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組織責任のとり方。

企業不祥事で涙の社長会見。もはや風物詩ともなりつつありますね。
 
でも、こんな会見は聞いたことないです。
「前任の社長が決めたことなんですよ!私は後から聞かされたし、マスコミの皆さんに責められても私は困ります!」
 
さらに炎上しますよね。でもこんな社長会見もいちど聞いてみたいものです。
 
組織の責任においては、過去の経緯も含めて現在の代表者が全責任を負う、というのが原則です。
これを「全責任の原則」とでも呼びましょうか。しかし実際には、組織の階層が下がるにつれて、「前任のやったことだから私は知らない」と開き直るリーダーが現れるのも現実の傾向としてあります。
 
私は自分に関しては「全責任の原則」を徹底するほうです。善後策を最速に進めるときに「私のせいではないのですがこんな事があって~」の枕詞は解決のスピードを遅らす原因にしかならないので、「すみません、私の不手際でこうなってしまいました。お力を貸して頂けませんでしょうか。」と説明に回ります。
 
すると興味深い現象があって、解決が進めば進むほど、「善後策に走る潔いリーダー」なんて認識はされず、リーダーとしての全人格が非難される、という反応が現れます。私が選択してやったことなので仕方ないのですが。もうちょっと要領よくやればいいのか、私が不器用なだけかもしれないのですけれど。
 
不祥事にも吉兆にも同じ現象があって、吉事で言うと、長い時間かけて下準備した成果を次のリーダーに献上することがあります。野球監督でよく、「選手を育てた○○監督、おいしいところを貰って優勝した××監督」みたいな話を聞くでしょう。

アメリカで働いてみていると、不祥事においてアメリカのリーダーは善後策にフルコミットで取り組むものの、「自分のせいではなくて前任の××氏がやったことだ。」という説明はハッキリ主張する傾向があります。個人業績評価が徹底していますから、それで低評価を受けては組織が健康に保たれない、という当然の感覚だと思います。日本のような「リーダーの立場を頂いたからには全人格で受け止めて人柱となれ」のような余計な精神論が無いようです。日本はいまだにハラキリ文化でしょうか。
 
日本のサラリーマン社会で出世コースは3年おきに部署を変わっていくので、長期に渡って結果が出ることには準備のインセンティブが働かない、というのが永遠の組織課題です。アメリカの場合「定期ローテーション」という概念が無いので、うまくいったプロジェクトは「誰それが始めたプロジェクト」として語り継がれるし、機能しないものに関しては、後任のマネージャーが全否定して方針を全転換するというのもよくある話です。
 
典型的なのが「コスト削減・要員削減」で、P/Lにすぐ現れるから成果をアピールしやすい。しかし組織体力がジワジワと削がれるから、後任者が就任したときには荒野が広がる・・・という話があったりします。
 
この長期視野が実現されるかどうかには、組織の「心理的安全性」の醸成が密接に関係します。
 
心理的安全性が低い、つまり良かれと思って声を上げた人物が犠牲となり晒される組織では、人は課題を認識しても解決しようとはせず、問題を隠蔽しようとします。
 
以前、私の現場で問題が発生したとき。私は最初の一報を入れるために上長のオフィスに駆け込みました。
上長のオフィスは数十人いる管理部門の大部屋の一角に個室を構えています。日本によくあるスタイルです。
 
トラブル発生の一報を報告して5分で立ち去り、現場に戻って指揮を執ろうと考えていた私は、結局そこで一時間も怒鳴られてしまいました。内容にも具体性が無く、「なぜ防げなかった!」、「だからお前は甘い!」とかいった精神論をただ繰り返す一時間です。

5分で報告を済ませるつもりだったので、ドアを開けたまま入っていきました。怒鳴り声はフロア中に轟いて、フロアの数十人に丸聞こえです。私は後半、自分のことよりも、「このフロアにどんな影響を与えているだろう?」と心配していました。
 
怒鳴る上長を前に、ジリジリと後ずさりし、後ろ手でドアを「パタン。」と閉めるわけにもいきません。
一時間怒鳴られ終わって出ていくときに、私は自虐ネタのつもりで、近くの後輩に「どうだい、管理職になりたい?」と訊きました。彼は苦笑いをして無言でブルブルと顔を横に振りました。
 
そんなわけで「全責任の原則」は特に日本の会社組織でモヤモヤするグレーゾーンです。正論ではありますが、実際には本人が損をすることが多いです。ただ、上司に対しては「グレーゾーン」ですが、部下に対しては白黒ハッキリしていると言い切れます。
 
「部下を差し出す上司」ってヒドイですよね。
「私はこれをするなと、何度も口を酸っぱく言ったのでございます!それなのにコイツが勝手にやったのでございます。ホラ、部長にちゃんと謝りなさい!」
私はこれを何度もやられましたが。もうこの上司に一切の信頼を置きたくないですよね。
 
ミスの程度と悪意にもよりますが、部下にはやはり「失敗はある。気にするな。」と言ってあげたいと私は思っています。部署として責任を取るようなミスの場合、部下は既に青ざめた顔をしているからです。既に叱る必要すらありません。
 
「上長である私の責任です」と謝りながら飛び回っていると、部下の顔がどんどん暗くなっていきます。こちらはその効果を狙っているわけではなくて、元気が無いのを心配して本当に「気にするな」と言っているのだけど。そうして、彼は同じミスを2度と繰り返さないと心に誓うようになります。
 
組織の中で、上にどう見えるかと、下にどう見えるかというのは全くの別物です。
これはもう個人の好みのバランスの世界で、何が正解かは分かりません。
「部下に愛情厚く、上役に果敢に突っかかっていく人」は、課長島耕作のようでカッコイイです。
ですが現実のサラリーマン世界では出世しないことが多いです。
観察した経験論では最も出世するバランスは「上7:下3」くらいです。
出世が目的なのか自分の生き方なのか、自分が納得するバランスを選ぶしかありません。
 
こんなコンテクスト自体が「日本サラリーマン社会」の前近代的な風習で、今後消え行く不要なものかも知れませんね。

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