見出し画像

《三題噺》『残念な可能性』

「あたし、トマトきらい!」

愛娘の琴音は、フォークをダイニングテーブルに可愛らしく叩きつけてそっぽを向いた。

私は、にやにやしたため息をつき、こう言った。

「ママは、琴ちゃんもトマトも、大好きなのになあ」

琴音はすぐさま私を見つめ返した。

「あーしもママが大好きよ!…でもトマトはいやっ!」

またそっぽを向いてしまう。幼少期用の高めの椅子から、琴音は足をぶらぶらと手持ち無沙汰にしている。早く構って欲しい合図なのだろうか。それとも怒りを表したボディランゲージなのか。どちらにしても、母親の私には愛おしく見えてしまう。

「…ママのこと大好きなら、ママの大好きなトマトさんも大好きになれるよね?」

私は澄んだ瞳を見つめながら、右手でナイフを掴む。琴音はまだこちら様子を見ていない。

ガタっ。椅子を倒す勢いで立ち上がる。その音で琴音は何か気づいたようだ。もしかすると、椅子が倒れてしまったのかもしれないな。私を見て目をまん丸くしている。可愛い。そのままでいてね。

私がテーブル伝いに近づく。そこでやっと、琴音が声を発する。

「マ…マ?」

私はにっこりと笑って、琴音の目の前で目線を合わせるようにしゃがむ。
そして、

「いい子に…しててね」

と囁いた。

ーーーーー     ーーーーー

「カット!……はいおっけー!桃井さん、葉月ちゃんいい感じだったよー」

私はハッと、琴音から視線を外。その瞬間、うざったいほどの照明が私の視力を一瞬無力化する。目を閉じて、もう一度開けると、そこには「琴音」役の葉月ちゃんが怯えた目でこちらを捉えていた。

あぁ、そうか。”またか”。

周囲では、ドラマ『残念な可能性』の撮影隊が忙しなく仕事をしている。私が立っているのは、その一角にポツリとテーブルが置かれた小さなスタジオのセットだった。

「お姉さん怖かった!すごいです、さすがです!ほんきでこわかった…」

時間と共に冷静さを取り戻した感じの葉月ちゃんが少しだけはにかむ。少し無理をしているようにも思える。

「いや…ごめんね。結構役に入りこんでしまうタイプで…」

しどろもどろな私。これで…何回目だろう。”本気で殺そうと思ってしまった”のは。だから、今回の「母親」役も断りたかったのに。人を傷つける役は、私には向いていない。というか、”してはいけない”。


4歳のころから、子役として小さなドラマや映画のわき役として活躍させてもらっていた。当時、私に目を付けた監督曰く、「”なりきる”のではなく、”なる”ことができる」と私を評価していたらしい。ただ、ある日の撮影で、主役の子をアイスピックで刺してしまった。そういうシーンではあったが、まさか本当に刺すとは誰も思わなかったはずだ。カットの声が掛かった後、主演の子が叫び声を上げ続けていたことで、スタッフが異変に気が付いた。今でさえ、”事故”だと片づけられているが、私はあの時の”感情”をしっかり覚えている。

”事件”当時は、精神科にも連れて行かれたし、様々な検査もされた。ただ、「特に異常はない」と診断され、今でもこうして役者を続けられている。

あの事件以来、刺してしまった主演の子とは会っていない。当然撮影していたドラマは中止だったし、私も彼も、暫くは表に出てこなかった。その後、私は芸名を捨て、本名の「桃井真中」で活動を再開。彼は、風の噂で5年後復帰したと聞いたが、それ以上は知らない。知るのが、怖かったのかもしれない。けれど、これで良かったのだ。今更会ったって、受け入れてくれる可能性は、低い。顔だって、もう変わってしまっているだろう。

撮影が終わりタクシーで帰る途中で、メールが入る。仕事関係で連絡先を交換すると、現代でもメールの人も多い。何か、お食事のお誘いだろうか。


ーーーーー     ーーーーー

メールは、先日ドラマで共演した「百瀬尚」からだった。ドラマの中ではあるが、一夜を共にした仲だ。夫婦役での出演だったが、やはり私は役に”なる”タイプの人間のようで、好きになってしまっていた。自分から、連絡先を聞いたのも、まあいつも通りだった。案の定、要件は「食事でも…」というものだったので、素直に受けて行き先を目黒の隠れ家的バーに変更した。


バーでの時間は、快楽的であっという間に時間が過ぎた。お互いの気が合い、「これは今日行けるのでは?」と自宅への誘いも見事に成功。途中買っていった桃色の(2人とも名前に”桃”が入っていることもあり)シャンパンを開けて、夜が鎮まるまで馬鹿みたいに恋人ごっこをして遊んだ。

ふと、尚くんが思い出したように小さい頃の話を聞いてきた。私はかなり酔っていたのもあって、普段は絶対話さない4歳の”事件”のことを手短に語った。彼は「ふんふん…大変だったんだ」という感じで耳を傾けてくれて、とても気分がすっきりした私は、「あの子、どうしているかな」とふと呟いてしまった。

その瞬間。彼は黙った。あれ?と思って尚くんの横顔を見る。お酒のせいか、頬が紅葉している。ただ、顔は少し険しい?右手でグラスを持ったまま、固まってしまっている。

「あの時…」

「え?」

やっと口を開いた彼の小さな声が、思ったよりもくぐもっていて聞き返す。

「……」

私には、良く聞こえなかった。彼は何かを呟いた後、机の上の”あるモノ”を指さした。私は、自分の血の気が引いていくのを感じていた。

彼が見つけたのは、一つのアイスピック。監督から、事件が収まった後無理言って譲ってもらったもの。隠すのを忘れていた。いや、いつもはこの話しないから油断していた。

動揺している私に、今度は彼がはっきりと喋った。

「もう一度…刺してくれないか」

その言葉を耳にした途端、私の身体はもう動いていた。
本当は、どこからか確信していたのかもしれない。
この時を待っていたのかもしれない。

思い出した。彼は…なおくんはあの時笑っていた。
頬を、今と同じように紅葉させて。
そして、同じように笑っていた私の感情も、走馬灯のように駆け巡る。

「この人を、傷つけたい」

やっと、刺せる。
私は、彼の上に馬乗りになって笑う。
右手には、あのアイスピックが握られている。

どうすればあなたが笑ってくれるかと
悩んで考えるの それこそがあたしの幸せの一粒
だからねぇ もう邪魔しないでね

by.aiko『桃色』より抜粋

「おかえり、”なおくん”」

「ただいま、”ももちゃん”」

断末魔のような、2人の叫び声が響き渡る。


~了


《三題噺》
お題:桃色、トマト、残念な可能性
テーマ:偏愛

あなたの生活のプラスになりますように…。