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盗聴男【ショートショート・超短編小説】

 丸山という男には変わった趣味がある。他人に言いたくない、言えない趣味を持つ人は少なくないだろう。しかし丸山のそれは、公には言えないような、理解しがたい、人間性を疑うようなものだ。
 その趣味とは盗聴である。それも対象は女に限るようだ。どうやら3人の女の部屋を盗聴しているらしい。最近のお気に入りは203号室の女だ。先週は7回のうち4回が203号室をターゲットにしている。豪快に生活音を鳴らしたり、今現在は恋人の気配がなかったりするからだろう。
 丸山の趣味は、多くの場合夜7時頃、2時間程度おこなわれる。毎晩のように受信機の前で正座しながら女の部屋の音を聴き続けている。一見紳士的なその姿は、盗聴という卑劣な行為と対極を成すもので、ちぐはぐ具合からか滑稽に映る。紳士的振る舞いを成す丸山の表情は性的衝動から発露する恍惚を現しているというわけではない。どちらかと言えば、まるでクラシックコンサートで穏やかな曲に全身で浸るかのように癒しを得てリラックスしているようだ。
 不思議なことに、丸山の好みは生活音らしい。女の独り言や電話にはそれほど反応しない。性的なことを連想させる音は好みに合わないらしく、トイレの音や入浴の音への反応は薄い。女が恋人とくつろいでいる音やセックスの際に生じるベッドの軋みや喘ぎ声が発せられたときなぞはヘッドホンを外してしまう程だ。一方で料理をする音や食事をする音、テレビを見ている音、身だしなみを整える音が流れると気持ち良さそうに目をつぶる。
 これらを踏まえると、どうやら丸山の奇怪な趣味は単なる性的嗜好としての楽しみというよりも、一日の疲れを解消するための儀式かのように思われる。盗聴に熱中する姿はまるで純粋無垢な少年のようだ。といっても、卑猥な行為には変わりないのだが。
 今日も丸山は受信機の前に正座して一日の疲れを癒す。一通り聴き終えたらヘッドホンを静かに外し、就寝準備を始める。几帳面な性格なのか、中年独身男性にしてはきれいに整った部屋の片隅に折りたたまれた布団を敷く。明日の準備をおこなった後、観葉植物に水をやり、歯を磨いて布団にもぐる。今日は多くの癒しが得られたのか、5分もしないうちに穏やかな顔となる。
 こちらもワイヤレスヘッドホンを外し、スマホの動画の画面を閉じる。冴えない男の生活を観察するのは、まるで動物園で人気のない動物を眺めているようだ。こちらがあえて音を立てると表情が変化する様は滑稽である。さらに滑稽なのが、丸山は優位な立場にあると感じているであろうが、実は自分が檻の中の動物となっていることだ。加えて、観察対象が奇怪な趣味を、これまた奇怪な楽しみ方をしているのは愉快であることこの上ない。
 盗撮は悪趣味であるどころか犯罪であることは知っている。しかし、恋人どころか友人のいる気配もない盗聴マニアの中年男性を観察するのは中毒性があり、やめることができない。この楽しみのために、音声を聴きながらも通常の生活ができるように高いワイヤレスヘッドホンを買ったのだ。便利なので今度丸山にオススメしたいくらいである。
 そうだ、シャンプーを切らしていたんだ。買いに行かないと。私は24時間開いているスーパーに行くために203号室を出た。

ブログとはまた違ったテイストです。