『頭が悪い』を分解してみた。

Q. 頭が悪い人とどう接すればいいですか?

A. 無理なんで頃して下さい。

終わり。

..

.

添削文から来て下さった方、先に謝罪します。
ごめんなさい。

麻雀界の話もうありません(0.1%くらいあるけど)。

私は、『頭が悪い』奴=バカな奴、が大嫌いなのですが、最近、そのバカには共通点があることに気が付きました!!!!!!

聞いてください!!!!!!!

という内容です。

興味ないようでしたら、ブラウザバックをお願いします。
さよなら。

..

.

さて、結論から申し上げると、バカという生き物は、概ね以下3つのいずれかで説明出来るような気がします。

・目的あるいは手段がおかしい人
・抽象化/具体化をしての思考が出来ない人
・自分を客観視できない人

算数や高校数学の問題が解けない、計算が遅い・できない、みたいな話は、知識や教養、処理能力に起因する問題として、今回の話からは除外します。

(教養として知っておいた方がいい知識は存在しますし=知らなきゃバカ、数字や文章を捻っただけの『同じ問題』を『同じ問題』と捉えられるかどうか?というのは抽象化思考の話でもありますけどね。)

高校数学すら怪しそうな雰囲気なのに、麻雀を期待値で語ろうとする麻雀プロの悪口でも挟もうかとも思っていたのですが、面白くなさ過ぎるのでカットしました。

まぁ、折角なので、もし知らない人がいたら教養として、期待値の定義だけ載せておきますね!!!

数式編集がめんどいのでWikipediaから持ってきてます。

連続型確率変数の場合も考慮しろ!!!なんていう、数学的教養からのツッコミがあるかも知れませんが、麻雀における打牌の選択肢は可算個なので、その指摘はナンセンスです。

そこんトコよろしくお願いしま~す。

例に漏れず導入が長くなりましたが、前述した3つのバカについて、考察を始めていきます。

以下、よろしくお願いします。


目的あるいは手段がおかしい人

下記のnoteでも書きましたが、ちゃんと目的を設定してそれを実現するための最適・適切な手段を検討する…、これが出来ない人、結構いますよね。

(頂いた保護者の方からのコメントを見るに、リークした生徒側も結構な悪意があったと見て取れるし、仕方ない部分もあった気もしていますが…)

例えば、異性へのプレゼントにありがちな話ですけど、基本的にはプレゼントって、自分に対して好意を抱かせたり、喜ばせたり、そういう目的を達成するための手段の筈です。

だから、相手の趣味趣向とか、相手との関係性から自分はどんな期待をされてるか?とか、そういった事を考えてプレゼントの物や予算を考える訳ですね。

笑いを抑えるのが大変だったエピソードとして、以前何かで書いたか忘れましたが、大学の後輩♀に泣きつかれた事があって。曰く、

「この間、彼氏と付き合って初めての誕生日だったんですよ。それで、サプライズでプレゼントを貰ったんですけど、そしたら、全然興味のない登山グッズだったんです。一緒に登ろう!って。私、思わず泣いちゃって…」

目の前の後輩は、文字通り声は震えてて、またまた泣き始める訳ですよ。

そう来られたらこっちは、爆笑したい気持ちを必死に抑えて、神妙な面持ちで、

「そっか、それは悲しいよな。最初の誕生日くらい、恋人らしいプレゼントが欲しいよな。」

なんて、慰めモードに入らざるを得ない訳ですよ。

「自分の、悲しかった気持ち、もっと恋人らしいプレゼントが欲しかった気持ち、そういうのを伝えるのはワガママではないからさ、ちゃんと伝えてやりな。男は幼稚でバカなんだ、ごめんな。」

と真面目にアドバイスしたのでした。俺、イケメン過ぎますね。

この手のプレゼント問題、Twitterでもよく話題になりますが、『一生懸命選んでくれたものに』『人の好意を素直に受け取れない卑しい奴』みたいな、プレゼントを【贈る側】の落ち度には触れずに、【受け取る側】の批判に傾く人

いやいや、おかしいでしょ。

プレゼントの目的に立ち返ってみましょうよ、と。

自分に対して好意を抱かせたり、喜ばせたり、そういう目的を達成するための【贈る側】の手段、の筈ですよね。違いますか?

自分が贈りたい物を贈る、あるいは、自分が贈りたいから贈る、そんな自己満足のための手段なんでしたっけ???

