だいすけ
大学時代、ずっと片想いしていた友人との話。 大学卒業後、 彼から「富士山に行こう」と誘われ、 二人で登ったことがある。 その時私は社会人。彼は大学院生だった。 お互い陸上経験者だったとこともあり、登山自体は案外あっさりと終えた。 登山後は、二人で富士急ハイランドに行った。 僕はあまり乗り気でなかったが、彼の「どうしても」という願いで、FUJIYAMAに乗ることになった。 順番を待っている間は、登山や学生時代の話など、他愛もない無い話で盛り上がった。
例え、若干ズレていたとしても、 うまくリフレーミングして自分の心を落ち着けることができれば、精神的に安定はするはず。。。 ズレてる自覚があれば、それを他者に言わなければ良い話だしね✨
いわゆる悪い方での、『真面目』な自分をすごく嫌だなって思う時がある。
自分へ 男の言う方が100正しいとか、 そう言う発想はよくないと思う。
『ユーモア』ってめちゃくちゃ大事! ユーモアがある所に人は集まるし、笑顔も増える。 かくいう私、ユーモアはある方だと思っていた。 しかし私のユーモアは、『笑わせるユーモア』というより『笑われるユーモア』。 いや、これでも人を楽しませることができていた学生時代は純粋に楽しかったし、なんの疑問も抱かなかった。 しかし社会人になって『笑われる』ユーモアを連発するとどうなるか、、、 そう。『舐められる』 舐めらるとなぜダメなのか。それは仕事を押し付けやす
自分の不機嫌とか不安定さを周囲の環境のせいにしてる限り、自分が変わることはない。 冷静に状況を俯瞰すれば、周りと比較した時に、能力の足りなさに気づくはずだ。 結局不平不満ばかり言っている人は、『自分能力無いです』って言ってるようなもん んー、、、アタシじゃん!!笑
感情論や正論に囚われて、場の状況を読めなずに独りよがりな行動をすることも多いので、 自分の中にある答えに対して頑固になるのではなく、周囲と合わせてやっていくことも時に大事だと感じる。 言葉にするのは簡単だけど、それが簡単にできないからもどかしいんだろうけどね〜笑
私には、自分と価値観の違う人を受け入れることのできない器の狭さがある。
浮気に関して、自分と関係のない他者(同じ職場の人)がする分には全くもってなんと思わない。最近はオープンリレーションシップなんて言葉もあるしね。 けれど、自分の結婚相手は、絶対に浮気しないような人をえらぶ。 もし浮気した場合は、○す。 くらいのスタンスでいる。
自分で言うのもなんだけど、他者の表情や感情ばかりに目がいってしまい、職場では過緊張になってしまう。 その結果、ネガティブな感情を抱きやすい。それを消化するには、私にとっては様々な『表現』が重要で、表現によるデトックスを行うことで明日への英気を養うことができるのだと思う。
私のnoteに度々出てくる彼の話よ。 はたまた彼から、連絡があったの。 今年のゴールデンウィークに彼を含めて、 大学仲間5人でゲストハウスに泊まろうっていうお誘い。 今の私にはアプリを通じて気になる人がいて、しかもその殿方とはちょっと良い感じなの。 それもあって、彼への恋心は既に無かった。 でも、ゴールデンウィーク暇で暇でしょうがないっていうのもあったから、今回のこの誘いには乗ったわ。 そこで船やレンタカーの予約を諸々勧めていく事になるんだけど
考えすぎる自分を否定すると、自分を否定することになるから、一旦受け入れて、この気質をうまく活かす方向にシフトしたいのよね。私は。
変に無理して自信つけましたみたいな人いるけど、そういうのは嫌。 地に足ついた、自然体の自信が欲しい
人としての本質がきちんとしていれば、 優しくてもロジカルでも、気遣い屋さんでも大胆でも 男っぽいとか女っぽいとかそんなんでも いいと思う
自分の感情に素直になることは、とても重要である。
宗教をしているからって、その人に苦手意識はない。 ただ大体ハマってる人って、自分の宗教観を他人に押し付けてきたり、世界のあり方を決めつけていたりと、客観性を失っていて、そういう所が嫌い。