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「かっこいい30代がいたら」ーー市來さんが30代に期待することと20代に意識したこと

先日、熱海銀座商店街の再生の仕掛け人、市來広一郎さん(以下、市來さん)のインタビュー記事第1~2回を公開した。

今回は第3回として、「クリエイティブな30代への期待と20代の頃意識していたこと」に着目した。


シャッター商店街だった熱海銀座商店街に訪れた変化(第1、2回掲載済み)

東京駅から、東海道新幹線に乗ると約40分で到着する温泉街、熱海。日本の首都圏をはじめとする観光客の心を癒す街として、長年旅人を迎え入れてきた。しかし人口の急速な減少により、日本全体において都市のスポンジ化と呼ばれる「空き家・空き地が時間的・空間的にランダムに発生している」事象が確認されており、熱海市もその一端を担っている。

熱海駅から徒歩15分ほど歩いたところに、熱海銀座商店街は位置している。この場所は、10年程前にはいわゆるシャッター街で、10年以上も閉めっ放しになっている店舗ばかりが目立ち、人通りがなかったという。しかし2024年現在、この商店街にはスイーツやひもの、海鮮などのグルメを求める観光客や一風変わった体験をしたい人が訪れる商店街となっている。

この商店街の変化の仕掛け人が、市來さんだ。市來さんは大学から東京で生活を営んでいたものの、地元の熱海の寂れていく姿を見て、地元の再生を決意。2007年に熱海へUターンした。それ以降、熱海の再生のために力を尽くしてきた。

市來さんが熱海のためにと動き続けたきっかけは何だったのか。長年街を支え続けてきた地元の人々や、来訪してきた人々までも巻き込むその力は、一体どこからきているのか。廃墟のようになっていた地元、熱海に感じた可能性は一体どのようなものだったのか。熱海をみんなに好きになってほしいと語る市來さんに、詳しくお話を伺った。

市來さんが30代に着目する理由

30代の暮らしやすさとは

市來さんの著書「熱海の奇跡」の中には、意欲のある30代の若者を増やしていきたいという想いが書かれていた。我々は市來さんが30代を増やした先に描く熱海の理想像や、30代に着目している理由について、伺った。 

市來さんは、クリエイティブな30代に選ばれるサードプレイスとなることを考えながらやっていたそう。市來さんは30代にとって居心地がいいことは、街のこれからの可能性を考えた時に重要な要素だと考えた。30代は、子育てを始める世代でもあるし、徐々に親の健康も気になるタイミングでもある。学校ならPTAなど、地域ともさまざまな形で関わり始める世代だ。

そう考えたときに、30代の暮らしやすさは、30代の人だけではなく、街自体が暮らしやすい状況になってないと、本当の豊かさに繋がらないと思っていたという。そして、今の熱海がそうなれているかというと、まだまだと市來さんは語った。

市來さんたちの手がけるまちづくりには、クリエイティブな30代も多く参加している。これは「guest house MARUYA」のDIY中の風景

クリエイティブな30代にかける期待

以前の熱海は、30代が少なく、年配の人ばかりだった。市來さん自身も年配の方々と一緒に活動してきたものの、若い人に期待できるような馬力を、年配の方はなかなか持ちえない。

そこで市來さんは、もっと街のことを考えてみたり、30代の方が自分たちが街を作っていると、思い出になるような活動ができることが大事だと考えた。実際に、クリエイティブな話をしながら暮らしを作っている、30代の人たちがどんどん入ってきているという。

特に熱海はもともと個人事業主ばかりの街で、サラリーマンの人はほとんどいなかった。別荘に住むサラリーマンの人たちはいるものの、ただ単に会社に所属してという人だけが増えていくと、熱海が持つ街の雰囲気が損なわれていってしまう気がしたと市來さんは述べた。