それでは、手段が目的化してしまってはいませんかね。
まぁ、本気でそれを自覚しているなら、構わないとは思いますけれど。

なんでしたら、立場を贈る側から【受け取る側】に変えてみましょうか。

バレンタインデーは過ぎましたが。タイプでも何でも無い、肩に雪を積もらせてる見るからに不潔なババアが、満面の笑みで、

「一生懸命作りました、好意として受け取って下さい!」

と手作りのチョコレートを渡して来たら、喜んで受け取れますか?人の好意に主眼を置くお前らが言っているのは、そういう事だぞ。

もちろん、単純な二元論ではなく、程度の問題はあります。

ただ、基本的には、プレゼントは贈る側の行為であり、そこには目的が存在する以上、まずは、目的に対する達成度合いで評価されるべき、贈る側が批評の対象になるべきなのです。

言い換えるならば、目的意識がない人は、自分の好き嫌いという薄っぺらい尺度でしか物事を測れないし、何の疑問も抱かずに無価値な行為を行い、あまつさえ、一生懸命にやる事それ自体に価値を見出してしまう訳ですね。

ば、ばかすぎる…(FE封印の剣 セシリア氏、一部改変)

(追記)
Twitter上で、唐突にコオロギの話をしてたの、この話です。
コオロギを食用化しようという目的・意図を把握した上での批判なの?と。


抽象化/具体化をしての思考が出来ない人

さて、前章でプレゼントの例を挙げた訳ですが、ここで私は次のようなことを言ってみます。

「センスの無いプレゼントをする奴って、多分、仕事の能力低いよね…笑」

すると、一部の人にスイッチが入り、どうしようもなくアクセル全開になります。

「プライベートの範疇であるプレゼントの話と、パブリックな仕事の話を同列に語るのはおかしい!!!間違ってる!!!!!」

Twitterでよく見る光景ですね。

まぁ、確かに、その一文だけだったら、話を飛躍させ過ぎかも知れません。


でも、前章のキーワード、【目的と手段という観点で言えば】という一言を添えたら、流石に理解して頂けるのではないでしょうか。プレゼントも仕事も、目的の設定とそれを達成するための手段の選択という【共通の要素】があるからです。

(多分そういうことでしょ?と、わざわざ補記せずとも通じて下さっていた方は、物事を抽象的に捉える事に慣れているのだろうと思います。)

もちろん、領域が違うので『プレゼントは上手くなくても、仕事が物凄く出来る』みたいな人がいるのは当然なのですが、別に、そういう話をしてる訳じゃない、じゃないですか。

あくまで、話の主眼は【目的と手段】という抽象的な箇所にあるのです。

それを、抽象的なまま捉える事ができず、具体的な形でしか認識できないから、前述のようなバカな反論をしてしまう訳ですね。いますよね、

「プレゼントは上手くなくても、仕事が出来る人はいる!」

みたいに言っちゃう人。

あんたバカァ?(新世紀エヴァンゲリオン 惣流・アスカ・ラングレー氏)

反論するのであれば、

「確かに、課題解決型の仕事なら、【目的と手段】への意識は大事かも知れないけど。例えば、音楽とか絵画、工芸品といった、芸術に代表される、表現そのものに価値がある、表現すること自体が【目的であり手段である】、みたいな仕事もあると思うし、仕事を近視眼的に捉えすぎじゃないです?」

といった具合に、【目的と手段】という話の主眼を捉えたまま自分の見解を伝える必要があると思います。

まぁ、なんていうか、バカな人が挙げる例って意味不明な事が多い気がするけれど、話の主眼となっている抽象的かつ大事な部分を迷子にしてしまっていて、それを共通の要素として持つ具体例を適切に挙げられないから、そうなんだろうな、と。

はい。


自分を客観視できない人

これで3つ目、最後になりますが、一番バカをバカたらしめているのはどれか?と聞かれたら、個人的にはこれでしょうか。

私の好きな言葉に、『不知の自覚』というものがあります、ソクラテス哲学のアレです。

(一般的には、『無知の知』として知れ渡っていると思いますが、日本語訳と解釈に疑問があるので、私は『不知の自覚(無知の知)』と言うようにしています)

まぁ、『無知の知』がどうとかは、話の本筋ではなくて。

そうですね、先程も例に挙げた、『肩に雪を積もらせてる見るからに不潔なババア』。

この人って2パターンあると思うんですよ。

一つは、不潔なのは分かってるけど、体質だしどうしようもないんです… お金掛けたりすればなんとかなるかも知れないけど、そんな余裕もないし…。

もう一つは、私のどこが不潔なのよ!!!!!!!!!!

