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浦和レッズが多くのサポーターを獲得できた理由を一から勉強

 私は野球ファンなのですが、サッカーについてずっと疑問に思っていたことがあります。それは浦和レッズのサポーターの多さです。プロ野球界では読売ジャイアンツが球界の盟主として長きに渡り、人気球団として君臨していますが、それは長嶋茂雄氏や王貞治氏といった国民的な人気選手が在籍していたこと、前人未到の大記録である9年連続日本一(V9)という圧倒的な強さを誇ったことが人気の礎になっているのですが、浦和レッズがJリーグクラブの中で多くのサポーターを獲得できた理由については分からないのが正直なところです。しかし、人気があるのには必ず理由があるはずです。私も人並みにサッカーを観ることはありますが、熱心なサポーターというわけではありませんし、サッカーについて知識が豊富なわけでもありませんが、だからこそ見える部分もあると思い、今回は調べてみました。

①浦和のチームとなったのは1992年から

 まずは浦和レッズの公式サイトに目を通しました。。浦和レッズの歴史は1950年の中日本重工業サッカー部の創部から始まるのですが、最初は神戸のクラブとしてスタートしました。当時はGHQの指示によって、三菱重工が東日本重工業・中日本重工業・西日本重工業に分かれていましたが、その後、三菱の商号が復活、3社が合併して、新三菱重工業が誕生しました。サッカー部は1958年に東京本社へ移転、1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部、1992年に三菱浦和フットボールクラブ、1996年に浦和レッドダイヤモンズと歴史を紡いできました。

 私が驚いたのは浦和のチームになったのが1992年からだということです。レッズが元々は三菱のサッカー部ということは知っていたので、「きっと、Jリーグが始まるずっと前から浦和の街に根付いていたんだろうな」と思っていたのですが、私の予測は完全に外れました。では、なぜ浦和レッズがJリーグクラブの中でも多くのサポーターを獲得して、浦和の街で愛されるようになったのか、別の視点で見ていきます。

②Jリーグバブルに踊らされなかった浦和レッズ

 優勝争いをしている試合や、ACLの決勝では埼玉スタジアムを満員にすることができる浦和レッズ、Jリーグが誕生した時の浦和レッズの観客動員がどうだったのかを調べてみました。きっと当時も上位だと思って調べたのですが、何と1993年の観客動員数は最下位。これはどういうことなのか。しかし、少し調べてみると、レッズが多くのサポーターを獲得できた理由が分かってきました。

 Jリーグが誕生した1993年、Jリーグバブルという言葉が使われるほど、当時の日本サッカーは大きな盛り上がりを見せていました。5月15日に国立競技場で開催されたJリーグのオープニングゲーム、ヴェルディ川崎VS横浜マリノスの試合は59626人の観客を集めました。1993年、年間観客動員数が最も多かったのはヴェルディ川崎で454237人を動員しました、一方、浦和レッズの年間観客動員数は206265人でした。ただ、この年にヴェルディ川崎はJリーグの公式戦(カップ戦は除く)のホームゲーム18試合のうち、5試合を国立競技場、3試合を博多・札幌・岩手で開催、本拠地の等々力陸上競技場での試合は10試合でした。ホームゲームの半分近くの試合を地元以外の地域で開催しました。一方、浦和レッズはホームゲーム18試合のうち、国立競技場で開催したのは1試合のみで、あとの17試合は全て駒場スタジアムで開催しました。当時の駒場スタジアムは収容人数が10000人の小さなスタジアムでした。一方、国立競技場は50000人以上が収容でき、国立競技場で試合をすれば、どの対戦カードであっても、当時は満員の観客を動員することができました。しかし、レッズは目先の利益よりも浦和の街で試合を開催して、地域に根差す道を選びました。これが浦和の街で愛されるようになった大きな要因になったと思います。一方、ヴェルディ川崎はJリーグバブルが過ぎ去った後は観客動員数がどんどん減っていき、川崎の街に根付くことはありませんでした。東京ヴェルディ1969となった現在、東京の地で多くのサポーターを獲得したのはFC東京であり、ヴェルディはすっかりJ2クラブに定着、浦和レッズとは大きく明暗を分けるかたちになりました。※ヴェルディの2024年J1昇格おめでとうございます!!

③埼玉スタジアム2002の存在

 もしもサッカーの神様がいるのならば、埼玉スタジアムは地域に根差した取り組みを実施してきたレッズへのご褒美だと思います。駒場スタジアムは1994年〜1995年の間に改修工事を実施して、21500人を動員できるようになりましたが、それでもレッズにとっては手狭だったと思います。そのような状況の中で2002年開催のFIFAワールドカップへ向けて、かつては浦和市だった、さいたま市緑区に63700人が収容できる埼玉スタジアムが建設されたのはレッズにとってもベストのタイミングだったと思います。

 逆にガンバ大阪は2016年から吹田サッカースタジアム(現在の名称はパナソニックスタジアム吹田)を本拠地にしていますが、3冠を達成した2014年の段階で新スタジアムが完成していれば、ガンバの3冠達成はもっと盛り上がったと思いますし、ガンバの価値をより高めることができたと思います。新スタジアム完成後、ガンバは主要タイトルを2023年リーグ開幕前の段階で1つも獲得できていないこともガンバにとっては不運だと思います。

 一方、レッズは埼玉スタジアム完成後に多くのタイトルを獲得しました。2006年に初のJリーグ年間王者、2007年にACL初制覇、2017年にACL2度目の制覇、天皇杯やナビスコカップの優勝を埼玉スタジアムで決めた大会もあり、多くの感動的なドラマを埼玉スタジアムで生み出すができました。埼玉スタジアムが完成した後に多くのタイトルを獲得できたこと、そのチャンスを見事に掴んだことで埼玉スタジアムがレッズサポーターからも愛されるようになり、レッズの価値をさらに高めて、多くのサポーターに愛されるクラブへなったのだと思います。

◯最後に

 浦和レッズが人気がある理由を調べていく中で、「浦和は高校サッカーの強豪校が多く、元々、街にサッカーが根付いていたから」という意見があったのですが、私はそうは思いませんでした。実際、Jリーグ開幕前から全国高校サッカーで実績を残している高校がある地域のJリーグクラブがレッズほどの動員力があるかといえば、そんなことはないからです。

 今回紹介した要因は本当に一部で浦和レッズが多くのサポーターに愛される理由は他にもたくさんあると思います。日本全国どころか、中東でもどこでもレッズの試合に駆けつける人達は本当の意味でのサポーターだと思います。そして、そのサポーターの姿を見て、レッズのサポーターになった人やレッズサポーターのファンもいると思います。

 他にもいろいろな意見があると思いますので、皆さんが知っている浦和レッズが多くのサポーターを獲得できた理由もぜひ教えてください。


◯出典
・浦和レッドダイヤモンズ公式サイト 2023年4月29日
https://www.urawa-reds.co.jp/

・三菱重工-沿革 2023年4月29日
https://www.mhi.com/jp/company/aboutmhi/history.html

・FootballGEIST 2023年4月29日
http://footballgeist.com/


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