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106 誰もが居場所を持てる社会は、きっとシステムの外にある【WEBラジオ文字起こし】

WEBラジオの音声ファイルをAIでテキスト化してみました。そのまま載せているので変な表現ばかりです(私の名前すら間違っています)が、ご了承ください。

はい、皆さんこんにちは。2023年8月23日です。新潟県新潟市西管区にある 火吹屋根の古民家里を拠点に活動する地域編集者、ライターの辛さより光がお送りする種巻ラジオです。
暑い。とにかく暑いですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。こう暑いと、雑草も元気がないのか、


あの、庭の雑草処理しようと思って、こう、指をかけると、なんかあっという間にすすっと抜けて、

行きますね、雨。 雨が降らないですね。大変なことです、はい、今日はですね、あのー、そういう自然を含めた、なんか なんか、人と人の、なんていうのかな、あの、実はちょっと私は長岡、長岡市で


長岡市民共同センターというですね、

まちづくり、地域づくりとかですね、npo、あるいはボランティア活動などを支援するあの組織 で働いてもいるんですね。で、そこ、私は常駐してるわけではないんですけれども、あのスタッフが、常駐スタッフがですね、日々、 いろんな市民活動や、地域活動、npoルーやボランティア等のね、


関わる相談というのを、サポートしてですね、伴奏支援をするというのが仕事の職場になります。で、そこで、私も昔、実はフルタイムというかですね、で働いてたこともあるんですけれども、 あの、こう社会を良くしよう、地域をよくしよう、変えようっていう風にですね、アクティブにあの活動して 頑張っている人がいる一方でですね、実はそういうソーシャルフェクターっていうのはですね、なかなか社会の中で、こう、居場所がない人っていうのも


相談に来るんですね。で、何かやりたい、こういうことやってみたいっていうですね、熱い想いとかがあったり、 えーしたりとかですね。であるいは逆にですね、こう、こういう相談ができる先がないのか、えーとかですね、 こういうことしてみたいんだけど、自分にはこういう特性があって、なかなかうまくいかないんだっていうような、こう、悩みを、聞くことがよくありまして、


よくありましたね。で、あの、 結構、そういう人たちの、こう、最終的な目的じゃないですけど、なんかね、ここに来る、時に、まあまあ、全員じゃないんですけれど、言われるのが、 就職先がなかなか見つからない、働く先がなかなか見つからない、で、まずは社会経験を積んだ方がいいんで、ハローワークとか、あるいは、


若者サポートセンターとか、福祉施設とかで、言われました。だから、ボランティアなどをして、こう、 自分の、なんて、社会経験を積みたいとかですね、人の役に立てることをしたいっていうような、 希望があって来る方っていうのが、結構、多かったな、あの、結構な割合でいるんですね。で、


あの、そう、人が、人の、人が人の役に立ちたいって思う のっていうのは本当に普通のことだし、人の役に立ちたいと思って、人の役に自分が立ててる、必要とされる実感っていうのは、本当にものすごく大事だと思うんですね。
で、じゃあ、今、この社会の中で、そういう、


自分が本当の人に役に立役に立てているっていう感覚が得られる、こう、場面っていうのが、どれぐらい、今、社会というかですね、今生きてる中であるか、 今、今、社会ですね、社会の中であるかっていうと、実はね、結構少なくなっているというのが、まあ、私の見立て ですね。で、というのも、仕事、今、だから、ほとんど、その役に立つっていうのはですね、


就職して、仕事をして、大化をもらうみたいなものが、もうほとんどの人にとっての社会貢献っていうか、社会の役に立つ ことなんですよね。だと思うんですよ。
就職するとか、仕事をすることで必要とされる。確かにね、その仕事っていうのは、もうすごい


わかりやすくてですね、あの仕事したら、お金がもらえる、体格がもらえる。つまり、あなたはこの分役に立ちましたっていうことを、数字で見せてくれるわけですので、まあ、ものすごいですね、わかりやすい。しかも、その数字の大小で、自分が、 すごい、どれだけ役に立てれてるか、立ててないかっていうのを、比較できる。いや、ほんとは、あの、そんな、比較できないはずなんですけどね、 あの、お金では、人がほんとに役に立ってるかどうかなんていうのは、なんだけれども、数字っていうものがあると、それによって、


どうしても、 そこで、役に立つ、役に立たないっていうのが、まあ、そう思ってしまうっていうのが、人間ですね。
で、その、そうなるとですね、働いていないっていう状態、収入ゼロっていうことが、社会的にこう、必要とされてないんじゃないかって、すごい


