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グロなし『墜落遺体』印象的なエピソード3選


1985年8月12日、18時56分。



1台のジャンボジェット機が、高天原山の斜面に墜落しました。



日本航空123便墜落事故。



この事故で、乗員乗客520名の尊い命が奪われました。



それから16年。

事故当時、身元確認班に所属していた群馬県警の刑事官、飯塚訓さんが、身元確認作業の様子を詳細に綴った『墜落遺体』を出版しました。



それからさらに、18年後。

一昨日、タイムラインで目にしたこのサイト。


まとめられた感想を見て、思わず、私は本書を購入してしまいました。


読み切れる保証はないのに…



まとめサイトをみて、徹頭徹尾、ご遺体の残酷な描写や極限状態で心身共に蝕まれた関係者の様子が描かれていると思っていました。


しかし、そうではありませんでした。



まとめサイトに書かれていたような残酷な描写も、もちろんありました。


しかし、この本の魅力は凄惨な描写だけではないと私は思います。



極限状態にありながらも、たえず、ときに職域を超えて身元確認に携わった関係者の方々の、素晴らしい活躍。

日航機墜落事故を通して描かれる、様々な人間の心理・社会情勢。



これもまた、『墜落遺体』の魅力のうちのひとつです。



今回は、100%グロ (残虐的) 描写抜きで、個人的に印象に残ったエピソードを紹介しようと思います。


サラリーマンの現状、最期の想い

指紋は、遺体の身元確認において最も確実な識別手段のうちのひとつです。


身元確認をするためには、犠牲者の死後の指紋と生前の指紋を照らし合わせる必要があります。


警察庁鑑識指紋センターから群馬県警に応援派遣された、斎藤猛係官によると、

子どもの指紋、主婦の指紋は家庭から採取されたが、サラリーマンの在宅指紋として送られたものには、会社の机、手帳、ノートなどから採取されたものが多く、家庭内から採取されたものは少なかった。

これは当時、子どもを持つ男性でも、会社で働き詰めで、家にいる時間はほとんどなかったことを意味しています。


当時──いや、今もきっとそうですね。



しかしそんな男性たちが、最期が迫るなか、想いを伝えたかったのは、愛する家族や妻、我が子だったのです。

遺留品の手記の数々が、彼らの想いを物語っています。


マリコ、津慶、知代子どうか仲良くがんばってママを助けて下さい。
パパは本当に残念だ。
ママ、こんな事になろうとは残念だ。
さようなら、子供達のことをよろしくたのむ。
今六時半だ。
飛行機はまわりながら急速に降下中だ。
本当に今まで幸せな人生だったと感謝している


飛行機はまわりながら、急速に降下中。


そんなときにあなたは、愛する人へ、こんな文章が書けるでしょうか?



数少ない取り柄らしきものが書くことである私でさえ、同じ状況に置かれたら、ただ泣き叫ぶことしかできないと思います。



著者は、この遺書を見たときの感動を、こう表現しています。

私などには、とうてい計り知れないほどの心の幅をもった人がいたんだ、……と 。



あの歌を口ずさんだ、その時に

看護婦長に促され、著者は休憩を取りに外に出ます。


検屍作業をしていた体育館には、芝のサッカー場が隣接していました。



彼がそこに寝転がると──



周囲は、満天の星空。



郷里の秩父を離れて以来、一度も見ることのなかった星空に、彼が思わず口ずさんだのは、

「見あーげて、ごらん……夜の~星を……」


この事故でお亡くなりになった、坂本九さんの歌でした。


このとき、坂本九さんの死亡確認の報は、まだ著者の耳には届いていませんでした。



午前一時、著者は赤十字群馬支部が用意した前橋市内の宿舎に到着しました。

宿舎では、栃木支部の看護婦もともに寝泊まりしていました。



そこで、足利日本赤十字社の婦長から、坂本九さんの死亡が確認されたとの報を聞きます。



そして、その確認時刻は──



著者が歌を口ずさんだ、まさにその瞬間だったのです。



このような霊的なエピソードは他にもありますが、怖いどころか、むしろ安心するように思われます──


体育館での地獄絵図と比べれば。



文化が違っても、誠意は通じる

多くの日本人には、死者の魂が地上や遺体に遺ること、そして 「あの世」 で死者が生き続けるという信仰があります。


しかし、キリスト教圏を除く海外では、遺体はただの肉の塊とみなされます。


検屍作業に協力した東京歯科大学の橋本講師は、オーストラリアへの留学経験があります。

そのとき、アメリカの航空機事故で両親を亡くした方の話を聞いたそうです。


彼が航空会社の謝罪後、すぐに慰謝料の交渉に入って両親の遺体を引き取ろうとしなかったことに疑問を呈すると、彼は

デス ・イズ ・デス、つまり、死は死である。もらっても生き返ってくるわけではない。魂は神のもとへ召された

と答えたそうです。


そのため、この事故でお亡くなりになった海外出身の方のご遺族は、家族の遺体を持ち帰らず、処理を当局に委ねた方が大半でした。


著者から息子の死を知らされたイギリス人男性の父親も、「死んだことがわかったので 、死体はもち帰らなくてもいい」 といいました。


しかし、彼は涙をボロボロこぼしながら、こういいました。

日本の警察は親切だ。息子をこれほどまで大事に扱ってくれてうれしい


たとえ、違う国に生まれても。


たとえ、違う文化の元に育ったとしても。


相手を真に思って行った行動に込められた誠意は、必ず相手にも届くことでしょう。



ただ凄惨なだけの本ではない

このように、『墜落遺体』は検屍作業や検屍によって明らかになる当時の状況を通じて様々な分野の知識や、そこにかかわる人の心を知ることができる一冊となっています。


極限の状況下での検屍作業における警察官、看護婦、医師の方々の活躍ぶりは、素晴らしいという一言では言い表せません。

特に看護婦の方々が、身も心も死者に寄り添って働いている様子は、神々しくさえ思われます。


こうした、各関係者の方々の活躍についても書きたいのは山々ですが、書くにあたってどうしてもグロい描写が避けられないと分かりました。


そのため、ここから先は、実際に読んで確かめてみてください。


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