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『カッコーの巣の上で』 読書ノート④

10年以上前に読んだ記憶の、ケン・キージー/著『カッコーの巣の上で』を再読している。当時、精神病のことを調べているうちにロボトミーが描かれている映画ということを知り、先に映画の方を観た。後に原作を手に取る。過去のわたしは映画より、原作のほうがいいと思った。映画を観ただけでは、タイトルの意味も解らなかった(でも、原作を読んだうえで、もう一度映画を観たら、感想が変わるかもしれないけれど)。

原作は、チーフ酋長の視点で語られていて、意表を突かれた。でも、それによって、タイトルの意味を知ることができた。
チーフ(ブロムデン)は父親がインディアン。だから、カッコー=侵略者の意味なのだ、と。この作品に出会って、カッコーが、他の鳥の巣を乗っ取る習性があるということを知ることもできた。

この物語は60年代の精神病院が舞台。
体制に抗うマックマーフィと、独裁看護師長ラチェッドとの闘いをチーフの視点で描いている。
マックマーフィが新入りとしてやってくる前は、安全な霧の中に身を隠そうとしていた同じ病棟の患者たちが、彼に感化され、マックマーフィの後についていく形ではあるが、看護師長に反抗し始める・・・

マックマーフィと出会ったことによって、チーフが自分を取り戻す物語でもある。
コンバイン=カッコー=侵略者=支配者によってつぶされた、人として、ネイティブ・アメリカンとしての誇りを取り戻す。

子どもの頃、インディアンって残忍で恐ろしい人種だと思っていた。侵略者によって、そういう「植え付け」をされていたことを、大人になってから知った。「歴史は勝者によって書き替えられる」とも言われていますね(教科書の歴史を、わたしは信じちゃおらんです)。

ロボトミー手術は、何十年か前まで日本でも行われていたということを知ってゾッとした。日本は世界一、精神病院のベッド数が多いのですよね。
今の時代で言えば、コロナ騒動のおかしな点に気づいてまわりに訴えているわたしみたいな人が、何十年か前なら、精神病院に連れていかれていたのだろう。体制にとって邪魔な人々が閉じ込められていたのでしょう。
今の時代は「ウツ」だという人が多いけど、これにもカラクリがあるのよね。わたしはそのカラクリを見破ったから、今は元気です。日常生活をふつうに送れなくなったときも、絶対に向精神薬と睡眠導入剤は服用しないことを決めてました。あんなに苦しかったのに、その判断をした過去の自分に感謝してます。
ひとによって、薬で良くなる場合もあるそうなので(プラセボ効果かな?)一概に薬が悪とも言えませんが。

「そんなこと、おれにわかるかい。何だっていいんだ、投票すりゃあ。わからんのか、あんたらがまだ少しでも勇気があるってことを示すようなことをしなくちゃいかん。あんな女にいいようにされていちゃいけないんだぜ、ええおい。ここにいるあんたらを見てみろ、酋長が自分の影におびえているとか、あんた言ったが、おれに言わせりゃ、あんたらみてえにびくついた野郎どもを見るのは初めてだぜ」
「おれは違うぞ」と、チェスウィックが言う。
「たぶんあんたは違うかもな。しかしだ、他の連中を見ろやい。口を開けて笑うことさえできねえほどだ。いいか、ここへ来ておれが気づいたのは、それだ。つまり、誰も声を立てて笑う奴がいねえってことだ。あんたらはそれに気づいているか? 笑い声をなくしちまったら、あんた、自分の足場を失うようなもんだぜ。男のくせして、女にいいようにやられて、笑うこともできねえ。そうなりゃ、あんた、てめえの一番大切なもんまでなくしちまうってことだ。そしてさ、すぐにも、女のほうがよっぽど自分より強いんだと考えるようになる。それにーー」

(マックマーフィのセリフ)

問題を提起して、寝た子を起こそうとするマックマーフィのことを、迷惑に思っている面もあるけれど、魅了されてもいるチーフ(酋長)。

精神病院の世界を描いているけれど、この舞台は世界の雛形で、今の日本に見えてしょうがない。わたしはマックマーフィの気持ちが解る。コンバイン(体制)は確かに悪いけど、被支配者のほうにも悪い面はあると思うのです。


※余談ですが、映画には、若かったころの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドク(クリストファー・ロイド)が出演しています。テイバーという役です。ドクとはイメージが違うので、興味のある方は、映画を観られてみては? (映画は75年アメリカ)