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弱さは嫌いです I don't like the weakness.

こういう文言(もんごん)をみて気分を害されたり落とされたりする方がいたら、それは申し訳ないのではあるが、弱さをどうしても嫌いになってしまう自分がいる。それを否定することができない。なぜならば、自分自身の弱さを仕方のないものとして受け入れて、それに浸って感傷的になって、もう何も変わらないし変われないのだと思いながら横たわってじっと悲嘆に暮れていることもあるけれども、一方で、そのような自己憐憫に浸って何かいい結果につながった試しが無いからである。

確かに、横たわって休む時間が必要なタイミングは存在するのだが、自分を悲劇の主人公だと思えば思うほど、自分の弱さや過去の失敗にフォーカスして自分で自分の傷のかさぶたを余計にはがすような、言わば一種の自傷行為に近いことをやってしまうのはよくないことである。したがって、弱さにフォーカスするのはさらなるキズを生みかねないことであり、それは望ましいことではない。

だから、自分を悲劇の主人公だと思ったり、自分の弱さにばかり注目して自分をあわれむ、自己憐憫(れんびん)に陥(おちい)る時間はなるべく少なくなるようにした方がヘルシーだというのが私の結論である。そのために、例えば、ヘルスケアに気を遣えるなら気を遣って悪いことはまるでないと捉えている。

もちろん、私がいくら「弱さ」が嫌いだ、それを回避したい、そこに注目せずにやり過ごしたいと思っていても、或る評価軸で見れば、私自身は強さも弱さもあるだろう。ということは、弱点が存在すること自体は単なる社会的事実、比較の結果として認めざるを得ないわけである。したがって、私が嫌いなのは自分自身の弱点に対してどのような「態度」を取るか。そちらの方に近いようである。

反対に言えば、例えば自分の弱さをテーマに考察を進めるにしても、そのすべてに対してケシカラン!とかウンザリだ!と思うわけではない。例えばそれに自己憐憫というかたちで情緒的にアプローチして、当事者としての吐露で終わってしまうのであれば、やはりもっと「強く」なる道や脱出口を見つけてほしいように思ってしまう。その一方で、自分の弱さが自分が生きていく上でどうしても目に入ってしまうようなものであるとわかりながらも、それをやわらげるにはどうしたらいいか、克服するにはどうしたらいいか、克服はできないまでも最小限の弊害でつきあっていくにはどうしたらいいかを考えていくような発言や分析をするのであれば、私は読み手としてもむしろ自分自身の弱さと向き合い、勇敢にそれと対峙しようとしている意気込みを感じることができるだろう。

投げ込まれた環境でどうしても弱さを抱え込んでしまうことは仕方がない。また、弱さに情緒的に支配され、囚(とら)われる時期を通過せずにいられないこともあるだろう。ただ、悪あがきも含めそれを一定期間経験したならば、顔をあげて前を向いてほしい。そのように期待しながら他人を見守り、前向きになれる体力がつくまで見守っているときも私にはある。

(1,238字、2024.04.19)

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