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【アジカンショートショート①】忍者教室

 日本史の授業中に突然、首筋にチクリと痛みを感じた。
 首筋を手で確かめてみると、何かが刺さっているじゃないか。

「なんだ、これ」

 ゆっくりと引き抜いてみると、先が鋭く尖った針のようなものだった。首筋に痛みは残っていたが、どうやら出血はしていないようだ。
 ひとまず安心するも、ちょうど授業で取り上げている安土桃山時代の戦乱のように、心は疑心暗鬼にかられ穏やかなものではない。
 クラスの誰かのイタズラだとしても笑えない、だいぶ悪質なものだ。後ろをチラチラと見ても、それっぽい不審な動きをしている奴は見当たらない。

「さっきから何をコソコソとやっとるんだ、猪狩」

 前を向くと、日本史教師の牛嶋がおれの席の前で仁王立ちしていた。
 クラス中からクスクスと笑い声がもれる。
 みんなの表情が緩んでいる中、辰巳だけがにこりともせず、おれと牛嶋のやりとりをじっと見ていた。長い黒髪に切れ長の目。落ち着いた佇まいに、心の内を全部覗かれているようで、そわそわと落ち着かない。

「せ、先生、違うんですって。弁解させてください。実は、このクラスに曲者が紛れ込んでいるんです」

 クラス中がざわつき始める。

「なんだ、その曲者って」

 牛嶋先生は心底、飽きれきった顔をしている。

「本当なんですって! 授業中にこれでいきなり首筋を襲撃されたんですよ」

 冷ややかな視線を向ける牛嶋に、首に刺さっていた針を証拠として見せた。

「こ、これは……」

 先生が眼鏡をくいっと上げて、おれの指先に近づいてきた。

「こんな危ない針でおれの首を狙った奴が……」

「猪狩、お前からかっているのか? 何もないじゃないか」

 クラス中が弾けたようにどっと笑った。

「先生、よく見てくださいよ! この針ですよ!」

「だから、針ってなんのことだ?」

 まさか、この針が見えていないのか?

「それに首にいきなり針がプスって、吹き矢じゃあるまいし」

 牛嶋のひと言に、おれは思わず席を立ち上がった。

「そうですよ、先生。きっと忍者に違いないですよ!」

 そう叫んだおれが見上げた天井に、羽目板をはめていく黒い影が一瞬だけ見えた。

 授業を妨害したという理由で、牛嶋から厳重注意を受けて、おまけに補習まで言い渡されたおれは、廊下を歩きながらさっき見かけた黒い影について考えていた。

「隙ありぃ!」

 突然、後ろから大きな声がしたかと思うと、おれの頭からぱすんというなんとも気の抜けた音が鳴った。振り返ると、丸めた教科書を手に持った犬飼が立っている。

「脅かすなよ、犬飼! それに後ろからとか卑怯だぞ!」

「ごめん、ごめん。でもさ、本物の忍者だったら、正面から正々堂々なんて襲ってこないだろ。隠密行動なんだから、ぷっ」

 腹を抱えて笑っている犬飼の頭をヘッドロックしていると、目の前にジャージ姿の辰巳が歩いてきた。

「三限の体育、グラウンド集合だって。遅れちゃうよ」

「わりぃ。すぐ行くよ」

 犬飼が慌てて教室へと駆け込む。

「猪狩くん」

 犬飼を追いかけて教室に入ろうとして、辰巳に声をかけられた。
 辰巳は長い黒髪を後ろで束ねている。

「何?」

「ううん。なんでもないや」

 束ねた黒髪を揺らしながら、辰巳は小走りで去っていった。
 三限の体育は球技で、男子はサッカーだった。
 同点で迎えた試合終了直前、ゴール前に走り込んだフリーのおれの目の前に絶好のボールが転がってきた。またとない逆転のチャンス、後はポンとボールを押し込むだけだ。
 ゴール裏で応援している女子の中には、辰巳の姿も見えた。
 絶対に決める!

