小説『ワンダリングノート・ファンタジー』(10)服を着替えて
Chapter 10
机の上に置かれた絵本を見たトムは、慌てて布団を被り、その中へと潜り込んだ。そして彼自身の「Myルール」に従って、呪文のように呟いた。
「優先順位①着替える ②朝ご飯を食べる ③牛乳を飲む⋯⋯いや、これは2番目で⋯⋯」
トムお得意の能力はなかなか発動せず、額には汗が吹き出してきた。
「思考より、行動だ!! まずは顔を洗う!!」
ベッドから飛び起きて、一目散に階段を駆け降り洗面所へと向かった。蛇口から勢いよく流れる水を両手で受け止め、目が染みるほど顔を洗った。レナの言葉ではないが、「勢いは正義」が彼にとっての第二の信念であり、冷静さを取り戻すための手段だった。
「ストロー二本で時短飲み、着替えたら、次は⋯⋯」
普段寝坊した朝でも、牛乳だけは欠かせなかった。細口ではない普通のストローを二本、牛乳瓶に入れて一気に飲み干す戦法に出る。そして彼は朝食も取らずに自室へ戻り、学生服に着替えた。
「小説家としての僕は⋯⋯いや、小説家としての僕が今ここにいる」
未来の理想の自分を演じるため、彼はプライベートでも制服姿で過ごしていた。この自己暗示による気持ちの切り替えが、トムの最大の武器だった。
「これからこの本を持って、あの公園に行く。そしてこれを処分する」
右脇に絵本を抱えたトムは、昨夜の出来事による不安の波が押し寄せないよう冷静に外出の準備をし、玄関を出た。
「落ち着け⋯⋯何てことはない。普段の足取りで、公園に向かうだけだ」
休日の公園は、トムにとって不可欠なエネルギー源だった。自然の恵みを感じられる、この上ない娯楽として彼のルーティンに組み込まれていた。
「僕はこの本を読まないし、開くこともあり得ない。仮にこれが他の誰かのモノで、間違って僕に届けられたとしても、僕は自己保身のために、これを処分する」
誇張して自分に言い聞かせながら、イメージを巡らせた。本を処分するといっても、ただベンチの上にそのまま置き去るつもりでいた。昨夜警官と一緒に座り、その下の水たまりから眩い光を放った忌まわしいベンチが目前にあった。
「ここだ⋯⋯。このベンチが君の居るべき場所だよ。『仲良く』ね」
トムはベンチの端にそっと、直視せずに絵本を置いた。表紙か裏表紙かも確かめず、ただ手を離した。その瞬間、彼の心の重荷はたやすく解放された。
「ふう⋯⋯。不思議なことの一つや二つ、生きていれば経験するものさ。そうだ、売店でツナサンドを買って、いつものベンチで食べよう。今日は天気がいいし、きっといいアイデアが浮かんでくるはず⋯⋯」
ふと、レナの笑顔が浮かんだ。昨夜の恐ろしい出来事ばかりが頭を占めていたが、本当に心配しているのは彼女の安否だった。しかし、その思いはすぐに強い不安によって押しのけられた。
(①あのお巡りさんが正気に戻って、この本が僕の忘れ物だと思った。②あの黒い影が、またお巡りさんを操って僕を狙っている)
トムは昨晩の記憶の蓋を少しずつ開け始めたが、彼の本能はそれに触れることを避け、すぐに思考を切り替えた。
「パンドラの箱か⋯⋯よし、次の小説のネタにしてみようかな」
ショッキングな出来事をポジティブな創作思考へと転換した若い小説家は、得体の知れない「絵本」を置き去りに、そのベンチを後にした。
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