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点と点が繋がるとき~A piece of a puzzle connects.

「点と点が繋がりました」と仰って下さったのは、先日のクライアントさんのセリフ。同時に過去を紐解くことは一種の"謎解き"でもあると…確かにそれはその通りで、私もセッションを通じて理解すること(知りえる情報)は、とくにクライアントさん一人ひとりの人生の問題にアプローチしていくことに関して言うなれば、まさに謎解き以外の何ものでも無いと思うのです…

ちなみにこのクライアントさんは、通常のセッション(うちのメニューの中でもっともスタンダードな)を過去に何回か受けて頂いてはいたのだけれど、今回もっと深いところの問題に取り組むべくチャクラ・ヒーリングをフルで受けて頂いてまして…記憶のベールの向こう側を探り、そこで明らかにされる様々な人生とそれによって生じた心の重石を取り除いていく作業をしているところです。

その都度発掘される、意識の底に沈んだ、過去の人生での傷や痛み、罪と罰…そのような人間の営みを見つめつつ、ナビゲーションをして、絡みまくった心や原因の紐解きをして、手放すためのお手伝いをしていくこと…その場に立ち会って、起こることの見届け人となることは、「ああ、そうなんだな」と真実を知りえること以上に、毎回静かで不思議な感動を呼び起こさせられる尊い瞬間なのです。

ちなみに、こちらのクライアントさんの場合、数年前にレイキヒーリングを習得して下さっていたり、スピリチュアリズム(心霊科学)講座やスピリチュアルレッスン(霊的真理の基礎知識)を受講して頂いていたので、今回チャクラ・ヒーリングをフルで受けて頂くに際して、自分に起きていることがどういうことなのか、その意味や表していることに関して、過去に学んで下さった知識があるから、納得が早いというのはありますかね。それがあるのと無いのとではちょっと違ってもくるかな。でも以前だったら、自分で「それらを視る」というリアル体験はして頂けなかったかも知れません。
クライアントさん自身の準備が整ったからであり、時期が来たから、それが起きたに過ぎないのです。

私が使っている手法はヒプノセラピーに近いものだけど、またそれとはちょっと違うのかな。いずれにしても、こちらで一方的にリーディングして(情報を読み取って)伝えるよりも、本人に体感してもらい、視てもらうのが一番早いのでありました。※でも、ほとんどの人が自分で「視る」ことは不可能です。一部の段階に達した人にしか、通用しないです<自分で体感する

まぁ、その方が私自身、楽と言うのもありますww いやさ手抜き出来るとかそう言うのでは無いですよっっっ

こちらで見ていく作業はクライアントさんに解説もしながら、同時に頭の中であれやこれやって作業を同時にしていかないといけないので、正直しんどい。けれど、クライアントさん自身に見て頂く状況だと、もちろんナビもしますけど、こちらも別方向から客観的に見にいって、双方向の情報を比較・精査しつつ(クライアントさん自身がどのようにこの出来事を捉えたのか…という記憶の部分と客観的事実の差異を見る)、この出来事の意味とかあれやこれや同時進行で私側がするべき作業に集中出来るので、あれもこれもやれることが増えるので、楽だって言う話です。

とは言うものの、やって頂く…実際に労働?しているのはいつだって目には見えない助っ人チーム(透明なヘルパーさんたち)の方で、実質、私は解説しているだけで、頭は使っても力は使っていないのでした(意味不明)。ほとんどおまかせコース<全自動洗濯機か

「私、子供の頃はものすごく"きかん坊"だったんです」

過去にお寺の小僧さん…僧侶見習いとして生きた人生を解放した後、クライアントさん曰く。

彼…は、同じ寺で働いていた先輩僧侶(兄弟子)に、大鎌で頭を切り付けられ、それで亡くなっていたのです。何故、そのような目に遭ってしまったかと言うと、先輩に対して侮辱的な言葉を吐いて、その真摯さをからかい続け、寺や仏教、僧侶の仕事を愚弄し続けた結果のこと。
そもそも、そんな人間がどうして僧侶見習いに?…なんですが…俗世にいた時からそんな性質だったもんで、困り果てた親がもて余して、寺に預けたってな話。彼を更生させて真人間にさせるため、阿闍梨様に相談して、引き受けて頂いたんてすね。まるで昭和の「戸塚ヨットスクール」です。

