トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑩ ゆっくりやって!

SEのセラピーを受けていたときに、自分が話しながら、無意識に、手の指をこするような動作を続けていたり、足の先を少し動かしながら話したり、ということがありました。自分が意識してそういう動作をしているわけではないし、普段からそういう癖があるというのでもないけれど、皆さんも、普段、じっとしているような時に、無意識に身体が何かの動作をしている、ということがあると思います。

そういう時、セラピストから「ゆっくりやって!ゆっくりやって!その動作をもっとゆっくりやってください!」とよく言われました。
私はその意味がよく分からなかったし、ずいぶん経ってから、別のセラピストにその話をすると、「そのセラピストの言いたいことは分かるけど、言い方がちょっと…」と苦笑していました。

別のセラピストからも、「もしも足が何かしたいことがあれば、それをものすごくゆっくりやってください」「歩く動作でも、一歩進むのに1分くらいかけるようなペースで」と言われました。

前回紹介した、ソマティックエクスペリエンスの創始者のピーター・リヴァインの動画で「タイトレーション」ということが言われていますが、化学の実験で液体を一滴一滴落としていくように、トラウマ反応を解放していくときにも、少しずつ少しずつやっていく、というのが、セラピストの「ゆっくりやって!」ということなのだと思います。

ピーター・リヴァインの著書『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』でも紹介されている症例で、アフガニスタンからの帰還兵、レイのケースがあります。動画でも見ることができます。
患者(レイ)が繰り返す痙攣の動作を、ものすごくゆっくりと(分割して)行うことによって、彼の症状が緩和されていくのが分かります。

彼は、目と顎、頭と首、さらに肩まで広がる痙攣性収縮を示していた。
この一連の流れを中断するために、私(ピーター・リヴァイン)は、彼にゆっくりと顎を開けたり閉じたりしてもらうことにした。
私は彼に、この動きを意識的に何回か繰り返してもらった。毎回、彼の口が少しずつ大きく開くようになっているのが見て取れた。
一連の痙攣の動きをわざわざ意図的にゆっくりと表出させたのは、「オーバーカプリング(一つの現象と別の現象が強く結びついてしまうこと。小さな刺激で大きな反応が出る可能性が高い)」を解消するためだ。
銃撃戦に巻き込まれ、親友を亡くし、爆発で吹き飛ばされたという圧倒されるような一連の出来事を、彼の神経系は処理しきれなかった
この目の動きを「アンカプリング」(オーバーカプリングを解放)することによって、顎を強くかみしめている筋肉を緩めることができた。
私はこの動きを、少し間隔をあけながら繰り返した。この活性化と脱活性化のサイクルが穏やかに進行していくと、レイの目の動きは徐々に「滑らかに」なり始め、痙攣も穏やかになり、身体は統合を取り戻していった。レイはより落ち着いた気分になったと伝えてくれた。
レイはついに「ペンデュラム(振り子)」、脈動、流れといった、動的な癒しのリズムに触れたのだ。

P.A.ラヴィーン『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』(p.140~151抜粋、p.72)

この動画は、どんな映画よりも感動的だし、私には、ピーター・リヴァインが神様のように見えます。多剤併用しても良くならない症状を、薬も使わずに数回のセッションで消失させていくのだから。そして彼(レイ)が、つらさを紛らわせたりごまかしながら生きるのではなく、「ほんとうに」生きることを後押ししていく。

トラウマへの反応や思考過程を単純に理解したり、忘れることで、レイの変容が引き起こされたわけではない。まず、身体に与えられた爆発の衝撃に対する反応を完了させ、「再交渉」を行い、そうすることで、レイの精神と魂の奥深くで凍りついた激しい怒り、悲しみおよび喪失の感情を「溶かし」、処理していったのだ。

私が用いたSEは、過剰に学習されたトラウマの反応を「忘れる」ことではない。無力感に打ちのめされた体験と反対の、「まったく新しい体験を創る」ことに重点をおいている。

P.A.ラヴィーン『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』(p.168)

トラウマを抱える人は、慢性的な収縮状態に陥っている。こうした身動きの取れない収縮状態では、将来も何も変わりはしないと感じられるのである。この出口の見えない囚われた状態のために、トラウマを抱える人は、強い無力感、希望のなさ、絶望にはまり込んでしまう。収縮した感覚は、非常に恐ろしく、果てしなく感じ、そのうえに出口も見えないために、身体を感じることは、ありとあらゆる手段を使って避けようとする。身体が敵になってしまったのだ。体験を感じると、まるでトラウマが再び体験される前兆のように感じられるからだ。

しかし、人々を「凍りつき」とトラウマ状態に縛りつけているのは、実はこの回避行動なのである。トラウマを抱える人々は、穏やかな導きがあれば、「体感を数秒間『そっと感じる』だけなら、なんとかやれる」と気づく。ほんの少し身体を感じても、「決して死なない」ことがわかるのである。麻痺し、「シャットダウン」しているために、身体を感じることを非常に不快に思うことがあるが、穏やかで、かつ確固とした導きを得れば、強い抵抗を少しわきにおいて、ほんのわずかでも好奇心を感じることができるようになる。そして、感覚をほんの少しでも感じることができると、わずかだが、収縮から拡大へと移行する。そしてまた自然に収縮へと戻る。しかしこのときの収縮は、以前ほどガチガチで空恐ろしくは感じられず、また再び自然に穏やかな拡大へと移行していく。

P.A.ラヴィーン『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』(p.87)

話が少しそれますが、ピーター・リヴァインは著書『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』の中で、「前線から帰還した兵士たちは、目に見えない苦痛を家庭に持ち込み、そのトラウマは家族を、やがては社会を蝕んでいく。兵士に対して適切な治療が行われていないことは、国家としての責任放棄だ」と書いています。戦争トラウマは日本にもあるし、それが世代間へ連鎖されていきます。いいことなんて、ない。

私は、普段の生活で、自分が無意識にしている動作を、ものすごくゆっくりやってみることにしました。そして、自分の身体がどのように変化するかを観察してみました。

ある時、横になりながら、両足の先を動かすという動作を自分がしていたので、それをゆっくりやってみようと思って、ものすごくゆっくりやってみると、なんともいえないじわーっとした感じが体にひろがって、しばらくして、少し手に汗をかきました。セラピストによると、汗というのも、トラウマのエネルギーが解放されている(ディスチャージ)のひとつだそうです。

こういう感じで、日常で無意識にやっている動作を「ゆっくりやってみる」ということを試しています。
トラウマ症状に悩む方の参考になるかもしれないと思ったので、書いてみました。