もうお分かりですよね。私は、後者のことをバカ(=自分を客観視できない人)と言っています。

自分を正しく認識しないと=『客観視できない』と、何か物事を改善するというスタートラインにすら立てないんですよ。

本人は正しいつもりな顔をして、傍から見たら意味不明な主張をしてる(し続ける)人、いますよね。

でも、本人は正しいと思い込んでるから、間違いを指摘しても、

1. 自分の主張は絶対に正しい。(自分が間違っている可能性は無視)
2. 自分の主張が批判された!?
3. 自分の主張は正しい以上、自分を批判した奴に問題があるに違いない!

このように、1の間違い・矛盾を解消するために、3みたいなトンデモ論理が走ってしまうのです。

ですが、自分を客観視する事ができれば、

1’. 自分の主張は正しい(つもりだけど、絶対とは限らない)
2. 自分の主張が批判された
3’. 自分が間違っているかも知れない。相手の主張も踏まえて、もう一度検討しよう。

となる訳です。

つまり、普通の人同士でレスバなんか起きる訳がなくて。

1’で主張を見聞きした人が『矢木に電流走る―――!』となるか、3’の時点でいい指摘を貰ったかも『感謝っ・・・・!圧倒的感謝っ・・・・!』(CV: 立木文彦)ってなるくらいしかないのです。

(なんで『・』4つなんだ? 気持ちわりーな。)

そういった訳なので、私が変な奴に絡まれた時は、コイツは3→1のループを抜け出すことが不可能だろうという前提のもと、氏ねゴミ、とだけ返すのです。

だって、無理でしょ。死ぬ以外にどうやってループから抜け出すんだ…!?

「本来の己の結果を受け入れ逃げなくなった時 おのずとイザナミのループは解ける」(NARUTO うちはイタチ氏)

クリティカルシンキングという思考法で体系化されていますが、数字で物事を捉える、自分で自分に反論してみる(脳内ディベート)、自分の間違いを指摘してくれる信頼できる人を大切にする、、

これらはとても大切なことかなと思います。

自分のダメなところを認めるのって結構苦しいことなんですけど、それを認めて改善しない限り同じことの繰り返しで、何も成長しないのです。

成長って言葉に、意識高い系ウザ…みたいな嫌悪感を示す人がいるかも知れませんが、自分自身に原因を求めて行動を変えない限り、物事は改善しないと思います。

宝くじでさえ、自分で買わなきゃ当たりません。
親が買ってくれるパターンがある?その反論、本気で言ってます?


それに、自分を客観視することは、ただ自分に厳しくするだけ、ということではありません

私がよく挙げる例えとして、雨と傘の話があります。
(バカバカしいとは思いますが、好きな例え話です)

●パターンA
天気予報を見て、今日1日晴れ、降水確率0%。
当然、傘なんて持って行きません。
ですが…帰り道に急な雨にやられてズブ濡れでした。

●パターンB
なんか曇ってるけど、まぁ傘は邪魔だしいいや。
天気予報?あたらねーしいいだろ。(午後の降水確率80%)
当然といえば当然、雨に降られてズブ濡れでした。

●パターンC
天気予報を見て、今日1日晴れ、降水確率0%。
当然、傘なんて持って行きません。
帰り道、隕石が降ってきて死にました。

まず、Aですが、天気予報を見た上での判断でなら、ある意味仕方ない、『運が悪い』、と客観的に割り切れることができるのではないでしょうか?あるいは、折り畳み傘を常備しておくことで、リスクヘッジが出来なくもないので、全く悪くないとは言い切れないかも知れません。

次に、Bです。天気予報を見なかったのが絶対的に悪いとは言いません。時間の使い方は人それぞれ優先順位が異なりますし、降ったら降ったでビニール傘を買えば問題ないという考え方もあります(私がそう)。ですが、もし天気予報を見て、降水確率80%である事を把握できていたなら、雨が降るだろうと判断するのが妥当ですし、その前提で準備をすることで防ぐことは容易に可能だった筈です。別に、『運は悪くない』です。

最後に、Cです。隕石が降ってきたのなら、何をしても無駄です。神への祈りが足りなかったのでしょうか? いいえ、何も悪くないです。何か出来たのでは?と考える人は、やっぱり『自分を客観視できていない』です。


だって、隕石までも防げるなんて、

貴方は神様なんですか?


(…麻雀界には神様が多いな。)


終わりに

私なりに、『頭が悪い』とは何かを考察してみました。

私は、自分のことを頭が良いとは思わないし(そう思った時点で、頭が悪い=自分を客観視できなくなっている証左)、私が誰かをバカにしている時は、3つのいずれかを前提にしてバカにしています。たぶん。


コオロギのこと、いろいろ書こうと思ったけど、なんか力尽きた。

セミが美味いらしい。

Youtubeチャンネル、ホモサピ・おーちゃんねる参照。


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