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階 (きざはし)

                          立川 生桃



足元の凍結した水たまりをつま先で削りながら考えたこと

 しん しん

 しん しん

  静けさだけが 降り積もる


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満天の星
(それは少女のリュッサック——)

深淵な夜の闇
(―—の中の空間)

雪はどっちから降ってたんやろ


*     *     *


大阪淀川長柄橋

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最後の煙草に火を点けて
ショートホープの空箱は
黒い水面目掛けて投げつけた

橋の底を雪の風が吹き抜ける
ヒュルヒュル ヒュルヒュル 
ヒュルヒュルと

捨てた筈の希望を巻き上げて
ショートホープの空箱は
車道にチョコンと正座した

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二つ向こうの鉄橋の
回送電車が西へ行く

ショートホープの空箱は
鎖を履いたタイヤが跳ねて行く
やがて次から次へと踏み潰す

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章子と私は橋の上に二人きり
そっと頭の上に水銀灯

照らされる雪がぼうぼう ぼうぼう
ぼうぼうと

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ハハッ——ちぎり絵みたいや……

「どっちに行くのん、リョウ君?」

章子が私のコートを引っ張った
袖の辺を軽く摘んで引き寄せて

「どっちに向かって歩いてんのん? うちら」

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(行きたいんか戻りたいんか分かれへん)

やっちまった事が やりたかった事
やっちまった事が やりたかった事

本当にしたかった事は もう済ませてしまった後であるという事

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暗示めいた信念が
突き動かしてきた 今はもぬけの殻の魂が

夢と世間の中間の
最後の煙草を飲み尽くす

「俺な。章子」

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「かっ、髪ィ伸びたで。リョウ君」

早口に
章子が引きつる程にぎりぎりの笑みを浮かべたままで俯いた

「リョウ君の茶髪くせ毛なんやさかい、その事うちが一番よう分かってんねん……」

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儚くて
切なくて
風や雪まで はんなり なっていて

「……リョウ君、今年の正月のこと覚えてる? うちィ、おみくじで『凶』引いてもうてん。……したらな『凶』の『キョウ』は今日だけのことやからて、『明日』はきちんとエエことあるさかい心配すなて……リョウ君、うちに言うてくれてん」


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「—————」

「—————」

「章子な。俺な、もう一辺最初(はな)から自分の『音』創って、毛が逆立つくらい綺麗な、ごっつ綺麗な曲編み出したいねん。して、もういっ——」


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警笛(ホーン)

光(フォグランプ)
隣の鉄橋


回送電車の号泣が私の心を呪縛した
言葉の端を切り裂いて
噓は付くなと殴打する


私は欄干に手を付き乗り出した

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全部通過していた


後ろを振り返った
汚れた鏡と向き合った

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章子の白い息もポロポロ、ポロポロ泣いている

刹那と刹那が絡み合う
互いの意志が互いの洞察力(思い遣り)の中で交差した
或いは一瞬正しく作用した


ほんのかすかなキス


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モノクロの slow-motion
冷たい頬と頬とが離れた時に
二種類(ふたつ)の涙が別の (幸せ) を願ってた



魔法が解けていく
言葉は無力なのだ



喋る言葉が喋る後から心の中で醜く脆く崩れてく
……ツキン と傷口に消毒液が染みる痛みを感じた


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 鏡へ吹き掛けていた熱い息がそれを止めた途端に乾いて行くように、二人で上る筈の階段が溶け始め、ついに『思い出』が静寂の酸に染まりゆく。でも。……ああ。それがどういうわけか、むしろ心に爽やかなくらいなのだ。


「ショウコ。一緒に東京行こか?」


 ゴミみたいな声。彼女が首を横に振るのを知っていた

「リョウ君。それ反則やで。リョウ君は自分で答えの出せる問題しか解こうとせえへん。答えの解けへん難しい問題かて、せなあかんねんで。答えが間違ってても答えは出さな。

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リョウ君はうちが横に首振るの知ってるさかい、そないに聞いてん。うちの為に、うちに振って欲しいさかい、自分自身の言葉でのうて、屁ぇみたいな台詞をこさえてん。うちのこと、傷つけまぁ思うて。

