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3歳だった君からの

末っ子で男の子だからなのか、いつも私をママリンと呼んでいた甘えんぼの、初めての幼稚園行事に参加した。それは七夕祭り。夕涼み会も兼ねていたから、おいしそうな香りしかしない出店が並んでいたり、浴衣を着たこども達とすれちがったり、普段見慣れた幼稚園の教室や園庭が、夏祭りのにぎわいを見せていた。

七夕だったから、こども達の教室には笹の葉が揺れていた。夏祭りにパパやママが来てくれていること、夕方の時間に友達と会えていること、少し悪いことをしても先生がいつもより優しいこと、そんな普段とは違う状況がこども達を興奮させ、その興奮の風が笹の葉を揺らしているようだった。

末っ子はお姉ちゃんと二人で出店をめぐっていた。この幼稚園の卒園生であるお姉ちゃんは、ちょっと先輩気取りで弟のお世話をしたっかたようだ。おかげで、私は末っ子の描いた絵や、「?」と思うような作品をゆっくり見ることができた。

笹の葉に結ばれた末っ子願い事を、最後に見るつもりはなかったのに、3歳の男の子が願うことは予想のつく範囲だと思っていたからか、教室を出ていく時に、さーっと見ていこうとしていた。でも、どの位置に末っ子の願い事が結ばれているのかはわからないから、同じクラスのお友達の願い事を眺めていた。

「足が早くなりたいです。○○くんに勝ちたいです。」

「プリンセスになりたいです。」

「ディズニーランドにまた行きたい。」

3歳のこども達の願い事は、まだ字が書けないこども達に代わって、担任の先生が書いてくれたもので、即答できた女の子もいれば、たくさん願い事があって絞りきれない男の子もいたのかなぁと、想像しながら読んでいた。

そうしているうちに、末っ子の名前を発見した。名前を見つけた途端、さっきまで「予想のつく範囲の願い事」と思っていたくせに、期待する自分もいて、気づいたら声に出して読み上げていた。




「大好きなママを守りたいな」


今でもこの時の、大げさかもしれないけど射抜かれたような衝撃は忘れもしない。思い出すと嬉しくて泣けてしまう。涙もろくなっただけの気もするが、嬉しいと心から思った感動が消えない。どちらかというと守ってもらうような弱い要素は持ちあわせてないし、こんなドラマみたいなセリフを誰にも言われたことがないのもあって、3歳のこどもの心の中で、願い事というよりかは約束のようにも聞こえるこの想いが、どうやって湧いてきたんだろう?と分析てみたくなった。でもそんな分析は、末っ子が短冊に願ってくれた気持ちの優しさの前ではどうでもいいことだった。

後で担任の先生に聞いてわかったことだが、「ママを何から守りたいの?」と聞くと、「デスガリアン」と答えたそうだ。当時、末っ子が見ていた戦隊ものの悪の組織の名前だ。やっと3歳の男の子に見えてほっとした。でも、デスガリアンが襲ってきたら、ママを守ろうと思ってくれる気持ちは本物で、その気持ちに守られていたような気がする。

今は8歳になった末っ子は、言うことを聞かなくなったし、変な言葉は覚えてくるし、口答えもするし...おまけに、この短冊の話は覚えてもいないらしい。そんなもんだよね。

でも、道を一緒に歩いてると「ママは危ないから」と車道側を歩いてくれたり、私の苦手なゴ〇ブリが部屋に出ると、自分も嫌いなのにガードしてくれたり、私への守りっぷりは変わりない。そんな末っ子の、優しい気持ちや態度に触れるたびに、3歳だった君の言葉を思い出し、心があったかくなる。何度でもあったかくなる。





#君のことばに救われた

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