でも、肝心の彼はそれが納得出来ない。反抗的で寺や住職を愚弄する罵詈雑言を吐き続けていれば、いつか愛想をつかされて「もう面倒を見切れない。お前はもう出ていけ!」って言われるだろうと…寺から追い出されるために、先輩とか同僚を愚弄し続け、不真面目な態度でいたんですね。それに対して、周囲はとても忍耐強かった(我関せずって言った感じで)。で、少しずつエスカレートして、その日もいつものようにちょっと先輩?兄弟子だった人をおちょくり、侮辱することを言ったのですね。けれど、その方は元々短気な人で、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしく、とうとう持っていた鎌で彼に切り付けてしまったのです。

その人生がまあ、出てきたんですが。その前と言うか、セッションの数日前から「観音様」のお姿が視えると…当日セッションを始める雑談でお聞きしていたんですが、セッションの最後の最後にこの彼の人生が出てきて、どうもこの観音菩薩様は当時の人生でお世話になっていた、このお寺のご本尊だったもよう。左手に蓮の花の束を持ち、座姿ではなく立ち姿。千手観音、十一面観音、如意輪観音とも違うようで、救世観音か弥勒菩薩?…では無いかと思うのですがね(あんま詳しくない私)。

そこはそれとして、この日に彼だった時の人生の残留思念(エレメンタル)を浄化させるために、そのためにいらして下さったようです。用意周到と言うか、ものすごく仕組まれたかのようなタイミングだ…と改めて思いましたけれど。御縁という言い方も出来ますが。

で、この兄弟子は仏門に帰依しながら大罪・殺人を犯してしまったということなので、やっぱり罪は深くなりますね。この兄弟子さんの当時の怒りの想念もエレメンタル(残留思念)として、ここ(クライアントさんの過去生としての彼の記憶の中)にあるわけです。兄弟子さんは彼の人生(その後の輪廻転生の輪の中)で、その人生の罰と言うか、罪の償いをしているわけですけれども。

でも、この…兄弟子に殺されてしまった彼…としての人生だけを、ここだけを見てしまうと殺人の被害者なんですけれども、この彼…子坊主さんがこのような人生を生きることになったのもちゃんと意味があるんですね。この場合、兄弟子は修行の甲斐無く、忍耐無く…仏門に帰依した身でありながら教えに反して、弟弟子である彼を殺してしまったわけですが…

この日の最初に解放した人生にそのヒントがありまして…
別の人生では被害者と加害者という立場は逆転していたわけです。

はい、兄弟子は、かつてこの弟弟子たる子坊主さんがその命を奪った人でした。言うなれば、過去に自分が(加害者として)殺めた人(被害者)から殺し返されたと言いますか、復讐されたわけなんですね。

それはそれは遠い昔の出来事に起因しているわけです。大陸の真ん中よりやや下方、今のキルギスとかカザフスタンとかあの辺りですかね。コーカソイドっぽい顔立ちかったから、たぶん中央アジアのあの辺りだと思いますけど(もしかしたらタタール?)。遊牧民の戦闘員として、戦いにあけくれていた時の人生。

イメージとしてはこんな感じ? いやさ被り物はしていず、長い髪をなびかせていたのですが、どこだったんだろう…?

