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私の嫉妬その1:例え話が上手い

どんな文章にも共通していえるのが例え話は強力な武器であるということだ。例え話を入れれば説得力も増すし、理解の手助けになるし、なにより文章が華やかになる。

そして例え話は私の苦手分野であり、私の文章の欠点の一つである。

どうしても観念的・抽象的な話になりがちな私の文章は中身が伴わず、見返したときにスカスカな印象を受け、落胆へと私を導く。文章を書く機会が増えてきたので多少は技巧的に文を運べるようになってきたが、具体性は置いてきぼりだ。

そんな例え話を上手くやってのける人物に私ははらわたが煮えくり返るほど嫉妬してしまう。

例え話を交えると一気にわかりやすく、読みごたえのある文章へと変貌を遂げる。読み心地の良さに引き込まれながら、ちょっとでいいからその技量を分けてくれ!と無茶な要求を心の中でする。例え話の能力が喉から手が出るほど欲しい。

また、性格が悪いことに例え話をしようとしてとんでもなく滑っている人を見かけると安心する。「もうちょっと勉強しようね坊や」なんて思ってしまうのだから人間性を疑わらずを得ない。

例え話が上手い人は頭が良い、というのが私の持論だ。ここでいう頭のよさとは、人間の心にクリティカルヒットするツボを押さえることができる洞察力があること、文章の十分な構成ができる論理性を持っていることである。的確に、テンポ良く、程よいタイミングで例え話が挿入されるとき、文章には読者をぐっと引き込む力があり、そこには知性が溢れかえる。

誤解されそうなので補足すると、(世の中には天性の才能を持っている人間もいるが)文章における頭の良さとは努力と経験によって培われるものだと考えている。例えば英語のようにコツコツと積み重ねることでほとんどの人が読み書きや会話ができるような具合である。

つまり、だ。私は努力や経験が不足しており、まだまだ伸び白があるともいえるだろう。悲しいかな、そう頭ではわかっているのだが良い例え話を読むとついつい焦り、嫉妬してしまう。

ああ、カッコよく例え話を組み込めたらなあ!

ブログとはまた違ったテイストです。