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自分の心と向き合って感じること(働き方編)

多くの人は将来の自分が理想的な生活を送る為に働いています。

将来のお金の為に今を犠牲にして働いたり、時には自分の健康リスクよりお金を稼ぐことを優先しながら働いたりもします。

勿論、誰しも将来に対する不安は少なからずあるでしょう。
物価高や年金問題といった不安要素は存在します。
そして仕事を頑張ることで何か目標を達成できたり、頑張りが生きるうえでのモチベーションに繋がるのであれば良いことだと思います。

ただ将来が漠然としている中で、今の自分がしんどい思いをしながら、どうなるかわからない将来に向けて思考停止状態で走り続けることに私は少し疑問を感じます。
それではあまりにも犠牲が大きすぎるとさえ感じたりもします。

今という時間は確実に存在します。
一方将来については予測がつきにくいものです。
人生はいつ終わるのか誰にもわかりません。
そしてたとえ終わらなかったとしても、老化や病気で身体が衰えている可能性もあります。
少なくとも今よりは衰えている可能性は高いでしょう。
人生の中で今この瞬間が一番若いのです。

将来のために今を犠牲にしながら働きつづけることは、一見堅実な生き方に思えます。
でもその結果健康を損ねて将来をダメにする場合だって考えられるのです。

私の好きな哲学者の一人に『エピクロス』という人がいます。
エピクロスは『快楽主義』を主張しました。

快楽主義とは現代でいう豪華な食事や派手なファッション、生活といった享楽的な生活ではありません。
エピクロスはこの様な言葉を残しています。

「快楽こそが人生の目的」
「快楽とは肉体の健康と精神の平穏」

つまりエピクロスが主張する快楽は、身体の健康と精神の平穏にあるのです。

肉体の健康とは、飢え・渇き・寒さといった生活するうえでの苦痛を取り除いた普通の生活です。

精神の平穏とは、自然で必要な欲求(健康・食事・住居・人とのふれあい)のみを求めていけば心は平穏に保たれるということです。

多くの欲求を求めて自分を満たすよりも苦痛を避けること、そして自然で不必要な欲求(贅沢な食事や住まい)、不自然で不必要な欲求(名声や権力)を避けることこそが、幸せに平穏に過ごすために大切だと主張しています。

エピクロスの唱える『快楽主義』は現代社会にも通じる哲学だと感じています。

世俗的な快楽を追及するのではなく「足るを知る」生き方。

苦痛を避けること、働きすぎないこと。

健康・衣食住・人とのつながりを大切にすること。

もっと稼ぎより良い生活を求める社会。
でも、そこには何かしらの犠牲が伴います。
残業を増やせば残業代はつきます。
でも代わりに自分の時間や家族との時間、そして今を自由に過ごす時間が少なくなります。

今より仕事で稼ぐことができれば欲しいものが手に入ります。
でも欲望にはキリがありません。
更に今よりも豊かな生活を求めます。
そして豊かな生活を実現するためにもっと働きます。
こうして終わりなきラットレースが始まるのです。

人によっては仕事を頑張って出世した結果、職責にプレッシャーや苦痛を感じ身体を壊す方もいるでしょう。

働き方が多様化している現代だからこそ、今を犠牲にして将来の不安に備えるだけの生き方から、今この瞬間生活できているありがたみさや今を楽しむ生き方が大切なのではないでしょうか。










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