その日に出てきたもう一つの人生…白人の主に八つ当たりで暴力を振るわれて蹴り殺されてしまった、黒人奴隷の少年としての人生…この加害者たる白人の雇用主との関係も然り。

その人生だけを見てしまうと、悲劇的な人生を送った犠牲者(殺人の被害者)になってしまうのですが、単にかつての被害者から仕返しされるがためでは無く、被害者たちと対峙することによって、自分のしたことの償い、そして相手の立場を理解すること(罪も咎も無く、無意味かつ理不尽な理由によって殺されると言うことの痛みと苦しみを知る)、誰しもが平等であると言うこと、人の命の重さ、互いを尊重し合うべきだということなどなど…学びのための経験を生きる必要があったのです。

だから、一部だけを切り取って判断することは出来ません。一つ二つの人生だけ見ても、全容は見えません。どんなことも理由と意味があるのです。
それが因果と言います。
そして、カルマは与えられたり、与えたりするもの。どちらか片方だけのことでは無く、互いに学び合う関係なのです。その相手の最たるものが、被害者と加害者であったりするだけのこと。

とは言うものの、リアルタイムで被害者になった人あるいは遺族に、「この出来事が起きたことは因果だから」なんてことは絶対に言ってはならないことです。それは人の道に外れた、心無い発言です。三次元には三次元のルール、法があって、私たちは三次元の角度(現実社会における道徳と常識)から、物事の善悪を判断しないといけません

霊的次元で物事を考えるのは、その段階での物事の見方を学んだものだけ、あるいは当事者がそのことを考え始めた時です。それでいいのです。誰が誰を裁くのでは無く、人が人を裁くのでは無く…自動的に運命がそのように導いていきますから。まかせるままにでよろしい。

そのように、点と点が線で結ばれていく瞬間があります。

なるほどこの感情にはこのような理由があったのか、自分のこのような感情的反応は過去にこのようなことがあったせいなのか… あの人が自分に対して憎悪の感情剥き出しにして、度が過ぎた扱いや暴言を吐いてくるのは過去にこのような関係性であったからなのか…などなど。
この罪悪感や自虐的に気持ちはここから派生していたのか…何故、神や仏に縋る気持ちがあるのか…とかとか。

色んな事が繋がって、納得したり、スッキリすると同時に、色々な巡りあわせ、運命の巧妙な仕組みの前にやはり感動させられますし、驚きと畏敬の念を覚えずにはいられないのでした。

だからこそ、この仕事は面白い。

そして、自分語りな話になりますが、過去生での不思議な縁はたくさんあって…過去の人生での身内(親、娘、息子、兄弟姉妹)、友人だった人、パートナーだった人とかには幾人か会えていたりします。もちろん全員では無いのですが。

私がヒプノセラピーをやらざるを得なくなった出来事の相手…友人にアロマテラピーの施療をしていたら、突然彼女がトランス状態に陥って、泣きながら私に謝罪し始めた…は、英国において私が魔女裁判にかけられた時、嘘の証言をした同じ村に住む人だったということで、それで罪の告白が始まっちゃったわけですよ。私は突然の想定外の事象にビックリして白目、フリーズしました。(ヒプノなんて習ったことなかったし、前世療法もヒーリングも「知らんわ!」って頃だったので、いきあたりばったり、なるがままよ的になセラピーをして、そんないい加減な方法でどうにかなったことの方が驚いた。) 

何故彼女が私に対して、過剰とも言えるほどに親切だったのか…その理由が解った出来事でしたけどね。申し訳ないって言う罪悪感からの罪滅ぼしで。

150年前に生き別れになった娘との再会も戸惑ったけど、ビックリで<カナダ人だったときの

でも、そうですね。やっぱ、よくもあの時、私を殺してくれましたね…って人との再会は色々と複雑ですよ。こちらとしては恨みもあるし、めっさ葛藤して、大変でした。そんなに簡単に割り切れるものではないです。強姦された相手なら尚更。この辺りは恐怖との対峙になるわけです。

でもって…5年位前でしたかね。当時グループレッスンに参加してくれていた一人の方を介して、ある人から「逢いたい」って言われたんです。
うんとー どんな人かって言うと、知る人ぞ知る人と言うと変な言い方だなあ。芸能人とかではないです。えっと宗教家ではないのだけど、神通力をお持ちな霊能者の方。表に出ない方だから一般には知られていません。某所でご神事とかもされているけども…普通の仕事をされている方です。まあ、先生とは呼ばれてるか。
過去生も、何度かちょっと有名人と言うか重要人物だった人ですね。ネット上ではあんまり詳しいこと、書けませんけど。

