波勢邦生

2020年4月より40代満期退学:アラホー文系博士課程の社会的入院記。人生ログアウト前…

波勢邦生

2020年4月より40代満期退学:アラホー文系博士課程の社会的入院記。人生ログアウト前にスルメと哀しみを味わう毎日から翔び立つ先は天国?地獄?煉獄か?現代社会の隙間風、ネットの海の枯れ珊瑚がモニョるnote。必要な場合はkhase.christnewsあとジーメイルまで

最近の記事

中世ギルド教師のオンライン講座

 ぼくは個人事業主なので、その時々に応じて数多の仕事をこなしている。それゆえ介護者のときもあれば脚本家のときもある。ただ、それだと自己紹介に困るので、いちばん通りのいい肩書として「大学の先生(バイト)」と言うことにしている。「宗教学を教えており、キリスト教を研究しているんです」といえば、多くの人々が、へぇ~、そんな仕事もあるんだ~と思って終わってくれる。  もちろん蟹工船アカデミア号のような話にはならないし、こちらも「ええ、まあ、はい、そうなんです」といった具合に流すことが

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    • 京都大学2024前期「終末論」木2限-1

      今年も京大で「終末論」を講じることになった。去年は前期の前半部分のみを担当した。今年もそうだったはずだが、なぜか前期丸ごと担当になってしまった。鬼も溶け出す地獄の焔よりも熱い夏の京都へ毎週向かうことになる。主よ、憐みたまえ。  たまえといえば「砂澤たまゑ」という伏見稲荷の巫女オダイについての書籍を読んでいるが、これが本当におもしろい。が、それは措いて京大で講じた授業メモを備忘録として以下に残す。 授業目的 ・キリスト教神学の中心問題である終末論についての文献(英語)を精読

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      • 神の博打と天の帳尻合わせ

         遅れに遅れた博士論文の修正稿を提出した。半年ほど前に教授方より修正指示を頂いたはいいが、多忙に多忙を重ね、心の隅にありながらも手をつけられなかった。学恩ある先生方に大変な迷惑をかけながら奇跡的にステータスは諮問待ちとなったので、ここまで来ると合格したいものである。とはいえ、そもそも遅延したのは自分のせいなので、どんな結果が出ても、ただただ反省するしかない。 さて、天国のたとえ話である。イエスは語る。  中高生のころから聖書を読んでいて、いつもこの話を聞くたびに「理不尽だ

        • 天の基準

           マタイの福音書25章31節以降に、有名な場面がある。イエスが復活のキリストとして再び世に来るとき、いわゆる教義学でいう最後の審判の場面である。  大変有名な場面だ。「われこそは天国に入る!」と自信満々にイエスを見つめる者たちが地獄へ分けられ、「自分にそんな資格はない、結局、不十分だった…」と神を畏れ、キリストを敬い、目を伏せ、裁きを戦慄して待つ者に佳い知らせが語られる。  天国へ入る者は誰にも分からない――そういう例話として、この記事を読んでいた。仕事から戻り、シャワー

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        マガジン

        • 信仰について
          39本
        • キリスト教について
          70本

        記事

          映画「忌怪島」の感想

           ひさしぶりに映画でも見ようかという話になって、授業終わりの同僚とサイゼで豪遊したのち、三条movixへと足を運んだ。時間の具合、体力もあって、とりあえず新作ホラーを見ようと視聴。公開はつい最近らしい。なお事前情報はタイトルのみ。  ティーザーも感想を書くために見たくらい何も知らずに観劇へ。以下ネタバレ込みで感想を書くので、それがイヤな人は、そっ閉じブラウザbackで、よろぴく。 まず全体的な感想。  とりあえず発想と設定はすごく好きだし、めちゃ良いと思った。主演の男の

          映画「忌怪島」の感想

          京大で教えてみた

           2015年3月、宣教師としても教職としても蹉跌をふみ切ったぼくは、京都に漂着して、同年4月、大学院に入りなおした。30代なかば、再びモラトリアムである。否、人生のほとんどがモラトリアムだった。それゆえ宗教をこじらせて社会的サナトリウムへ入院。おそらく退院は棄民、あるいは永眠。  あれから数年を経て、いま短い期間ながら教壇に立つことになった。この展開を予想はしていなかった。いつだったか、神戸のバイブルハウスかどこかで水垣渉先生の講演をきいた。そこで語られた「キリスト教とは多

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          垂直と水平ーー「丸木舟とUFO」感想

          垂直と水平ーーそれが映画「丸木舟とUFO」を観た感想だった。  船底から見上げる人々の顔は、くり貫きの木造船となったリュウキュウマツが獲得した新たな視線だ。亜熱帯の森に屹立し続けた大木が他の樹木とヒトのために身を横たえて余生を過ごす。森から海へ。立つことから横になることへ。  その姿は、公民館ちかくでUFOを探すために身を横たえる久宇良の人々の姿にも重なる。他者のために、この土地のために身を横たえて星空を眺める。  そんな日常を青く俯瞰する視点が時折挿入される。人には叶