不安に思うんですね。で、これはあの、 当然、そうやってなかなか就職が決まらないで、その辺の、こう、自己好転換をですね、 維持できないというかですね、モテない人っていうのもいますし、例えば、バリバリ働いてる人でもですね、女性で、


すごく一生懸命仕事して働いてたけど、子供を授かって、 子育てに、一時的に集中している時に、大体こう、皆さん、社会から取り残されてしまった感じみたいなものを、 感じるっていうのは、まさに、その、そういうことですよね。


なんか役に立ててない感じがしてですね、こう、すごい自己肯定感が下がってしまうっていうのがあってですね、こう、仕事っていうのは、すごい大きな割合で、その自己肯定感、つまり、人の役に立ててるかどうかっていうのを、まあ、担保する、 大事な機能、機能というかですね、まあ、あの、こみ集団の中で、 多分それは、人間っていうのが、おそらく昔は、集まらないと、


集まって助け合わないと生きていけなかったっていう、種族ですよね、1万年 ぐらい前ですか、私たちのが生まれた頃っていう、で、修行、最終生活送って なってた頃っていうのは、文字通り1人では生きられなくてですね、集団を作って助け合わなければ生きられないので、集団になる、


集まることに対して、すごい肯定的な感情というかですね、を得るわけですよね。だから、 集団に所属して、誰かの役に立ってると思えると、すごくこう、ポジティブな、


あのー、


感情を持てるけれども、あの、全然、その、集団に所属してないんで、1人孤立してると、こう、寂しくて、不安になって、体調も悪くなってしまうと。これはなぜかって言うと、 もう、人類というもの、というのも、サピエンスですかね、が、生まれた時から、 助け合わないと生きていけないので、生存戦略的に、1人でいると不安になるようにまできているんだと


いうふうに、言われていますよね。

だから、その、役立てないこと、 つまり、集団に所属して役立ててないことって、に関して、ものすごい、多分、ざほん、罪悪感っていうのを感じてしまうってことですね。自己肯定がかかってしまうっていうような状態があると。
で、その、今、その昔、その10年前とかね、


何千年も前とかであれば、確かにこう、集団に所属して、するということは、すべて、なんていうんですか、生きていくための活動だから、まあ、ある種 の仕事というか、全てが、こう、仕事みたいなもんだったわけですよね。大価は、ほあのお金では払われないけど、 まあ、だけど、今すごく、社会


システムというかですね、いうものが発展してくる中で、そこまで助け合わないでも生きていける、集まらないでも生きていける社会に、 えーなってですね、あの、集まる、集まってなんかする人は、こう、優秀な人だけでいいよっていう がですね、仕事のできる人だけが仕事をしてですね、できない人は別に、就職試験で落ちてしまうようなところで、役立つ機会っていうのが、


こう、仕事という分野がどんどん大きくなるほど減って、


で、


いるわけですね。で、昔は、 あー、例えば、自給していた、自分のところで、田んぼ、畑やったりとかですね、していたりとか、味噌も、書く過程で、えー


ね、


あの、味噌作りしてたりとか、漬け物を漬けてたりとか、あるいは、洗濯だって すごく時間がかかったりとか、あるいは、今みたいに、ガスが来たりとかですね、電気で、あの、料理するんじゃなくて、巻で料理する、 木材、燃料で料理するってなると、木材、燃料も山に取りに行き、それをまわりをして、エネルギーも用意しとくっていう、時給的な活動がたくさんあったので、そもそも、家族もたくさん、い


はい、いたし、その、家族が、それぞれに、何かしら役割を担わないと、 役立つことをしないと、生活が、生活というか、生きていくこと自体が、できなかったので、そういう、

いわゆる、人の役に立つ機会っていうのが、家庭自給的な、ね、家庭の中にもたくさんあったし、それが、遅延とか、もうちょっと大きい集団になった時にも、そし きは、皆でやろうとかですね、あるいは、かぶき屋根のふき替えは、順番に、結を作ってですね、順番にやろうとか、ですね、色々な、助け合いってのをしないと、私たちの生活 自体、生きること自体が、できなかったので、そういう場面が、生活の中に、まあ、リアリと溢れてたわけですよね。で、それは、


