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本当は一番星になりたかった


ディズニーランドに行きたい。
いい歳して何をって思われるかもしれないけれど、ジェラトーニが大好きで色々とグッズを持っている。よく意外と言われるけど、かわいいものも大好き。でも、昔から主役じゃなくて脇役を好きになる癖があるなあと思う。
ダッフィーのお土産グッズのコーナーに行って癒されたい。毎年行ってたのが嘘のようだね。


人生にもファストパスがあればいいのに。
飛び越えて手に入るものがあればいいのに。
恋愛なんて飛び越えて結婚というファストパスがあればいいのに。時間をチケットに交換できるのはやっぱりディズニーだけで、夢の国だからなのかな。
現実はタイムイズマネーだ。



突然の豪雨、夏の雨でも冷たい時は冷たい。
少し雨に濡れて湿ったシャツで冷房のついたバスに乗って電車に乗って、寒くて冷たいから誰かそばにいてほしい抱きしめてほしいと例え願ってもそれは無駄なの。


わたしが未だにこんなに何もかもままならないまま、年齢に応じたなにかを手にしているわけでもないまま生きていることは誰かに許されているのだろうかって自問自答を繰り返す。
同世代のみんなが待ち合わせている「普通」と呼ばれるものを何一つ持ち合わせていないわたしはもしかしたら、マウンティングされて当然の存在なのかな。


どこへいってもひとりぼっちだった気がしたあの頃のわたしより、多分きっと今のわたしはひとりぼっちではないかもしれないけれど、もしかしたらわたしが生きていくことって誰かに許されているものではなくてただただ砂時計が落ちるように静かに時間を進めているだけなのかもしれない。



今までの経験全てがわたしの思考や価値観、ひいては存在のためだという教えは頭ではなんとなく理解できても、できることならば苦労はしたくない、傷つかずに優しさだけを知って人生を進めてみたかった、そう少しでも願うことってワガママなのかな。

いつも、文章に落とし込むときにどうにか希望を書いて落とし込みたかったけれどどうやら最近はそれが難しい。
心が苦しいよ、助けてよ、って叫んでいる。


自分の持ち物精査ばかりせずに、そして他人の持ち物を羨ましがったりせずに、生きていく術がほしいのに、それが一番難しい。

自分の見た目がいつも以上に気に入らなくて鏡を見ることが怖くなった日が続いたり、ゾッとするような恋愛を垣間見たり、その反面人のことを好きになる気持ちって素晴らしいことなのになと涙したり、暑すぎて熱中症みたいな症状でずっと頭痛が治らなくて倒れるように寝た日に母には「コロナじゃないよね?」と心ない言葉をかけられたり、そんなことが続いて、でも自分以外の周りは幸せそうでもうやってらんないやってすっかり余生を生きてみたい気持ちになった。
それでも多分わたしが沈んでいくには若すぎて、この二倍ほど生きてみて、それでももしかしたらまだ余生を語るのは早いのかもしれない。
早くおばあさんになりたいって思うけど、それこそファストパスを使って、もう頑張り切ったことにしたいですって無理矢理こじつけているみたいにも思う。

もうなんにも頑張れないってときは、人生を引退する合図なんかじゃなくて、一回休憩の合図なんだろうなと冷静になって考えたらわかるのに、やっぱり難しい。でも本当は知ってるの。無敵な人なんていないってこと。そう見える人がいるとしたのなら、その人がそういうふうに振る舞っているんだってこと。それはもちろん良い意味で。

誰かの特別や一番になりたいだなんて、そんな一番星がほしいなんて思わない。せいぜいわたしは三番星になれてたらいいくらいで、それでもね、一瞬くらいは一番星になってみたかった。



キラキラ光る夜空の星よ。
三番星でも、這いつくばって生きていかなくちゃ。たとえそれが救われなくても、意味がなくても。


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