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校則の厳しい学校は人の成長を妨げる

僕には後悔していることがある。それは、高校受験で志望校を適当に決めたことだ。僕が志望校を決めた理由は、家から一番近いというのと、大学までエスカレーター式に進学出来るという、いい加減なものだった。
結局、志望校には受かったものの、そこでの3年間は何とも味気ないもので、当時の僕にアドバイスできるのなら、「貴重な3年間で自分が何をして、どうなりたいかよく考えて進路を決めなさい」と言いたい。

僕が通っていた高校は「教育」の名のもとに、生徒を徹底管理する学校だった。携帯電話の所持は禁止だし、頭髪の長さまで決められていて、定期的に検査された。
携帯の所持がバレれば解約か退学の2択だし、頭髪検査に引っかかれば、男はバリカンで刈られ、女は三つ編みにされるクソみたいな校則だった。
校則で禁じられたのは他にもある。帰り道に買い食いすることも、アルバイトをすることも、眉を整えたり整髪料で髪を整えるのも禁止、化粧も禁止。教員の中には恋愛も禁止というのも居た。

全ては勉学の為だと学校は言うが、そんなのは建前だ。
生徒が厄介ごとを起こしたときに、対応に追われたりイメージダウンすることを恐れているから、未然に厄介ごとの芽を摘んでいるに過ぎない。責任から逃れるために自由を与えない学校で、いったい何を学ぼうか。

皮肉なことに、学校が禁止したことは全て、社会に出たときに必要とされるものだった。
買い食いはビジネスの基本を知る機会、身だしなみを整えるのはエチケット、アルバイトは労働について学ぶ経験、恋愛はパートナーとの繋がりを通じて自己認識と成長をするチャンス、そして携帯電話は社会と繋がるアイテムだ。
教科書をなぞっているだけの授業を聞くより、何倍も学ぶことがあったはずだ。それを根こそぎ禁止して何が「教育」なのか?

僕は高校生活で人生の糧となるような経験は得られなかった。
それは何故か? あらゆる自由が許されなかったからではないか。
高校時代を思い返しても、ほとんど記憶が無い。思い出せるのは部活の顧問が怖かったのと、毎朝追試を受けていたこと。それから、長期休暇になると講習やら勉強合宿やらに強制参加させられて、退屈な授業を延々と受けなければならなかったことだ。恐怖よ拘束に支配されていて自発的な記憶が何もない。それだけ中身の薄い3年間だったのだろう。

まだ10代で体力はあったのに、やりたいことは禁止されている。その結果、部活と勉強以外にすることが無くて、毎日が退屈で無気力になって、惰性だけで3年も過ごしてしまった。今思えば全くもって無駄な時間だった。人生の糧など得られる訳が無い。

この経験から得た唯一の学びがあるとすれば、無駄に時間を過ごさないためには、自分にふさわしい場所を選ぶ必要があるということだ。
行動しないことには学びは無いのだから、行動を制限する場所にいてはいけない。
15歳の僕は、髪型や行動まで強制する学校ではなくて、自らの行動に責任を負える学校を選ぶべきだった。行動と責任を伴わずして、自由な人生はありえないのだから。
このことは、子供を監督する立場の大人にも理解してほしい。

規則が厳しい学校も、過保護な親も、学生や子供の為と言いながら、本当は自分達が楽だから行動を制限しているに過ぎない。しかもそれが成長の妨げになっているとも知らずに、良かれと思っている。
だからこそ、自分が進む場所(環境)は良く調べて決めなければいけない。

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