その生徒さんは過去生において、日本の歴史にちょっと出てくる有名な人だったことがある人なんですが…そのこともあって、上記のK先生と言う人とも繋がりがありましてっっ 過去生では、K先生の息子とその生徒さんの娘さんが政略結婚していたと言う、子供を挟んでの関係もあるけど、それ以前に主上関係でもあるという…まあ、時代が時代なのでアレだ。

で、なんで私と会いたいと?と…疑問に思いつつ、こちらとしてはかなり警戒心丸出しの対応でごまかしている間に、間に入っていたその生徒さんが、伝言してくるにしては邪魔してくるって言うのかなー<セッティング
結局、会う事はなくて、ちょっと頼まれごとをされて、そのお礼の品を頂いて、それで話は終わったんですよ。途絶えたというのかなあ。

まあ、なんていうか、私も会いたいような会いたくないような…だったんで、「逢う必要がない…ご縁が無いってことか」と流して終了。

でもね…よくよく考えてみると(いやさ考えてないけど)、1300年前かなあ…私がとある人物だったときの伯母さんだったんすよ。その当時の私の父親の姉ってかっっっ じゃあ身内だし、親戚だから親しみ湧いて会いたいと普通思うのじゃね?って思うでしょ?普通は。

いやさ、そんなことないっす。だって、陰謀渦巻く何とやら…ですもん。私、その人の子供(イトコ)に殺されてるしー(自死と言う形の処刑ね) その頃は身内だから親戚だから血筋だからってのは関係ないって言うのかなあ… 逆にそれだから怖いって言うんかー(オジとメイの結婚とか、母親違いの兄妹の結婚とかもあった時代よ) 継承争いと言うかー とにかく血を血で洗ってた時代ですよ。肉親の情とか関係ない無情の時代。身内は敵って感じですよ。身内だからこそ、殺し合う、陰謀ダイスキーな感じ?

ああ…私は横溝正史の世界が好きだったのか、だから血の繋がりほど当てにならないものは無く、血族や親族は足枷でしがらみでしかない…なんて考えてるのか、なーる!…と。

そして、向こうが「逢いたい」って言ってきたのも何となく解る、でも私は「逢いたくないな」って思ってしまう自分の無意識的な反応もめっさ納得。でもって、間に入ってくれた生徒さんが「逢わせたくない」みたいな無意識の邪魔をしたのも解る。それは私側に立ってのことではなくて、過去生の関係性を考えたとき、当時の私と言う存在(当時は男でしたー)はその方からして邪魔モノでしたもん。今生でヘンにライバル意識剥き出しで張り合ってくるのもすごーく解る。うん… ていうか、その人は当時の私の父親の何人かいる奥さんの一人の父親だったりして、そこもまた複雑な関係。
つーか、ややこしくてイヤだ<人物相関図

この辺りが結びついて、紐解けた時、めちゃくちゃ脱力しました。疲れたーみたいなっっ

なるほどな~それでか~と妙に納得することも多いのですがね。そうですね。それが事実だと仮定するならば、奈良旅行に行った時の不思議ワンダーランド体験も、「ああ…(脱力する感じ)」で理解出来たりする自分がいるわけです。うん、色々とね。あと私の占い師時代のペンネームもなんでコレなのかってのもね…繋がったりする。
あと、安土桃山時代に一瞬だけ、大阪に生まれたことあるんだけど(堺の町が焼ける大火事見た)、なんで大阪、しかも堺なのかってのも、この時に起因しているんだがね。

まあ、そんな感じです。ぼかさなければいけないところが多いので、「???」に頭がなってしまう人も多いかと思いますが、まあその辺りの行間はご想像におまかせします。

今さらだけど、少女漫画って歴史上の人物を美化しすぎだよねぇ。同時に好き勝手に描いて、あーだこーだ言ってくれてるよなーとも改めて思ふ。まあ、今も芸能人の人たちのこととか、好き放題言われ放題に捏造されていたりするから、似たようなもんか。


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