いい意味もあるし、悪い面もあるけれども、子供だって、もう、昔から、ある程度、大きくなった子供、おっきくって、 でも、今みたいにね、高校生とかです、大学生とかじゃなくてですね、もう、10歳とかになったら、もう、立派な、労働力としてですね、家の仕事っていうのは、たくさんしていたわけですし、まあ、ものすごいね、小っちゃい頃で、地方向とかにされてると、 ことも、あったわけですよね、まあ、ということでですね、社会は、いろんなところで、人を必要としていたし、私たちは、暮らし自体が人手を必要としていたし、いろんなことが役立つ、


役立てる機会っていうのが、ものすごい多い時代だったわけですけれども、今、現代っていうのは、そういう役立つ機会っていうのは、ものすごく 減ってしまったというのも、すごく便利。外敵になってですね、煩わしいことが、 色々なくなったわけですよね。今、私は車を運転しながら、これを収録してますけども。で、ちょうど今、あの


川を橋で渡ったところですけれどもね、車で橋を渡るっていうのは、1人で、できますけれどもね。橋がない時代は、ここに、橋渡しの、 船とかがいたんですかね、船の人に、船頭さんに、こう吠えてもらわないと、対岸まで、簡単には、行けなかったんですよね、そんな ことで、どん、どん、どんどん、社会が便利になっていくと、どんどん、どんどん、いわゆる、人がやる仕事っていうものが、減っていってですね、


まあ、その結果、役立つチャンスっていうものが、まー、社会の中で、だいぶなくなってしまっているなっていう、ところです、まあ、その中で、その、ある種、人が役立つ、 人の役に立てる、ま1つの、 え、その気持ちのはけ口なのか、まあ、やり口として、こう、市民活動とか、npoとか、地域活動


ね、ボランティアっていうものに目が多少向けられるようには、なっているのかなという には思うんですけれどもね。ただ、その一方で、そのボランティア自体も、今、優勝ボランティアは対価を払わないといけない、 ボランティア自体が、やり合い作手、やりがい作手でですね、えー


と、労働させてるんじゃないかとかですね。そういうことを言われるなんて、せい世の中ですね。
で、まあまあ、だから、 私としては、こう、仕事はもちろん仕事としてやる必要があるんですけれども、いろんな人が、こう、役立つ機会を、あの、持てるといいと思っていてですね。もちろん、その、食い物としての仕事っていうのは、何かしら、あった方が、


まあ、当然ね、いいんでしょうけれども、そうじゃない、部分、でも、役立つ機会 ですね、あの、地域活動の、市民活動を、増や、やる人が増えればいいな


という風に、思っています。


で、もう1つ言いたいのはですね、その有用性、自分が何かの役に立っているっていうような感覚っていうのは、

今、ずっと人間社会の中の話をしてきましたけれども、実は、ほんとは、人間 関係の中だけで得られるものでは、昔はなかったわけですよね。で、 今も、私は農村に住んでるのでよくわかりますけれども、高齢のおばあちゃんたちとか、おじいちゃん、おばあちゃんたちが、まあ、


ずっと、庭の、自分、まあ、広い敷地に住んでるのでね、庭を綺麗にしていたりとかですね、あの、自分の畑をですね、 手入れしてですね、花火育てるのが、ある種のやりがいというか、生きがいみたいなものになってるわけですね。で、それは決して、あの、売るようにやってる わけじゃなくてですね、自家用に、みんな作ってる、基本的には、みんな、ほぼ、みんな、作ってる、自家用のものを作ってる、


地域なんですけれども、そんなことを、しているわけです。で、そん時にね、やっぱり、あのー、 野菜を育てるとかですね、土をまいじるとか、胸を立てるとか、そういうのはですね、やっぱり、人間 だけの関係性の世界じゃないところでも、しっかりと、こう、関係性が結ばれるというかですね、ほんとに、種を植えなければですね、


種湧かなければ、作物も取れないしですね、お手入れもしなければ、その作物も元気に育たないわけですよね。で、あの、 雑草をとらなければ、雑草を、どんどん生えてきそう、でも、雑草をとればですね、そこにはまさなくなってですね、野菜が育つ余地が、


そうですね


ね、自分が手を入れたことで、この自然の循環というかですね、まあ生態系の中で、確かにこう自分が何か、 役に立っているというよりはですね、何かこの生態系というかですね、自然の流れの中のに、役割をもってなんか存在しているという感じが、あー、してくるんですよね。
で、私なんか今、田んぼもえはろ始めて6年になるんですけれども、今、あの、ちょうど


