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土地のエネルギーとモノに宿るモノ①

私は、今となっては肉眼で「視る」タイプではないので、いつでも何処ででもそうしたモノ(現実世界にはない、別次元の何か)を、キャッチするということはないし、仕事の場以外では鈍感そのもので、普段は何にもわからないタダの人だったりします。

昔は・・・敏感だった頃は、反応しまくりで、日常生活に支障ありまくりでしたけどね。いまは、普通の人なので(・・・ん?)。

先日、上野公園に行って来たのですが、今はそう、平気で楽しめるな、と。
昔は歩けませんでしたから<上野。そういう意味では、お茶の水の駅のホームも、子供の頃はダメでしたね。神田川から、たくさん手が伸びているのが視えちゃって。たぶん、関東大震災や空襲のとき、火災を逃れて川に飛び込んだ人たちとかの残像だったのだと思いますけど。

千葉出身なので、千葉よりの東京(総武線沿線)は馴染みのある場所ではありますが、そんな風に東東京には苦手な土地がいっぱいありました。

大人になってから気がつきましたが、被災地もそれなりなんですものね。

ああ、この辺は死体を野焼きしたとこなんだなあ、とか、
この川には、たくさん浮いて流れてたんだ~とか。

ダメなとこ、昔はいっぱいありましたけど、今はほとんど気になりません。
鈍感って嬉しい。でも、両国の江戸博物館は今もダメですね。それから、青山もダメ。靖国神社も行きたくない場所でした。(軍人さんの霊はね、難しいんですよ。ごにょごにょ)多くの人が気持ち悪いという巣鴨プリズン跡は平気なんだけど<私は

大丈夫になった場所は・・・時間が経過したというのもありますね。
私がゲロゲロッて反応してた頃より、浄化が進んではいるから。

ちょこっと、だけね。ちょこっと・・・

(広島は慰霊祭がマメに行われているので、浄化かなり進んでいます。15年前ですけど、行った時にそう感じました。長崎と沖縄はそれに比べると、ちょっと遅いみたい。(といっても、長崎は修学旅行で行ったけど、沖縄は行ったことないのでした。なので、他人から聞いた話。それから、沖縄に行って、色々とお持ち帰りをする人を鑑みて) 

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東京は・・・慰霊的なのは最近ようやっとみたいで、広島に比べると遅い。それでも進んでいるのは、たくさんの人たちが住む都市だから。でも、東京大空襲の慰霊碑は、あまりにも注目されなさすぎて、もっと何とかしないと・・・という場所ですね。そして湾岸のレジャーランドがあの場所に出来たことは、多くの霊たちの鎮魂の場にもなっていて、それは救いになったんだけど。そういう意味で、多くの人が放出する、喜びと笑顔のエネルギーって素晴らしい。

でも、やっぱ私自身が鈍感になったのが大きいかとも思いますが。
敏感な人は今でも影響受けちゃうし。

まあ、でも、海外で日本人がいないところ探すのが大変なように、
霊とエレメタルのいないところなんて、何処もありませんけどね。

人類の歴史が始まって以来、いやさその前から、何人、いやさ何億人もの人が暮らしてきたんだから、この地球上で。それだけの数の人が生きもしたし、死にもしたし、いろいろなドラマもあった。今お墓でないところがずっと昔に墓として誰かが埋められてたり、史実にも残らないような事件もあったろうし・・・燃料として使用している石油や石炭だって、植物や動物(人間含む)の死骸ですもん。

とはいうものの、
「土地」には・・・いろんな物が残っていたり、残ってしまうもの。
地層が積み重なるように、様々な想念、人や生あるものが残したものが残留物として堆積して、それが後に住む人に影響を与えてしまうことがあります。目には見えないものだけにそれはとても厄介で。

