋しちゃうものなのかな? 自己催眠の魔力。僕はたちまち恋の物話に捕らわれ、それが何かを実際に究明したくなった。

ラメラの赤い縮れた髪、ほっそりした顔にニキビのある表情は、何年も前から変わっていない、ただ、父の事件後、僕達は疎遠になっていた。それでも僕は無意識に彼女を意識していたと言えるだろう。彼女の背は年毎に伸び、それに、女性らしい体つきに徐々に変化した。胸が少し膨らんでいるのに僕は気付いた。それに表情も単純な無邪気さから脱却し、大人びたわざとらしさや屈折した気まぐれさが入り込んだりした。彼女の本心を推し量るのは、かなりの駆け引きがいるような。

偶然はある日、通り雨のように現れた。僕の視線が彼女を引き寄せたのか? 僕が縄跳びの練習をしていると、笑い声が背後から聞こえた。うまくできない僕はムッとして振り返ったら、ラメラだった。バスケットボールを抱えていた。彼女はバスケットのジュニアチームに入りたくて毎日練習していた。
「こうやるのよ」
彼女は僕から縄を受け取ると、見本を見せた。見えないほど早く縄が回った。それが三重飛びだと知った僕は、口をぽかんと開けた。でも僕が驚いたのはその先だった。彼女は僕の正面に立つと、僕を引き寄せた。そしていたずらっぽく言った。
 

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