もう少しで稲刈りなんですけど、最近こうトンボが田んぼに戻ってきたんですよ。で、このトンボっていうのは、あの 5月、春に、田んぼに水を入れて、で、4月に水を入れて、5月に田植えをしてですね。
で、我々の地域では6月ぐらいにこう田んぼの水を落として、かぼ5月末ぐらいから田んぼの水を落として中干しっていうのをする、


田んぼ乾かし始めるんですけれども、まあうちはですね、そのたん田んぼにこうトンボのヤゴがね、あの赤トンボ、アキアカネは、 えーやが、あー、卵産むのでですね、家帰って、ヤゴですね、がトンボに羽化するまでちょっと待ってですね、


あの


田んぼの水を落とすようにしてるんですね。で、それは、

まあなんかね、やっぱり田んぼをやるという、田んぼに水を入れるということで、カエルもそうだし、 トンボもですね、そこを、住みかというか、命の生まれる場所として使ってくれくれてですね、そして、浮かしたトンボは夏の間、山に、


山田で、ちょ、


工場の方にですね、熱くないところに避難していって、そして秋口になってくると、こう田んぼに戻ってくるというようなまサイクルなんですけれども、それも 結局春に、そういう 配慮じゃないけどね、自分がそういう営みをしたことで、他の動物とかの、営みの中


にも関わっているということですね。トンボやカエルのあるし存在は、私の、 わたちの、私たちのこう好意によって、まあ今年も支えられたと思うとですね、 なんだかこうやっぱり、人の社会だけじゃないところで、役割っていうのが、担える感じがするんですよね。


で、これは多分、ほんとに、都市化してしまった社会の中には、そういう4つってのは、ほとんどなくて、ほんとに、自然との、なんか、関係性 の中にあることなんですけれども、なんか、そういう ところでも、なんていうんですかね、ある種、性の実感、生きる実感というかですね、何かの役に立ってる、役割を担っている実感っていうのを、まー、得られるんじゃないかなと思って、


ですね、


社会の中で、もちろん、この役を、役割を持って、生きているという実感も、もちろん大事で、 それは、実は、働くことだけじゃない、働くことだけで得られるものじゃなくてですね、まあ、もしかしたら、こう、ボランティアとかですね、 npo活動の中でも、そういう、ものを、


担っていくのが、いいと思いますし、それだけじゃなくて、人間関係の中だけじゃない、外側にもですね、この、自分の 居場所というかですね、

流れ、存在の役割みたいなものを感じられる機会っていうのは、ほんと、あるわけですので、この、 便利になってですね、快適になってく社会の中で、

それはそれで、とても、い、人間にとってもね、いいことなんだとは思うので、それはそれとしつつも、 やっぱり、その便利、快適になって、孤独になってい、果たすべき役割っていうものが、どんどん、まあ 免除されていってしまった私たちにとってはですね、なんか新たにこう、どこかに、


居場所、役割、しかもそれは、今までの人類の、人間の、

感覚から言うと、生きていくために集まらなきゃいけなかった、 あるいは、その、仕事をして何かを作るために集まらなければいけなくなかったっていうですね、生存と集まること、役割を担うことっていうのが、まあ、 不可分に結びついていたものがですね、今、ある種、こう、むす、離れてし


つまり、生存、生きる、生き死にに関わらないところでも人は結び合わないと、 なかなかに生きていけない 世の中。あ、なかなかに生きていけないというか、どこかのコミュニティというかですね、居場所、役割を担うことっていうのは、できづらくなってきてる。そういう意味では、


ほんとに、生きていくために、 生きてくために、力を合わせなかければいけなかったっていう、ある種の切実さというものは ない社会なのかもしれないですけれども。とはいえ、ではでは。そうではない、


生きていくためっていう切実な理由ではない、何か別の理由で、こう、人が集い、人がですね、 役割を感じ、安心して、心穏やかに暮らせる、こう、社会って


ですね、


文化っていうのを作っていきたいなという、


思っている


というところでですね、


あの、


いろんな選択肢とかですね、いろんな、まあ選択肢が、そうやって生まれてきてですね、それを、なんていう


ですかね、


ゼとする、よしとする


が、


まあ、やっぱり、


生まれるといいなと思うし、そういう、ゼットする文化、雰囲気、まあ社会 風潮みたいなものを、少しでも作っていきたいなという風に、思っています。ということで、

何の話だったんでしょうね。はい、まみ色んな居場所っていうのが、あの、新しい時代に合わせて。みんなが持てるといいなと。
います。ということで、長々と聞いてくれてありがとうございました。

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