人がその場に作ってしまったものもあるし、土地が記憶するものもある。土地にインプリントされてしまったというか、焼き付けられてしまった記憶が。

霊は・・・幽霊としての形(身体)のままそこに居続けられるのは、どんなに長くてもせいぜい300年くらいで、その後は消滅してしまうんだけど(成仏しなくても強制的に)、霊としての形はなくなっても実体の残像(その人生のパーソナリティのコピーとしてのエレメンタル及びその時に生じた感情・体験としてのエレメンタルの双方)は残ってしまうので。

人や生あるものが残したものが残留物として堆積して、それが後に住む人に影響を与えてしまうことがある。目には見えないものだけにそれはとても厄介で。(上記にも書いたので重複した説明になりますが、そのようなエレメンタルは残留思念と呼んでもいい) それが霊として認識されることは多いです。古いものは大体そうですね。

今の時代、未成仏とされる、未だ生まれ変われず幽霊(サイキカル体とノエティカル体のみの状態)として存在して彷徨っているのは、日本だと(時代で言うと)、どんなに古くても明治維新の頃の人たちくらいです。100年前と限定できるわけでないですが、それ以前のものは幽霊ではない別のもの(単なる残留思念)。100年前のも居残っている人はかなりなレアケースですから。

だから、霊が消滅した後、エレメンタルだけが残って、当の本人が別の人間として生まれ変わってくる・・・という矛盾も起きます。(その人が生まれ変わっていたら、幽霊は存在しません。転生前には確実にその身体は消滅します。使い捨ての身体ではあるけれど、次に転生する新しい身体を作る際のデータを取り出さないといけないので消滅するのです)

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残留思念は(私たちはエレメンタルと呼んでるけど)、人間が作った資源ゴミって感じですね。(資源といっても、リサイクルは大変だ)
これは霊よりも厄介なものです。

その土地や建物に居ついたり、モノに憑いたり入り込んだり、それは小さなものから大きなものまで。木造の家なんか、解体した木材にも入り込んでいる場合もあります<想念。絵とかポスターとか人形とか、ぬいぐるみにも入ってたりするし。まぁ、入れ込むのは「人」ですけどね。このあたりの話は後で。ていうか、そのうち? いつか・・・かな?

で、「土地」に残るもの(人が残したゴミ)以外にも、その土地に住む人に影響を与えるものがあったりする。はっきりいって、そっちのほうが厄介だったりして。

「霊道」という霊の通り道、そして神社や神様をお祭りしている場所に関連した境界線や「神の道」そして、土地に走る氣脈、水脈、龍の穴といわれるものなど・・・いろいろ。地下にも、空間にも、いろいろ見えないものが存在してまして。

昔は・・・昔の人はそういうのがそれなりにわかってたから、人が住むべきでないところには集落を、家を建てなかった。人間が住むと、土地の氣が強すぎて、キツイ場所は避けたものだし。

古代の人は、それらを操って、呪術をかけたりした。
風水も陰陽道も道教も鬼道も、そうした理論を利用したもの。

奈良の平城京も京都の平安京も、江戸の町も、それらを用いているわけだけど、奈良の呪術はよく出来すぎて(完成度が高い)、逆にその呪術が奈良の発展を妨げてきたなあ、と。というのも、古墳とか遺跡がありすぎるので、現実問題、開発できないというのも大きいとの話。古墳自体がひとつの呪術のコマですから。京都の街は今だに守られてはいるけど、ちょっと失敗している。

江戸は・・・いまさらに良く出来ていると思う。後述することが原因で今となっては、かなり崩れてしまっていますが。(それをキープするために働いてくれている人たちがいますからね。公にはされていませんが) 徳川が滅びても、江戸が首都として生き残る方向へと守られていたから。そういう意味で、江戸の街づくりをした天海さんて懐が広い、すごい人だったんだなあ、と・・・ホント、関心するのみです。日光に行くとそれを実感します。