「い、いてぇぇぇぇ!」

 シュート体制に入るために、グラウンドについた左足の裏に激痛を感じ、その場に倒れ込んだ。
 ボールは転々と転がり、相手チームへと渡ると一気にゴール前まで攻めこまれてしまった。そのまま逆転を許したところで、試合終了のホイッスル。

「おいおいおい、おれの芸術的なパスをスルーしやがって」

 パスを出した犬飼がだいぶ不満そうに大声で騒いでいたようだが、左足の裏をじっと見ていたおれには薄っすらとしかその声は届いていなかった。

「やっぱり忍者だ」

 おれの靴底に刺さっていたのは、間違いなくまきびしだった。

 それからの一週間、謎の忍者の襲撃は続いた。
 美術の時間にはデッサンをしているキャンバスに手裏剣が刺さり、図書室でたまたま開いた本からは目くらましを食らい本棚に頭をぶつけた。
 廊下で辰巳とすれ違ったときなんてひどいものだった。後ろからかぎ縄を鼻の穴に引っ掛けられ、なんとも無様な姿を辰巳にさらすこととなった。
 一週間、襲撃に遭遇し続けたせいか、妙に危機察知能力が磨かれていた。
 教室移動で裏庭にある池の前を通りかかったときだった。振り返ると、池の水面に竹筒が見えた。その瞬間、水中から鎖鎌を持った忍者が姿を現した。

「ついに姿を確認したぞ!」

 と叫んだときには、忍者はブンブンと回していた鎖を投げる体制にすでに入っていた。また、やられると思ったそのときだった。忍者の利き手にクナイが刺さり、どろんと消えてしまったのは。

「おーい、次、牛嶋の日本史、遅れちまうぞ」

 先を歩いていた犬飼が引き返してきた。

「お、おう」

 助かったけど、まさか忍者はもう一人いるのか?
 そんな新たな疑問が頭に浮かびながらも、おれは次の授業へと急いだ。

 牛嶋から与えられた補習を終えたころ、校舎は夕暮れのオレンジ色に染まっていた。
 廊下を歩いていると、グラウンドからかけ声、体育館からシューズが擦れる音、吹奏楽部の演奏が混ざりあってきこえてくる。
 窓から西日が差し込む二階へと向かう階段の踊り場に、忍者は隠れることなく立っていた。
 突然のことでしばらくポカンと立ち尽くしたが、はっと気づくとすぐに持っていたかばんを盾にして攻撃にそなえた。

「おぬしに散々、警告したはずだぞ」

 忍装束から目元だけをだした忍者が口を開いた。どこかできいたことのある声だ。

「なんなんだよ、お前! 忍者ってことは誰かの命令でおれを狙っているのかよ」

「いかにも」

「だ、誰だよ。クラスの奴かよ?」

「わからんのか」

 正直、見当もつかない。

「おぬしじゃよ」

 カキーン!

 グラウンドから、バットがボールを真芯で捉えた快音が響いた。

「はっ? お前……何を」

 忍者が口元を隠していた布を引っ張る。その顔はおれだった。

「おぬしの影分身じゃよ。まぁ、内面の一部だと思ってもらって結構」

「まさか……おれを狙っていたのがおれだったなんて……」

「また、傷つくつもりなのか?」

 言っている意味がわからなかった。

「わたしが現れるとき、おぬしは辰巳のことを考えている」

 最初に襲われた日本史の教室、グラウンド、美術室、図書室、池の前。
 言われてみればだが、確かにおれは辰巳を見ていた。

「一年前の痛みを忘れたのか、おぬし」

「一年前って……あっ」

 その瞬間、胸の奥に覚えのある痛みがズキズキと蘇ってきた。
 一年前、おれは当時、付き合っていた彼女と別れた。
 別れた原因は、本当にささいなことだった。ちょっとした火種に怒りの突風が吹きつけると、山火事のごとくあっという間におれと彼女の関係を焼き尽くし、別れることとなった。
 別れた後、おれは激しい後悔に苛まれた。鋭い針で刺されたような心の痛みを生まれて初めて感じたっけ。