          垂直と水平ーー「丸木舟とUFO」感想

          他人の眼のなかの塵

           先日、不幸を招く青ざめた鳥のSNSで、随分と適当な発言をみて閉口してしまった。当然、キリスト教については何もしらない人の発言だから目くじらを立てることが可笑しい。とはいえ、やはり反応してしまう。上掲イエスの言葉を思い出し、心に反省が去来した。  陰謀論やスピ系、または床屋居酒屋井戸端で、ひとは語る。「本当のイエスは~だった」と。この手の発言は基本的に失禁と同様であり、要介護でないかぎり自分で始末をつけてもらわねばならない。「イエスは宗教に利用された」「聖書の~は、要するに

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          可能性世界と霊能者

           今朝、奇妙な夢をみた。修道院に入る夢だった。現在、博士論文など、もろもろ抱えているものがあるけれど、「修道院、入っちゃったしなぁ」と夢の中の簡素な庭を眺めていた。いまとなっては懐かしい米国の神学校舎の裏庭に、よく似ていた。泊まる場所は十段ベッドのような、かなり変わったつくりだ。中空の塔内部の壁面にベッドと個人の机などが備えつけられており、移動は梯子を使う変な構造だった。  先輩修道士に「これなら着れるかな」と大きなサイズの服を選んでもらい、なんとか袖を通した。その服は信徒

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          遍路歴程:A Pilgrim's Progress

           20年前の旧交が戻ってきた。互いに大人になったから、なかなか時間が合わない。それゆえ旧友のため、ここにぼくの天路歴程を記す。たかが20年ぽっちの敬虔と研究の挫折、その痕跡。準備不足のまま厳冬期のエヴェレストに挑んで、そのまま氷漬けになった誰かのミイラが示す、デッドエンドへの道標。本記事タイトルが「遍路歴程」と名作との一文字違いな理由は、不朽の名作になぞらえるのは面映ゆいのと、日本人だから宗教的探求の名は、やっぱりお遍路かな…と思ったからだ。  以下、旧友以外にどんな需要が

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          note運営に願う改善点: ①記事を書いたあとの自動労い非表示の選択 ②あらゆるオススメの非表示機能 実装されるともっと良いプラットフォームになると思う。

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          宇露戦争と宗教についてのメモ

           全世界が固唾をのんで見守る中、ウクライナがロシアに進攻された。または、ロシアがウクライナでの平和を維持するために特別作戦を実行した。それで、ふと思い出したのでメモとして以下を置く。ロシアとウクライナの宗教の話である。  多くの人々の印象の通り、ロシアもウクライナも「正教会」のキリスト教徒の多い国である。もちろん両国ともに様々な宗教がある。ロシアは広大な連邦国家だから仏教徒もイスラム教徒も含む。それにキリスト教も正教会だけではない。  たとえば宗教改革期・再洗礼派のメノナ

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          原始の神社をもとめて

           岡谷公二はフランス文学者・美術史家であるが、にもかかわらず民俗学に造詣が深い。先日たまたま古本屋で拾った新書の束のなかに彼の著書『原始の神社をもとめて 日本・琉球・済州島』をみつけた。前持ち主は、日本古来の宗教に関心があったのだろう。関連する分野の本10冊を2千円ほどで購入できた。そのうちの一冊が岡谷『原始の神社をもとめて...』だった。まず章立てを確認しよう。 第一章 済州島の堂との出会い 第二章 韓国多島海の堂 第三章 済州島の堂とその祭 第四章 沖縄の御嶽 第五章 

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          communitas religionis

           ラテン語には詳しくないので、上掲表記が精確か否かは判らない。仕事のミーティングのち雑談しながら「宗教共同体」について話をしていた。宗教の共同体といえば、昔ながらの寺社仏閣を含む里山的風景、またはキリスト教会などが挙げられる。最近それらについて興味深い事例をみている。  ひとつは某県のキリスト教系カルト。こちらは人の少ない町で元カルト信者が自称キリストとなり活動する団体。コロナ禍以降、とくに2020年には活動が活発化したようだ。  ざっと調べてみると、教祖となってしまった

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          信仰の仕事の話

           確定申告から逃げているつもりはないが、興味関心のおもむくまま、霊能者と呼ばれる人々に連絡をとり話を聞いている。いわゆる「本物」は稀である。それでも運よく、そういう人々から話をきく機会がある。  ライターの取材でもあり、研究関心でもあり、ぼくの信仰や使命に関することでもある。そう、ぼくの信仰の仕事の話だ。  今晩もニコニコ動画を友人らと眺めていた。飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ニコニコ」も今や焼き鳥になるまであと少し。サービス終了まではいかないが、かつての権勢はない。ぼく個人

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          信仰の仕事の話

          もし「聖書」を教えるなら

           友人に若者との読書会について話を振っていたら「ハセさんとやるなら、やっぱり聖書でしょ、いつか読まないとダメなものですし」と言われ、考え込んでしまった。ぼくの答えは「どうせ読んでも判らないんだから、読まないほうがいい」である。友人いわく「たとえば、月1回、全5回でどうですか」と。  ぱっと思いつくのは、全5回で各回60分なら何をするか。すぐに思いつく割り振りは以下である。まず1回の講義を15分×4に分割。15分-1が総論的説明、15-2が各論的解説、15-3が実読、15-4

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