でもね、日本のそうした見えない守りを壊すアプローチを、某国は国策として数年前から見えないレベルからもあれこれやっててくれたりするから、困ったものなんです。陰謀論ではないですけど。現実的にも困ったことをしてくれる国だけど、目には見えない、その世界からのあれやこれやも真剣にやってしまうのが、びっくりするところ。確かにライバル企業に呪術をかけたり、風水の仕掛けを作ったりすることが公然と行われている国ではありますが…

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でも、さすがに地下鉄が迷路のように地下の水脈を切断し、電車(線路)や高速道路が地脈を切断し、乱し、高層建築がじゃんじゃん出来て、空間の気脈も切断し、あちこちぐちゃぐちゃでおかしくなってきちゃった。例えば神社など、聖域として守られていた場所も戦後縮小されたり、区画整理で移転させられたり、なんかホントにもー 現代住宅事情で仕方ないとは言え、めちゃくちゃです。

はちゃめちゃなネオンとか、統一性のない街のカラーとか建物とか、ごちゃごちゃした看板とか、汚いいたずら書きとか、そうしたものも、土地の波動を下げ、そこに住む人をおかしくさせる原因ですし。

(ニューヨークの地下鉄の、落書きを消して、クリーンな車内車両にしたら、
犯罪率がグーンと下がったという事実もあるように、街の美観というのは、そこに住む人の心理状況に影響を与える)
「ずいぶん、ヘンなとこに家建てちゃって、もー」というところは多い。
「ここにお店作っても、そりゃ長く続かないわ」
「あー これじゃ社員みな病気になるよねー」とかとか。

建物も、「なんでこんな邪気を集めるような造りにするかな」ってのも多い。場所の選択の時点で失敗している・・・というとこもあるけど、せめて何とか、気の流れが良くなるようにすればいいのに、とも。

とはいうものの、私は霊道とか、神様の道とか、空中にあちこち走っている、別次元のそうしたモノを見極めるのは不得意です。現場に行くことで解るときもあるけど、専門にあらずで、さほど得意でないということです。

せいぜい土地の「氣」を読む程度ですね。あとは、物件探しのときに、「ここは居る」「居ない」「氣が滞ってる」「気の流れヨシ」「問題なし。住んでも大丈夫」「問題アリ。住んじゃダメ」とか、が解るくらい。こっちの方角から良い気が流れてきているな、悪い気がここに溜まるな、とか。

でもまぁ、良い土地ってのは、住んでいる人がなかなか動かないから、どうしても、良くない土地のほうが動きがあるというか、流通しますよね。掘り出し物は多くないし、滅多に存在しないということで。都市部には、そういう「良い土地」「良い物件」は、今となってはほとんど無いといっていいですし。

ちなみにどうでもいい話ですが、私自身は不動産運はわりと良い方だと思います。「家」に思い入れが強い人間だし、物件探すときの条件にこだわりがあるので、徹底的に探し回るというのもあるのでしょうけど。この場合、ものすごく良い場所をゲット出来るというより、無難な場所をリーズナブルに借りれる運てとこですが。(実家は建築業)

今まで住んだところでは、私以外にはたぶん誰も「住めない」だろうな、というところもありました(笑) そこの場合は、知ってて借りたのだから、まあ、アレです。敏感な友達は・・・呼べませんでしたけど。
何しろ家賃破格だったし、めちゃ広い戸建だったので(大家さんもいい人だったし)。

でも、10代のときにアパート探したとき、
「あそこのアパートなんですけどね」と不動産屋さんが指差したとこ、
めちゃフリーズしたとこありましたね。玄関から中、入れませんでした。不動産屋さんはスタスタ入っていくのに、もうダメで。覚悟して入ったけど、中見たら、「あっ…やっぱり(脱力感)」当時はまだ肉眼で見えてたので。事件があったとか、そういうのは無いけど、あそこは無理でしたね。確か新井薬師前だったけど、まだあるのだろうか。

ここまで書いたところで眠くなったので、続きは後日。

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※10年以上前に書いたblogからの転載です

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