「二度と傷つかないように、わたしがあの痛みを思い出させていた。馬鹿な真似はよせ」

 突然、胸の奥に覚えのない痛みを感じ始めた。おれ忍者からの問いかけによって、おれは辰巳への想いを認めることになったのだ。

「今ならばこのワスレリンを塗れば、その痛みも馬鹿な想いも忘れることができる」

 おれ忍者はおれに軟膏の瓶を差しだした。
 あまりの強い痛みに、軟膏へと手を伸ばしかけたときだった。

「なんだ、猪狩。まだいたのか?」

 振り返ると牛嶋が歩いてきた。踊り場にいたおれ忍者の姿は音もなく消えていた。胸の痛みも少し和らいだようで助かった。

「もう、帰りますよ」

「そうか。実は辰巳を探しているんだが、見かけなかったか?」

「さぁ、もう帰ったんじゃないですか」

「そんなはずはない。今日の放課後に頼まれていた日本史の資料を渡す約束をしていてな。まだ校内にいるはずなんだが、ちょうど良かった。悪いが猪狩、三階より上の階を探してもらえないか?」

 忍者の襲撃を逃れたと思った矢先、また妙な厄介事が舞い込んできた。
 授業中の忍者騒動の件で牛嶋に目をつけられていることもあり、断りづらく引き受けることにした。それに辰巳のことも気がかりだ。
 三階の各教室を探し回るが、どこにもいない。
あとは屋上を残すのみだった。
 屋上に出ると、辺りはすっかり暗くなっていて、グラウンドの照明の光がわずかに足元を照らしていた。

「こんなところにいないよな」

 そこで後ろから音がして屋上の扉がひとりでに閉まった。慌てて開けようとするが、鍵をかけられたのか開かない。

「おい、誰だよ! こんなイタズラするのは」

 扉をドンドンと叩いていると、屋上の暗がりからゆっくりと足音が近づいてきた。

「おれだよ、猪狩」

 暗闇に完全に支配された屋上の奥に、人影が浮かび上がる。

「なんだ犬飼かよ……脅かすなって。面白くもないイタズラはもういいよ。辰巳、見なかったか?」

 次の瞬間、おれは犬飼に脇腹を思いきり蹴り飛ばされていた。固いコンクリートを転がって、手の甲には血が滲んでいた。

「よそ見してないでちゃんとボールをよく見て蹴れよな。こんな風に!」

 顔を狙ってきた蹴りをなんとか両腕で受け止める。

「おい、犬飼……お前、どうしたんだよ?」

 犬飼はおれの応答には答えずに、無心で蹴り続けてくる。

「んぐうぬんぐううう」

 そのとき、屋上の角のほうから、誰かの呻き声がきこえてきた。
 誰かいるのか?
 力を振り絞り後ろへぐるんと体を転がすと、素早く立ち上がり屋上の角へと走った。
 その呻き声の主は辰巳だった。屋上の柵に両手を縄で縛られていた。

「怪我はないか! 今、解いてやるからな」

 が、特殊な縛り方をされていてなかなか解けない。

「んんがんぬぬぐううう」

 おれは辰巳の口元にかまされていた布をとった。

「犬飼くんは操られている、アイツに!」

 アイツ?

「ダメじゃないか、辰巳。先生に向かってアイツなんて言い方は。今からたっぷりと補習授業といこうじゃないか」

 いつもよりも冷たく刺々しい口調の牛嶋が、こっちへと歩いてきた。
 不気味に光り輝く黄金の牛兜をかぶっている。

「気をつけて! アイツは今、呪われている」

「日本史の先生なのに、なんかギリシャ神話のミノタウロスみたいじゃんか、アイツ」

「アイツっていったな、猪狩。まぁいい、おかしな術をつかうお前も片づけるためにここに呼んだんだからな。犬飼、二人とも痛めつけて、屋上から突き落としてしまえ」 

 牛嶋の命令に従順な犬飼が殴りかかってこようとした。
 応戦しようと構えると、犬飼がピタッと動きをとめ、その場に倒れた。
 慌てて駆け寄ると、犬飼の首筋には吹き矢が刺さっている。

「恋の戦のみならず、厄介な戦に巻き込まれているようじゃな、おぬし」

 暗闇に白い目玉が突然、浮き上がったかと思うと、おれ忍者が姿を現した。

「おぬしに死なれたらわたしも消えるからな。ここは助太刀いたそう」

「た、助かったよ」

「犬飼にはしばらく眠っていてもらおう。さぁ、大将がくるぞ」

 顔を上げると、牛兜をかぶった牛嶋がこちらに頭から突進してきていた。すんでのところで、左右に転がりながらなんとかタックルをかわす。牛嶋はそのまま突っ込み、兜の角で柵を破壊した。すごい威力だ。
 おれ忍者は起き上がると牛兜を狙って手裏剣を投げたが、すべて弾き返されてしまった。

