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静謐なピアノを水のように携えて、今日は
https://youtu.be/ci53bEL8KWA?si=yAZkQU4mscw9rk_h
静謐なピアノを水のように携えて、今日は
https://youtu.be/ci53bEL8KWA?si=yAZkQU4mscw9rk_h
一人が一つの星とは限らない、これは自分にとってとても新鮮なできごとだった。「ふたりの」終わり方もあるんだね。/映画「異人たち」
2月の仙台、「火星の庭」。そこで、榎本櫻湖さんが書いた萩野なつみさんの詩誌月評を読んでいました。
降るものと降らないもの
葉がへたってしまったが、それでもいい。部屋で組み直すこと、場と空気を組み替えること(あるいは組み替えられると信じること)。
キキョウラン、バラ、レースフラワー
詩を少しだけ落とした。明るい夜にもう少しだけ目覚めていたい。
積荷のように生命を搭載して。「病気から逃げてね」と言う。積載量を無視して進む。質量保存の法則無視の女を演じ続ける。
この生を一度きりの肉体でやっていることだけで褒められたい日も、まあ、ある。
踏切の音を楽器として
昨日は髪を切った(切られてきた)。そして今日は朝の活動を終えた後に、茎や枝を切ってきた。雪柳とラナンキュラス。当然のことだが、刃と刃が触れ合う時の音が全然違う。それは春を切り開く音にもなり得るだろうか。
古井由吉の命日だ。この人の書くものを母国語で読めることのよろこびを噛み締めなければいけない、ということだけは分かる。
何度も衣をつけて高温で揚げ直して、嫌気がさしてくる直前で凍らせる、その温度感、その手触りをいつも持つことができたらどんなにいいかと思う。