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南の島の生命力と詞の世界。『雨の島』呉明益(及川茜訳)

台湾の呉明益さんの小説は、日本語訳がいくつかあります。現実とフィクション、現在と過去が行き来する独特の文体と世界観で、私が好きなのは『自転車泥棒』。台湾原住民の言い伝えと、日本植民地時代の銀輪部隊の歴史、現代台湾の自転車王国状況が入り混じった、不思議な小説です。

『雨の島』は事前情報がなくて、時間があれば……という程度で読み始めたら止まらなくなりました。なんせ、台湾の自然描写がすごい。木や植物、動物の野性的な生命力と、その源泉の太陽の強さとまぶしさ、圧倒的な水分の多い筆力が読者に迫ってきます。

亜熱帯の台湾に住む作家さん、ならではなのでしょうか。きっと、翻訳者の及川茜さんの力もあるかと思います。『雨の島』に登場するのはミミズ、鳥、台湾ウンピョウ、木(ツリークライマー)、マグロ(クジラ)、鷹。そして、そんな力強い生き物たちに魅せられた弱いニンゲンの物語が、寄り添うように繊細に描写されています。

愛とは強力なエネルギーを必要とするもので、鳥類が順調に換毛するのに必要な類のものだ。愛は緩むことがあるし、愛は力を失うことがあるし、愛は暗雲に遮られることもある。

「人はいかにして言語を学ぶか」『雨の島』

この小説は中編小説6つが入れ子構造になっていて、全体で1つの「雨の島」の物語になっています。あるの物語の主役は、次の物語の脇役として登場します。そして、物語をつらぬくのは「クラウドの裂け目」というインターネット上のアクシデント。クラウド上にある個人のデータの鍵が突然、関係する誰かに送られてきて、受け取った人の人生を全く別物に変えてしまいます。まるで、神様のいたずらのように。

6つの中編物語の中で、私は最初の2編が好きです。ミミズに魅せられたソフィーと、鳥の鳴き声にしか関心を示さない狄子(ディーズ)は、まるで小川洋子さんの小説の主人公みたいに、小さい頃は寄る辺ない存在です。小川作品と違うのは、生き物との独特の関わりのおかげで、大学という専門機関で自立する術を獲得していくところ。

狄子は大学に入ってから鳥類行動学を専門とする徐教授に高い評価を受けた。彼はこの無口で目鼻立ちの整った軽い巻き毛の青年に優れた天賦を見出したのだ。たとえばある野外調査で、コサメビタキの細かな乾いたトリルがどこから聞こえるのか皆が判別できずにいる時、狄子は黙って正確な方位を示した。教授は仔細に観察して、彼がいつも他の誰よりも早く鳥の声の正確な方向に気づいていることを発見した。

「人はいかにして言語を学ぶか」『雨の島』

色々な録音アプリが簡単に携帯と連携できるようになっていたけれど、狄子は子供の頃の習慣を捨てることなく手で記譜を続けていた。一時期はソーンダーズ(Aretas A. Saunders)のほとんど人間の理解を超えた『鳥声指南』(A Guide To Bird Songs)に倣って、自作の特殊記号で鳥の声を記録し、手で音線図を記そうとしたくらいだ。鉛筆の線がヘッドホンの、あるいは記憶の中の鳥の声に沿って起伏する時、狄子はお母さんが言っていた「筆触」を思い出した。――「筆触は心に従うもの」、そうやってはじめて、羽毛の表象を超えて、鳥の鳴管や心臓、そして精巧で見通すことができない頭の中に触れることができる。

「人はいかにして言語を学ぶか」『雨の島』

東南の要所にあって、どこからかやってきて、またどこかに行くための中継の港、台湾。太古の昔からオーストラリアやニュージーランド、東南アジアの島々から小舟で人々がやってきて、住み着いた台湾の原住民(先住民)。海の民は、やがて平地の民になり、山の民になり。小説では、台湾の主のように大事な部分で、ごく自然に登場し、主人公たちと関わるのがいいです。

鳥の鳴き声にしか興味を示さず、録音ではなく独特の感性で音符に綴ろうとした狄子は、父と母を失います。その後は狄子は聴覚を失いますが、鳥への執着は常に彼に味方をします。手話という新たな言葉を得て、新たな仲間も得て、自分の人生を再構成するのです。

数日後に狄子は民間の組織が開設した手話の課程に申し込んだ。最初にドアを開けて教室に足を踏み入れた時、心の準備はしていたものの、やはり眼前の光景に衝撃を受けた。たくさんの手がてんでにひらひらして、多くの声が空中に解き放たれ、耳にではなく目に届いた。

「人はいかにして言語を学ぶか」『雨の島』

ある日、鳥の声の手話に頭を悩ませていた狄子は図書館で思いがけずある本に出会った。それは生物学者デヴィッド・ジョージ・ハスケルの著書だった。本の中で彼はコウウチョウのオスの声をこう形容した。「溶けた黄金が流れ落ち、凝結して石にぶつかり、リンリンと音を立て、美しい液体の流れる音と金属の触れ合う音が結びついたようだ」そしてショウジョウコウカンチョウは「火打ち石を擦り合わせるような声」を発する。

深い目(狄子)は急にお母さんがラエ・アーマントロウトの詩句を読んでくれたことを思い出した。「もし別の名前で/あるものを呼ぶなら/そこに隠れた楽しみがあるはしないか?」その通りだ、直接伝えられないことは、隠れた方法で表せばいい。

「人はいかにして言語を学ぶか」『雨の島』

「自然書写」(=ネイチャーライティング)という言葉も、この本で始めて知りました。世の中は広くて、小説には限りがなくて、ステキです。青空の広がる日に読みたい本の1冊です。おすすめ。

中国語でチャレンジしたい方は、こちら。電子書籍で読めます。


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