「頑丈な兜じゃの」

 おれ忍者は背中の刀を抜いた。素早い身のこなしで、牛嶋との間合いを一気に詰めると牛兜に一太刀。牛兜にひびは入ったものの、割れることはなかった。

「良い太刀筋だ。だが、そんな非力でこの兜を壊せるとでも思ったか!」

 おれ忍者は牛嶋に胸倉をつかまれると、柵の外まで投げ飛ばされた。
 なんとかかぎ縄を柵に引っかけて窮地をしのいだが、なんてデタラメな力なんだ。
 牛嶋が再び、タックルの体制に入る。今度は辰巳に狙いを定めているようだ。

「いかん」

 急いで柵を飛び越えておれ忍者が、辰巳の縄を刀で切った。

「辰巳!」

 牛嶋が突っ込んだ柵は無残に破壊され、そこに辰巳の姿はなかった。
 まさか……。

「大丈夫。なんとか無事よ」

 辰巳の声は、牛嶋の遥か頭上からきこえてきた。
 辰巳はまん丸のお月様をバックに高くジャンプしていた。両手にはクナイを持っている。その姿はまさに、くノ一だった。

「あのとき、裏庭で助けてくれたのは辰巳だったのか!」

「そう。うちは安土桃山時代から代々続く忍者の家系。現在も呪物に呪われた人を助ける特殊任務に当たっているんだけど、まさかうちの先生が呪われるなんてね」

 辰巳は牛兜の上に着地すると同時に強く蹴り、再び空中に舞い上がると一回転しながらクナイを投げた。
 稲妻のような速さで投げられたクナイが、見事に牛兜に刺さった。
 もう少しであの牛兜を壊せる。

「なぁ、忍者。あんたはおれの分身なんだよな」

「そうじゃが、まさかおぬし」

「そのまさか。あんたはおれの弱い心を傷つけないように、守るためにおれの前に現れたんだろ? じゃあ、合体したら倍以上の力が出るんじゃないか」

 牛嶋は辰巳を捕まえようと追いかけるが、俊敏な辰巳の動きに手こずっているようだ。

「おれは確かに弱い人間だよ。わかるよ。一年前のことを引きずっていつも逃げてばかりだった。傷つくことは怖いけどさ、誰かのために立ち向かわないといけないときがあるだろう」

「痛みがおぬしを成長させたか。好きにしろ」

 おれ忍者がおれに触れると、おれの姿が忍者になった。
 不思議と体に力が湧いてくる。
 辰巳を追いかけていた牛嶋が、今度はおれに突っ込んでくる。なんだか忍者の恰好をしているのに、闘牛士のような気分だ。
 大丈夫。
 傷ついたままの過去を断ち切るんだ!
 迷いなく下から刀を振り上げると、きれいに真っ二つに割れた牛兜をお月様が照らした。

 気絶した牛嶋におれ忍者が持っていたワスレリンを塗ることで、牛兜に呪われてからの記憶を抹消することができた。どうやら家の蔵に眠っていた呪物を発見した際に、呪われてしまったらしい。
 犬飼も大きな怪我がなくて、本当に良かった。
 もうすっかり暗くなった学校からの帰り道。
 自販機でコーヒーを二つ買うと、一つを辰巳に手渡した。

「良い太刀筋だった、猪狩くん。迷いなく一直線でかっこよかった」

 辺りが暗かったせいで、赤くなっていたであろう顔はごまかせたはずだ。

「あのさ、おれに忍術を教えてくれないか?」

「いいけど、厳しい修行が待っているよ」

 おれは弱い。
 けど、弱さを認めることで、ここから強くなることはできる。
 おれの中にいる忍者が教えてくれたことだ。

「望むところさ」

 辰巳は笑うと、音もなく先へと歩きだした。
 おれは次に辰巳が振り返ったら、仕掛ける一手を心に決めていた。
 この気持ち、恥を忍んで真正面から伝えるの術。


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