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実のならないトマトと、子をなさない私たち


彼のご両親はかなり本格的な家庭菜園を持っており、季節の野菜が食べごろになると、段ボールいっぱいにして私たちに送ってくれる。

ご両親のお庭で手塩にかけて育てられた野菜たちはどれも味わい深く、少し不恰好で、愛おしい。

彼らのかけた時間と労力に感謝しながら、いつもより少しだけ背筋を伸ばして、彼と並んでお料理を作るのもまた、穏やかで幸せな時間だ。

そんなわけで私たちも、限られたスペースではあるものの、ベランダで野菜を育ててみようかという話になった。本格的な夏が来る前のことだ。

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まずは初心者レベルからということで、バジルやローズマリーなんかのハーブと、トマトの苗を選んだ。ハーブはすでにわさわさと茂っているものにして、トマトは店員さんに勧められるままに、小さな花が咲いて、すでに緑色の実がついているものを購入した。

私たちはよく分からないながらも土を買い、プランターを買い、小さな家庭菜園を作った。
ネットの情報を頼りに植え終わり、水をやると、苗たちはなんだか物静かなペットのように見えた。私たちは猫の他にも、育て見守るものをもったわけだ。

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窓の外で緑が風に揺られているのを見るのは気持ちの良いものだ。

朝起きてカーテンを開けて、ふとベランダの小さな植物たちが目に止まる。
太陽に向かって精一杯葉を広げる姿、数日で見違えるほど成長する植物たちに、だんだん愛着が湧いていった。

ハーブたちは水のやり方がまずくて萎れたり、また復活したりしていたが、そこそこ私たちの料理に貢献してくれた。(一番使えたのはローズマリーだった)

一方のトマトは、一度目の実はちゃんと赤くなって収穫できたものの、そこから一向に花が咲かなかった。
花が咲かなければ実はつかない。私はどうしたものかとネットを見ていて、「トマトに花がつかない/実がならない」というのは割とよくある現象なのだということを知った。

もちろんいろんな要因があり、いろんな症状があるのだが、どうやらうちのトマトは【樹ボケ】してしまったらしい。
これは、トマトの樹自体が、花をつけて実をなすことを忘れ、自身の成長にばかりかまけている状態をさすらしい。
つまり、子孫を残すより、自分自身の個体を成長させることにエネルギーを注いでしまっているというわけだ。

私はこれを読んでいて、「まるで私たちそのものじゃん!」と、驚きつつも笑ってしまった。
意気揚々と葉を広げ、天に向かって伸びようとするそのトマトの樹が、彼の姿(そして私の姿)と重なって、自虐的な可笑しさが込み上げてきたのだった。


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彼は子どもを望まない人だ。

「子どもは欲しいと思ったことはないし、今後もわからない」というのが、彼の意見。

「今後もわからない」と言うとなんだか曖昧に聞こえるが、
2人の生物学的なタイムリミットを考えれば、それはほとんど「持つつもりはない」のと同義である。


一方の私は子どもが欲しかった。


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