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パラレルワールド新聞 社説 : 「そもそも香港で「雨傘運動」は、なぜ起こったか?」 <ー 基本、イギリスが中国に遊ばれたせい & 中国にとって約束はゴミ

今回は「そもそも香港で「雨傘運動」は、なぜ起こったか?」、どうして「アグネス・チョウさん」が最終的にカナダに行く羽目になったかについて見て行きましょう。

パラレルワールド調査部によりますと「そもそも香港で「雨傘運動」」が起こった大本は中国の条約破りがリークされたせいだと思われます。

というのは、2014年12月に、香港の「高度の自治」を明記した1984年の中英共同声明について、1997年の返還から50年間適用されるとされていたが、2014年11月に駐英中華人民共和国大使館が、「今は無効だ」との見解を英国側に伝えていたことが明らかとなりました。これは、中華人民共和国が香港の民主化運動に対して強硬な姿勢を示す一環として行われたもので、英国や香港の民主派からは強く非難されました。

香港の「高度の自治」は、1984年に中華人民共和国とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国が香港の帰属をめぐって共同で発表した英中共同声明によって定められました。この声明では、イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中華人民共和国に返還し、香港は中華人民共和国の特別行政区となることが明らかにされました。また、中華人民共和国は、社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束し、「一国二制度」の原則を掲げましたが、嘘っぱちだったということです。

しかし、2014年には、中華人民共和国が香港の行政長官選挙における候補者の選出方法に関する決定を発表し、民主派が求めていた普通選挙の実現を事実上否定しました。これに反発した香港の市民は、中央政府による香港の政治的自由の侵害に抗議する大規模なデモを起こしました。このデモは「雨傘運動」と呼ばれ、世界的な注目を集めました。

このような背景の中で、中華人民共和国は、英中共同声明は「歴史的文書」であり、「今は無効だ」という立場をとりました。これに対して、英国は、英中共同声明は「国際的に拘束力のある合意」であり、「一国二制度」の原則を尊重するよう中華人民共和国に求めました。香港の民主派も、英中共同声明は香港の「高度の自治」を保障する重要な文書であり、中華人民共和国の一方的な無効宣言は受け入れられないと主張しました。

これらが「そもそも香港で「雨傘運動」は、なぜ起こったか?」のかいとうでもあり、中国は約束を守らない証拠です。

英国も黒歴史は、中国に負けないものの、100年単位の条約を守る英国と中国は大違いと、パラレルワールドの住人は考えています。 

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