私宛の手紙 〜ダイアローグのようなモノローグ〜(1/20の記事を書き直し)
どうやら最近元気がない「わたし」。
どうしてそんなに焦っているのだろう?自分のことなのにわからなかった。
「だって、わたしは病気なのよ。それも治るかわからない病気なのよ!」
小さい子供のように、駄々をこねる「わたし」の声が、どらの音のように虚に響くのを感じた。
それでも私はなんとか前を向く方法はないものかと、ペンを取った。
「私」から「わたし」へ。
小さな対話がはじまった……
うつむき加減のわたしへ
春の足音が近づいてきた今日この頃、なぜか元気がないように感じます。どうしたのでしょう。
確かに数ヶ月前、全く歩けない日々がありましたね。でも、今はほんの少しだけ、歩けるようになったのではないでしょうか……
こんな問いかけに対して、今の「わたし」はこう答えるかもしれません。
「でも、それはあくまで『ほんの少し』でしょう?車椅子と酸素ボンベがなければ通院すらできないって、受け止めるのも辛いのよ」
でも、これは本当に真の「わたし」の姿と言えるのでしょうか。きっといつもの「わたし」なら、もっと落ち着いて、こんな風に答えるのではないでしょうか。
「あら、どうしてそんなに心配するの?確かに病気って辛いし不自由だけれど、だからと言って、不幸せとは限らないのよね」
そう言って遠くを見つめて微笑む「わたし」を、私はよく知っています。
以前、「わたし」は「私」にこんなことを話してくれたことがありました。
「毎日、痛みや身体の重さで、わたしだけ身も心も海底に沈んでいるようよ……だけど、わたしは、海底の中にも光輝くものがあることを知ったのよ」
黒い瞳をきらきらと輝かせて、辛い闘病生活の中に隠れている宝物について、「わたし」は力強く語りはじめたのでした。
「海底の中に身を沈められているようなだるさの中でも、まるで身体が引きちぎれてしまうような痛みの中でも、生きることができると、ようやくわかりかけてきたの。強い信念さえあれば、たとえどんなに辛い状況でも、心の中に煌めきをもてるのではないかしら……」
「わたしは病気になってから、たくさんの光を見つけてきたのよ。季節の移ろいの美しさ、朝焼けの眩しさ、夕焼けの神々しさ、そしてまた日が昇る喜びをね」
そう言って本当に幸せそうに笑みを浮かべたあの日の誇りと喜びは、まだ「わたし」と「私」、どちらの胸にも強い余韻をもたらしていることと思います。
うつむき加減のわたしへ
寒さの中に輝く雪のように、一足早く花を咲かせる椿のように、どうか強くあってください。
きっと「わたし」なら、再び光の方へ顔を上げることと信じて、今日はこのささやかな手紙に空の切手を張ることにします。
信じていれば、いつか必ず大空へと羽ばたけると願いながら……
P.S.
1/20に投稿したものを、手直ししたものが本記事となります。
いつも丁寧なコメントをくださる方のアドバイスを参考に致しました。
まだまだ未熟な文章力ではありますが、書き続けることで生きていく証を残していきたいと願っております。
今後ともよろしくお願い致します。
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