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根性論は報われるのか?

今の風潮では根性論は悪だとされているように感じる。では、私の経験上どうなのかといえば、根性論で頑張って良かったな、と思うこともあれば、失敗したということもある。受験や就活など、色々な経験があるが、スポーツを通して感じたこともある。それは中学時代のバレーボール部の経験と高校時代の弓道部の経験だ。

・根性でしがみついた中学バレーボール部時代

中学生の頃はバレーボール部に所属していた。背の低さや筋力不足、運動神経の悪さもあり、なかなか芽が出ない日々が続いていたことは今でも鮮明に覚えている。

(自分でいうのもなんだが)元来真面目な性格である私は、それでもひたすら真面目に部活動に励んだ。バレーボール部は学内でも厳しい部活であり、平日はもちろんのこと、土日も休みがなかった。熱心な顧問の先生は体力の限界まで追い込むような練習メニューを課し、ついていけないと怒鳴ることもしばしば。それでも私は出来る限り毎日練習に参加していた。

ところで、チームスポーツの経験者ならわかるだろうが、練習の優先順位はスタメン>>>ベンチ>>>「それ以外」、と大きな差がついている。スタメンメインの練習の間、その他はボール拾いが主な「練習」だ。練習メニューは1/3は全体の基礎練習、残りの2/3はスタメンメインの練習となる。バレーボールに触れられる時間が3倍違うのだ。バレーボールをやりたくて部活に入ったのに、悲しい話である。しかし、今の時代では理不尽だと思われるだろうが、当時はそれが当たり前だった。

私は、1年生では「それ以外」、2年生に進級しても後輩にスタメンを取られ、ベンチの日々が続いた。普段の練習ではボール拾いの時間が長いし、土日におこなわれる練習試合は参加できない。ベンチとしてのポジションも、第二リベロ兼第二セッター兼マネージャというわけのわからないものであった。果たして何のために部活に所属しているのだろうか。ただただ時間と体力を消費しているだけではないか。悔しくて、悲しくて、泣きながら帰った日も少なくない。

それでもめげることなく、きちんと練習に参加し、集中して基礎練習に取り組み、先生のアドバイスに耳を傾け、自宅で反省をした。他の部員はどこか楽しようという気風があったが、とにかく試合に出たい、悔しい思いを晴らしたいという一心で、根性むき出しでバレーボールと向き合った。

転機が訪れたのは2年生の終わりである。突然レシーブでまともな返球ができるようになり、トスもまずまずの出来に仕上がった。突然、とはいったものの、気付かなかっただけで着々と成長していたのかもしれない。とにかく、技術が上達したことには変わりない。

結果として、スタメンに入ることができた。

3年生の最後の大会で敗退したときは号泣してしまった。純粋な悔しさもあったが、地道に努力してきて良かった、と感じていた。

勝ち取ったものは忌まわしき根性論によるものかもしれない。それでも、私は根性で粘って良かったな、と今でも思っている。

・根性論で失敗した高校弓道部

一方で、私は根性だけで練習したばかりに失敗した経験もある。それが高校時代に所属していた弓道部での経験だ。

中学のバレーボール部とは打って変わって、高校では通常練習が2時間程度で、残りは自主練という形式を取っていた。個人競技なのもあって全員がほぼ平等に練習に参加できた。顧問もたまにしか来ず、何か指導するわけでもない。学生主導の部活だった。

私は毎日のように練習に参加していたが、やっぱり弓道部でもなかなか上達せず悔しい思いをしていた。リーグ戦や団体戦には一度も参加できなかった。卒業時の段位も初段とあまり良いものではなかった。この原因は筋力不足や運動神経の悪さも少しはあるかもしれないが、根性論が過ぎたのが大きいと今は考えている。

バレーボール部時代で根性論により成功したことに味を占め、とにかく根性で、できるだけ数多く弓を引いていた。一日100射以上引く日もあっただろう。

このとき、一射一射ていねいに射形を振り返ったり、周囲からアドバイスをもらったりすれば良かったと今思う。しかし、当時脳筋だった私は、そんなことは考えず、ただ闇雲に引き続けた。

結果、射形は崩れ、的に矢は当たらず、弓手(左手)を弦で打つためいつも紫色に腫れていた。さっぱり上達することなく私の弓道人生は幕を下ろした。

根性だけでなく反省やアドバイスを反映してこそ努力は実る可能性がある

今では根性論信者ではないが、バレーボールも弓道も根性論をベースに取り組んでいたと思う。では、どうして結果に差が出たのか。

それは独りよがりにならず、今の自分の技術を反省し、人からアドバイスをもらい、それを反映できたか、が大きいと考えている。

根性論は良くない、という風潮があり、どちらかというと賛成ではあるのだが、人間、根性で乗り切らなければならないこともある。そのとき、適切に根性を見せて、努力をできるかが、報われるか否かを決めるのではないだろうか。少なくとも、私は根性と努力が必要なときは、これまでの経験を活かそうと思う。

#スポーツがくれたもの

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