サラリーマンのような人たちが入ってくるのも、もちろん歓迎だ。しかし、主体的にまちづくりに関わったり、副業として熱海の事業に関わったりする。そんな人たちが増えていくことは、街を作っていくことに必要だと感じていたという。だからこそ、市來さんはクリエイティブな30代に着目してきた。

さらに、熱海の定住人口に目を向けると、別の課題が見えてくる。

熱海の人口の構造を見ていて、20代~30代が勤めるようなホテルなどの雇用はあっても、従業員は熱海に住んでおらず、熱海以外の場所から通っている実態に問題意識を感じていたと市來さんは語る。

「単純なことで、結局住宅がないという問題ですが、これが1番大きい問題ですね。今、観光で盛り上がっていますが、結局人口は増えてないどころか、どんどん減っているので、しっかり向き合っていく必要があります。観光だけではない暮らしの面での動きをもっと出していかないと、街としては持続可能じゃないと思っています。自分たちの暮らしを作っていく後押しのようなことをやっていきたいですね。」

自分たちの暮らしを豊かにするために、クリエイティブな30代が挑戦ができる場をつくる。我々はこれから30代になる世代だったので、どこか胸の高鳴りと緊張感を覚える。そして、30代が輝ける場があるということは、30代以外にも影響はが広がると市來さんは考えていた。

「かっこいい30代がいたら、子供たちもいいなと思うじゃないですか。」

地方で育つと、どうしても大人になったら、東京に出ることが脳裏によぎる。地方に残っても場所によっては、仕事も少なく、職種が選べない可能性があるからだ。仕方がない面もあるが、市來さんは、地元にかっこいい大人たちがいっぱいだと気づいたら、自分も戻ってきていいですかと思えるかもしれないと考えた。

「地方は介護や病院など業種も限られる傾向にあるので、訳の分からない、何で食べているか分からない大人がたくさんいればいいなと思います。熱海にも変わった現代美術の作家が暮らしていて、そういう謎の人たちが多くいるのがいいなと。」

市來さんが20代でやると決めたこと

自分の軸と武器を探すための20代

我々インタビュアーは、20代半ば。本企画のきっかけとなったPOOLOというコミュニティも20代が占める割合が大きい。そこで我々は市來さんの20代について伺った。

市來さんは10代前半から、20代のうちにするべきことを考えるようになったそう。市來さんが明確に20代のときに決めたことは、20代のうちはとにかくいろいろな体験をしようということ。

だからこそ旅もして、仕事をしながらも別の場へ学びに行くことも含めて経験を積んだ。ぼんやりと熱海のことは、ずっと頭にあったものの、熱海だけにこだわる必要はないと考え、30歳までに自分の軸と武器となる何かを身につけたいと思っていた。

そのためには、多様な体験をたくさんすることで見えてくると思った。市來さんはその考えのもと、20代は無理して頑張ってでも、厳しい環境にも身を置きたいと思っていた。自分で自分の可能性を狭めないような選択をしたいと考え、幅広い選択肢を持っておいて、多様な生き方を知っておこうと思った。旅だけではなく、本も20代が1番読んでいたと市來さんは語った。

市來さんが影響を受けた本

市來さんが影響を受けた本は何か尋ねると、写真集1冊と本を1冊教えてくれた。

「1つは写真集ですけど、藤原新也の『メメント・モリ』ですね。1960年代頃にインドを含めて世界を旅していた人の有名な本です。『人間は犬に食われるほど自由だ』というキャッチコピーが人間の足の写真と共にあって、インドを1番象徴しているなと思いました。インドを思い出しますね。」

「あとは、20歳ぐらいの時に読んだ立花隆の『エコロジー的思考のすすめ―思考の技術』ですね。目の前だけを見ないで、物事を長期で視野を広くして見ないといけないということが書かれていて、これはずっと意識していますね。」