……でもな。リョウ君な。うち。ずっとリョウ君のこと好きやからリョウ君に振られるのんも、うちがリョウ君を振るのんもほんまは一緒なんやで。

――せやけど、どっちにしたかてサギや。せやけど。ヘヘンのヘンや。本当はうちにも分かっててん。せやから言うな。うちはリョウ君の為に言うたるな。……リョウ君な。うちら間違いやっててん。……間違いやってん。」


       ——どうか今が(成長)という階であるように


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       ——いつかそのことに私達は気付けますように


「内田君にはもっと可愛ゆうてしょうもない子のほうが似合うてん。可愛ゆうてしょうがないんとちゃうで。ごっつ可愛ゆうて、ごっつしょうもない子やで。うちみたいにしっかりしたええ子は、内田君にはもったいないわ。」

 彼女が私の顔を覗き込むように微笑んだ。

「そない思わん?」

「……ショウ子。」

 ふいに卑怯な愛しさが込み上げた。彼女はそれを許さない。

「内田 了。気を付けィ!」

 いきなり元気な声を張り上げた。

「内田 了。気を付け。」

 二度目の涙声に私は従った。

「よし。もう少し胸を張りなはれ。ああm。顎はきっぱり引きなはれ。それに足ん先はVの字。ああ……m。それからな。君の(私)と言う呼び方は、どうにも偽善者めいた口振りである。君はそれほど立派な大人ではないであろう。ああm。『僕』と言うくらいの呼び方に変えなはれ。よろしいかな。」

「はい。」

 僕は正しい返事をした。

「よろしかったら二、三分息を止めとき。ああm。次、上村章子。休めっ。」

 彼女は自らにも促し、そして従った。リュックサックの両脇の所に手を当てて俯き加減に右足を斜め前に伸ばした。僕達は口を噤み、息を止め、およそ一分はその姿勢のままでいた。 

「ああ。きつう。」

 先にこぼしたのは彼女のほう。悪戯っぽく笑い羽みたいに手を振り、
 
「大したことあらへん。あさっての卒業式の予行練習。篠田教授の物真似や。すごいやろォ。」

僕は、 

「アヘアヘアヘ……」 

身体を一度に柔軟に崩してみせた。彼女の一瞬心配そうな顔を見つけた。

「寛平ちゃんの真似や。俺の芸とくらべたら上村は十年修行が足らんさ。」

 僕達はきっとお互いにわざとムキになろうとしていた。 

「古っる。阿保。化石か! 分かった。ほな、とっておきのやったる。」

「何やねん?」

「物真似やん。」 

「せやから誰やねんて?」

「広瀬すず……」

「分かった。頼むからやめとこ。スズポンだけはやめとこ。スズポンが腐ってまう。」

 僕はわざとおおげさに下手に出た。 

「やる。絶対やったるッ。」 

 彼女もたぶんわざと強気に出てみた。 

「お願いやからやめときて。」

「ボケーッ! ハゲーッ! 広瀬すずが何ぼのもんやねん。」

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 彼女がチョっ、と舌を出した。



 すべて……このすべてが彼女の背負うリュックサックの中の空間であったらいい。
 いつか……そしていつか彼女がこのリュックサックをポイと捨ててしまえばいい。


   *     *     *


大阪淀川長柄橋


柴島と天六に架けられた大橋
凍えそうな星だけキラキラ光ってら
私達はチョコンと水銀灯のスポットライトの中

「雪、止んでもうたねェ」

ポツン——と少女の背中が洩らした
いいや
まだチラチラ舞っている

私はそう訂正しかけて止した
決して崩れない言葉
一番美しい言葉


「サイナラ」


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                               (了)













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