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資本主義と男と女と(過激注意) 

「男はビジネスに向いている傾向があり、女は家事育児に向いている傾向がある」  
(異論は認める。むしろ反例を集めたい)

今の時代、こんなことを言ったら怒られるかもしれない。

が、あえて声を大にして言いたい。

これは僕が生きてきて、そして社会人になってからより強固に感じたこと。
そして大部分の人たちが口にしずらいこと。

ビジネスにおいて必要なのは、ものごとを「合理的」「論理的」に進めることだ。

対して、家庭での仕事には「感情的」なつながりが、子どもの感性を育む上で重要になってくると思う。 
ある程度の年齢に達すると、「論理」を教える必要があるとは思うが。

こうした違いを踏まえると
やはり男性、女性にはやはりそれぞれの「適正」があると思う。



ところで最近、「男女平等パンチ」という動画をツイッターで見た。
女性が男性に殴り掛かったのに対して、男性が相手を付き飛ばすというもの。女性がカウンターパンチをどでかく食らっていた。

「なんてひどい男!!」

僕は始め見た時、そう思った。が、コメ欄には、
「これが男女逆だったら、女性に拍手喝采なんだろうな」
そういった旨のコメントを多く見た。

この時、ハッとさせられた。
私の周りでも同じような事が起きている。

女性が男性にプライベートなことをズバズバ聞いてきて、それを女性に投げ返すと、「それはセクハラですよ」と言われている男性上司。
一般に、男女が対峙した時、自分の気持ちをストレートに伝えやすいのは、圧倒的に女性だ。 
男達は気を遣って、言葉をめちゃくちゃ選んでいる。
会話の中で男女逆だったら、「違和感」を覚えるなと思う場面はこのように大いにある。

生物学的に身体的な差異は必ずあるから、先程見た動画にはやっぱり抵抗はあった。

「男は女と接するときは手加減すること。」
「男は女から攻撃を受けても、受け入れるくらいの余裕がないと男として恥である」


だがこの価値観。 
職場において本当に必要だろうか。
「男女平等」とは何だろう。
「男も女も性別によって差別されず、個人の能力を見て正当に評価される」
これこそが真の男女平等なのでは無いのだろうか。

今の社会は、「女性優遇」が加速されている。

なのになんだ。
感情的に噛みついて、ちょっとでも反撃を食らおうものなら「女」であることを理由に、被害者を装う女たち。

僕はゲイだ。

「男として」「男だろ」「男なら」「男なのに」「男のくせに」「男たるもの」「男だから」「男には男の、、、」

ああうざうい!!

なぜ、男という理由だけで、
男はみな
「攻撃的なもの」「女性を性的な目でしかみないもの」「女性より出来てないと恥」
こんなレッテルを植え付けられるのだろうか。


女は良いさ。家庭に入る逃げ道があって。吠えても女であることで許容されて。弱くても女であることで受け入れられて。、、、。



そしてもう一度。
僕はゲイだ。

身体的な意味での女性の辛さを、体験することは出来ない。
が自身の内包する「女性性」と、現代の社会構造に関して思うことはある。
(※ゲイ全員が女性的では無い。
 あくまで個人ベースで見た時に、私は女性的傾向が強いと感じるだけ。)

まず給料。
資本主義をベースとしたこの世界では、「論理的であること」「合理的であること」「競争的であること」。
これらの「素質(=持って生まれた性質)」が圧倒的に有利に働く。
そして、これらは基本的に、男性が自然と兼ねている場合が多い。

だから、一般的な女性(あえて一般的と使う)は、向いている職種が少なく、かつ必然的に給料の低い仕事に付かざるを得ない。
自立して生きるのが難しくなる。

「えっ、それってなんかおかしくない?理不尽じゃない?悔しくない?」

女性に生まれただけで。 
持っていたものが「女性らしさ」というだけで、 
自立すら難しいなんて。

男に「入る」ということでしか生きていけない 
あの感じが実に不愉快!
本当にやるせなくなる。


男はいいよね。お気楽で。
女は、どれだけ血反吐はいて努力しようが、男には叶わないという現実を突き付けられて、めっちゃ悔しい想いしていることを知らんだろ! 

なのに男どもは、
「これだから女は」「女の子はやっぱりかあ」 

少しでも頑張って、気概を見せれば、
「おお怖い。そんなんじゃモテないぞ」  
「もっと女性らしくしようよぉ」 

能力があって結果を出せば
「男を立てることはできんのかね」
「仕事は出来ても女としてはダメだね。」

ふざけんな! 
女も好きで、男に媚び売ってるわけじゃねえんだよ!

「女性」を多く落としていた医学部入試のニュースも記憶に新しい。
そもそも、土俵にすら上がることが難しいやんけ、、、。
(この面に関して僕は、男としての特権を享受してきたのだと感じる。)   


ビジネス能力のある女性に関しては、私自身最近思うことがある。
会社に入れば「会話」や「行動」で能力というのは意外と分かるものだ。
女性でも「ビジネスのスペック」が高い人が居れば、一緒に仕事をしているメンバーも当然分かると思う。
それを性別でわからないという管理職がいるならそいつが無能なだけだ。

だからそういう能力のある女性達が、 
「女性だから正当に評価され無い」という事は少なくなってきているように感じる。
 政府が女性管理職の割合を数値目標として掲げていることには「誰得?」と思うけどね。



しかしやはり、この社会では、
「男性性」を持つ方が、自立して生きていくには圧倒的有利であること。 

これは、「多くの女性」や「女性性の強い男性」に生きづらさを与える要因になっていることは間違いようのない事実だろう。

世の中には男と女がいる。そして「女性性」と「男性性」がある。それはグラデーションである。
男性でも女性的な傾向が強い人もいるし、女性でも男性的な傾向が強い人もいる。

男らしさを常に求められ、弱音を吐けない男。
持って生まれた「女性性」を活かせるフィールドが、資本主義社会では圧倒的に少ないが故に、
必然的に「女性性」を殺すか、「男を頼る」選択を取らなければならない女。

男と女、どっちも生きづらい。
じゃあどうしたらいいんだろう? 


僕はこれに尽きると思っている。
「自分の能力を相対的に見て、自分のポジションを的確に判断し、居場所を見定める」こと。

ツイッターで女性が殴り掛かった動画は、あきらかに「自分の能力値を勘違い」していた例だ。
加えて、あの女性の中には「男性が女に手を出すはずがない」というバイアスがあったのだろう。

負ける勝負に自ら加わって、惨敗する必要ない。

女っぽい僕は、自分が「資本主義社会的には」弱い立場であることを自覚している。

女には、「男」というパートナーを選択する手段があるが、僕にはそんなパートナーと出会える確率は一般的には低い。

だからまずは、より楽に自立して生きる方法を考える。

勝ち目のない勝負には、わざわざ加わらないこと。
ゴキブリのごとく、網目を潜り抜けながら生きていく、、、

弱いと思っている自分にできること。
「小さい暮らしで満足する精神を身に着ける」 
とか
「自分と似た感性で、うまくいっている人を参考にする」 
とか、
できることは沢山ある。

男~とか、女~とか、色々面倒くさいけど、
「自分の強みと弱みを知って、適切にそれを活かしていける人」
が、結局一番強いよね。












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