少年時代から今につながる経験

本以外にも、少年時代の市來さんに衝撃を与えた人物がいる。それは、今でも天才と名高い物理学者のアインシュタインだ。

「もともとはテレビ番組で知って、相対性理論の本を読んだときにすごい衝撃を受けました。時間や空間が一定じゃないと知って、物事の見え方は当たり前に思っているほど当たり前じゃないのだろうと思いました。」

高校時代に物理に出会って感銘を受け、市來さんは物理学者になりたいと思った。市來さんにとって、相対性理論は自分の固定観念を覆し、不動に対する面白さ、当たり前ではないことを知るきっかけとなった。そして、物理学の発見で100年後の世界を変えることを知った。

会社やNPO法人の「100年後も豊かな暮らしができる街を作る」もそこからかと尋ねると、それはまた別の出会い。その前に見た「Jリーグ100年構想」だそうだ。

子供たちが午前中の学校が終わったら、午後はクラブチームのサッカー場などにクラブチームとして来て、他世代の人々が自分の周りでスポーツをやっている中で、サッカーを始めとしたさまざまなスポーツをやっている。そのコミュニティのあり方や環境まで含めて、非常に素晴らしいと感じたそう。ここに住みたいな、いいなと思った経験は、街のことを考える最初のきっかけになったと市來さんは語った。

内省から人生の点が線につながる

市來さんは、若い頃から細かく自分の体験を振り返ることをしてきたという。そして、その内省があったからこそ、細かい体験が全部つながっていく結果となった。

「何でやっているのか、何で生きているのかということを、ずっと考えていたと思います。生きづらかったのでしょうね。何か違うなと思っていたことが、すべて熱海に結集して、ここなら何かできるかなと思えましたね。」

市來さんの多様な経験に触れて、我々もコミュニティで異なる価値観の人と話すことで、自分の価値観が壊される楽しさを感じていることを思い出した。市來さんにそのことを伝えると、市來さんも価値観が壊れるということには、やはり肯定的な意見だった。 

「そういうことが大事ですし、何で、早い段階からそういう環境でできなかったのかと思いますよね。僕はやはりインドに行ってなかったら、価値観や自分の固定概念が変わることはなかったと思います。自分の価値観や行動規範には自分で気づかないですから。」

市來さんが撮影した旅した当時のインド

やりたいことをやりたいようにやる

市來さんが自分の価値観から解放された地、インド。学生時代のバックパッカー旅の後にも、市來さんはインドを訪れていた。熱海に帰ってから3か月が経った、2007年7月のことだった。

それは、熱海に帰って1番最初に挫折したタイミングだった。7月頃にいろいろなことが重なってどうしようかと悩んだときに、インドに行こうと決意して、再びあの聖地へと赴いた。市來さんはそこで再びリセットされ、余計なことを考えすぎていたことに気づけた。

「いわゆる政治的なことですね、何かをやるために誰かにあいさつしに行ってと考えすぎて行動して、うまくいかなくて嫌になってしまって。インドで、自分のやりたいことをやりたいようにやろうと思っただけでしたが、その後、だんだんとうまくいき始めました。」

自分の感情に素直になる。そのモットーは、市來さんの背中を今でも押し続けている。

「自分の興味・関心に即して、会いたい人に会いに行けばいいと。何か言われるかもしれないけど、本当に会いたい人たちに会いに行ったら、いい出会いになるし、そういう人たちと一緒に活動できるようになりましたね。」

これから先も、市來さんは熱海の未来を考えて行動を続けていく。市來さんに会うために熱海を訪れた我々は、市來さんにとってのインドのように、熱海も誰かにとって自分を解放できる場所になっていることを感じた。そして我々は、その実感に魅せられて再び熱海に足を運ぶのだった。

参考URL

株式会社machimori

NPO法人atamista

本企画概要

本企画は、TABIPPO主催のPOOLO(現:POOLO LIFE)6期の第3タームの活動として、チームの豊かな世界と現実のギャップを見つけるために実施した。

POOLO6期 第3ターム Jチームメンバー
はまちゃん/たろう/白波弥生


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