見出し画像

「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる【読書感想】

博報堂出身、現在は「GO」という会社を経営する広告屋の三浦崇宏氏が9人のクリエイター/リーダと対談する本。三浦氏はSNSによる監視体制が発達した現代を「大物にはなりたくないが、何者かにはなりたいと多くの人が願うようになった時代」と分析する。こうした時代に生きる人と対談を重ねてその物語を紹介しようというものだ。

対談するのは、個別の問題の中にこそ、真実があると思うから。インタビューで「これから世の中どうなりますか?」と問いかけられても漠然としたことは語れる。だが、目の前の個別具体的な悩みの方が真剣に考える。そうして出した答えの方が結果的に他の人にとっても納得性のある不変の答えになる。本稿は若手インフルエンサーくつざわ氏との対談を取り上げる。

くつざわ 私、何者かになりたくて仕方ないんですよ

くつざわ氏は「女子大生あるある」の動画がバズって3日で5万人のフォロワーが増えた若手クリエイター。現在はSNSを通して動画を制作、記事・エッセイの執筆なども始めSNSマーケや企画も請け負っている。

だが、取材時は20歳で、ブレイクした「動画」しか武器がなかった。しかも、それを捨て、好きな仕事である文章の割合を増やしたいと考えていた。とはいえ、動画に惹かれてフォローした人は当然、文章を求めているわけではない。

マーケティング的には、くつざわ氏は動画を極めるほど、「あのくつざわが文章を書いたらどうなるの!?」と注目され頼まれるようになる。

昔は大工を極めて明治神宮の宮大工に…と言うように、道は1本だった。しかし、今は「一つのことを突き詰めれば、他の事も頼まれる時代」だ。例えば落合陽一氏のようあnに、学者またはメディアアーティストだった人がSDGsの解説本なり恋愛コラムなりを頼まれ、読まれる。

しかし、くつざわ氏は動画より文章の方が好きだという。かつ、若いうちに成功したい。

三浦「くつざわさんも、周囲の期待が高まった後に、文章へシフトチェンジするのが良いんじゃない? 『高さを身に着けてから、広さを身に着ける』ってやつ
くつざわ「でも、うーん…。」
三浦「若いうちに成功したい、もっと早く『幅』を手に入れたいの?」
くつざわ「私、何者かになりたくて仕方ないんですよ」
~~
三浦「何者かになりたいってはっきり言えるのって、超いいよね。みんな思ってるのに言わないじゃん。かっこ悪いし照れ臭いから」


「何者かになりたい」の正体とは

単に「何者か」になりたいのであれば動画の道を究めるほうが効率的だ。しかしそれが嫌というなら、くつざわ氏の「何者かになりたい」という欲求に向き合う必要があるだろう。

三浦氏との対談を重ねるうちに、くつざわ氏の望みは「文章で影響力を持てる人間になりたい」だと明らかになる。自分の文章で人を動かして、それが結果的に経済現象になるような人になりたい。コラムが何十万PVと取って、1回のタイアップで大金を得られる。そんな人間になりたい。

そこで、三浦氏は今度は動画を捨てろとアドバイスする。

もっとシンプルになった方が良いよ。くつざわさん、頭良いから手数が多いんだよ。あのね、才能って人より何か能力が高いことだとおもってるひとが多いけど、違うよ。才能って人より何かが足りないことなんだよね

三浦氏によれば、何かが足りないから早いうちにスタートを決められる。
例えば木刀の素振りだけをやってればそれなりのものになったかもしれないのに、木刀とグローブと弓矢を渡されてそれぞれちょっとずつ遊んでたら、気が付いたら何も使えないままになったという大人をよく見る。くつざわさんはそうなってはいけない

これだけなら、頭は良いけどちょっと無責任な大人のアドバイスと言う感じなのだが、その後寄り添う姿勢が印象的だった。最終的に対談後のくつざわ氏は動画をいったん捨てて、文章の道を歩み、今ではゼネラリストとして開花している。

くつざわ「でも私、怖いんです。一時期バズって数字を出したやつがいきなりジョブチェンジして文章書きました、でも全然反応がありませんって状況が。人の目気にしいなんですよ私。」
三浦「よくわかるよ。俺だってぶっちゃけ息を吐くようにエゴサするし。でもそんな気持ち悪い自意識のある奴しか、ツイッターのフォロワー数1万超えないから。
~~
だけどさ、くつざわの能力やセンスは減らない。いつでも取り戻せると思った方が良いよ」

ものまね動画を一度封印したくつざわ氏が、1年後に解禁したものまね動画

「何者か」になれば幸せなのか?

三浦氏は、数々の広告の賞を獲得した三浦氏は現在、独立して会社を立ち上げ軌道に乗せている。成功者であることは間違いない。

だが、本書執筆の37歳時点では頻繁に孤独を感じているという。22歳の自分と会話するとして「賞はほとんど取ったし成功したよ。でもね、あんま幸せではないんだよ」と伝えるそうだ。

というのも「なんとかしないと」という焦りは20代から解消されていないからだ。

当時の方が幸せだったなどときれいごとを抜かすつもりはない。いいものも食べれるし、買えないものもほとんどない。でも、不安もあるし、孤独もあるし、何よりもっと実力をつけたい。つまり「何者かになりたい」と願うのはずっとしんどい人生を選ぶことなのだ。

「何者かになる」のは他人の相対的な評価を気にして生きること。
「幸福になる」のは自分の絶対的な評価軸を作ること。

この二者は相性が悪い。それでも何者かになりたいという覚悟がある人にとって三浦氏は次のように述べる。

「日本一のバリスタ」というように「何者か」かどうかは知名度と影響力で測られがちだけど、それは副次的なもの。大事なのは誰かから具体的に求められる技術や職能の方。くつざわさんにも言ったが、知名度と影響力が先についてしまってお声がかかっても、自分に技術や職能が無ければ応えようがない。結果、自分の人生を切り売りする羽目になる。取り返しのつかない怪我をすることもあるだろう。何者かになりたいと願うあまり、知名度と影響力だけを手に入れようとすると、事故る。シンプルな話だ。

本書の所感

自分には縁がない広告業界の人たちはの思考や言葉に触れ、新鮮な読書体験だった。特に、個別の原体験にこそオリジナリティがあり物語があるという発想は、頭でっかちで総論から入りがちな私ではなかなかできない。

あと広告業界の人たちは口が上手い(笑)耳障りのいい言葉やたとえ話がするするっと出てきて、そういう意味でも面白かった。

正直に言うと本書はタイトルの「何者かになりたい人へ」というテーマについてはくつざわ氏以降、あまり向き合っておらず、対談相手や相談内容もバラバラで、良書とはいいがたい。一番の目玉である糸井重里氏と三浦氏の対談は尺が長い割に話が抽象的だし、広告業界の世代論が長くて、一読者としてはあまり期待した内容ではなかった。しかし、9人のクリエイターとの対談の随所にオリジナリティが溢れた1冊であることは保証する。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?