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変わらぬ想い  小さな違和感は潜在意識からのメッセージ 「気にし過ぎなんかじゃないから大丈夫だよ」

January 23, 2020のアメブロの自分の記事を読んでみた

泣いてばかりいた昔を思い出した。
そのまま、ここに当時の気持ちを忘れないように少しブラッシュアップしながらここに・・・

***
講座やワークショップなどHSPの活動の中では、
言葉にならないような感動、胸がジーンと熱くなる瞬間と何度も出逢う。

同じような人がいるんだってホッとした瞬間の皆さんの

緩んでいく肩の力
和らいでいく表情

そして、そこからまた紡ぎ出す生きた言葉たち


多くの人からみたら些細なことに動揺しやすく
些細な事が気にかかり、引っ掛かりを感じてしまう。

それは、私たちにとっては些細な事ではなく重要な事だったりもする。

多くの人が気づかない、
気づいたとしても気にも留めないようなような出来事を感じ取る
小さな違和感に気づきやすく、察しやすいからこその感覚。

その気づきは私たちにとって、些細な事なんかではなく案外重要な事へのメッセージだったりもするのだと感じる。だからこそ動揺してしまったりするのだ。

周りの人の「気にしすぎなんじゃない?」なんて言葉に、
私たちは、せっかくの察する力を封印して、鈍感力を磨こうと頑張ったり、違う何かになろうと努力しては疲弊する日々。

性格はそれぞれ違うけれども、ベースに近い気質を持つ方々の話を聞き、
「あっ、わかる」「わたしもそう」と受容と共感を体感する中、あっという間に自己理解を深め、一緒に参加している人を認めていく中、自然な形で自己受容力が育まれていく。

マイノリティであり、察する力もあるだけに、普段は周りの人達との違いばかり感じる機会が多く、わたしの感覚って変なのかな?そう感じることが多いHSPやHSCの気質を持つ人たち。

近い気質の集まりの中では…
「あっ、わたしだけじゃなかったんだ」って、思考だけではなく身体全体で感じ取っていけるような、そんな感じだろうか。

ノウハウではなく体感して腑に落としこめられていくのが1番。
頭だけで理解するのではなく、思考と感覚と紡ぎ合わせるように…自然と腑に落ちていく。

わたしは小さな頃から泣き虫で…
『なんで、ちょっと言われると泣いちゃうんだろう』と
泣いちゃう自分が恥ずかしかった…
それもウワァーンなんて自己主張で泣くことはなく…シクシクと泣く…1番いじめられやすいやつ。
あの頃のわたしは何が1番悲しかったんだろう
学校へもいかず、ひとり西日のあたる部屋で膝を抱えて座っていたあの時…わたしは何を思っていたんだろう
脳裏に残る光景と胸締め付ける想い
大人になってもよく1人の部屋で布団かぶって泣いていたっけ
あの頃の自分が抱えていた想いは何だったのか…蓋をして見ないようにしていたけれども。
あの頃、感じ取っていた小さな違和感のひとつひとつを紐解いてみたい気もする。


今でも、映画の予告編とか祭り太鼓の音とか…へんなところで1人涙ぐむし、講座などでみなさんの想いとか聴いてると涙が滲んでくるけれども、随分泣かなくなったものだなと思う。
(講座の中でのシェアタイムには、皆さん涙ぐんだり笑ったりと自然な感情があふれ出てほほえましい)

今、昔のような辛い想いがなくなって、随分気持ちが楽になっているのは、わたしの感覚をわかってくれる方々との出逢いや、わからなくとも認めてくれているって感じ取ることが出来る事が増えてきたからかもしれない。

(離婚して、あれこれ圧がかかる生活からスッキリと離れた事も大きい)
周りを気遣いながらも、自分の想い、感覚を大切に日々を過ごしていけるよう…

そして今まで生きてきた中で得た智慧や活動の中、皆さんから頂いた様々な智慧や気づきを講座の中でも伝えていけたらなと思う


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