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ヨハネ伝第19章30節「成し遂げられた」(新改訳)。口語訳では「すべてが終わった」

尾久キリスト教会での広瀬邦彦先生の3月17日の説教。題材はヨハネ伝第19章30節「成し遂げられた」(新改訳)。口語訳では「すべてが終わった」とある。これは受難節(レント)におけるキリストによる6番目の言葉である。

ヨハネ伝第19章30節


 自分が大好きな讃美歌というかワークシップ「Because He Lives」がある。自分なりに訳してみると「神はご自身の子を(われわれに)与えられた〜」と始まる。神はわれわれを癒すため、許すために御子を遣わしたのである。ヨハネ伝第14章9節には、父の姿が御子そのものであることをイエスは語っている。つまり神は自らのお姿を示すために、イエスを遣わしているのである。ルカ伝第14章16〜17節には、イエスが大宴会の例えを述べている。つまりわれわれの罪という借金は、キリストがすべて肩代わりして完済しているのである。 

because He lives
ヨハネ伝第14章9節
ルカ伝第14章16〜17節

 神学校のある教師が「礼拝とはセレブレーション(お祝い)である」と語った。すなわち赦されていること、救われていることへのお祝いである。受難週(レント)は、復活祭であるイースターの46日前から始まる。これはめでたい日曜日を受難節に含めないからである。マラソンは先頭を走る人よりも、その後ろにピッタリついて2番手で走る方が楽である。先頭ランナーは、風圧を受けて空気抵抗があるから。ヘブライ人への手紙第12章2節にも「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」。キリストはわれわれのために先頭を切って走って下さって、罪を背負って下さったのだから。アシュラム運動の普及に貢献した「ちいろば牧師」の愛称で知られる、榎本保郎牧師は「(キリストに)従うことは気楽。もっと気楽になろうではありませんか」と説いた。

ヘブライ人への手紙第12章2節

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