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子どもの事故で知った母親たちの負い目-学生ママだったころの私。

こんにちは。ライターのやえのです。

今回は、子育てをしながら大学院に通っていた時の話をしたいと思います。

私は大学4年生の時に妊娠し、学生結婚をしました。
生後10か月頃から保育園に子供を預け、大学院に進み、研究を続けていました。

大学院3年目のある日。
預けていた保育園で事故が起きました。

園外保育をしていた時、一台の車が園児の集団に突っ込むという大惨事でした。我が子を含め負傷者が多数出てしまい、全国テレビでも報道されました。

とてもショッキングなニュースだったため、ワイドショーにも取り上げられていました。
みの〇んたが模型を見ながら眉間にしわをよせてゴニョゴニョ言っていたのを覚えています。

その時に感じた母親としての気づきについて紹介します。

コンプレックスの塊だった院生時代

事件の話の前に、当時のわたしについて少し。
子育てをしながら大学に通う日々は「学生結婚」というちょっとドラマチックな言葉とは裏腹に、とてつもなく大変なものでした。

とにかく孤独そのものでした。

学生ママは私の大学ではおそらく私だけだったと思います。

大学の図書館に本を借りに子どもを連れて入ろうとすると、「子連れはちょっと汗」と入館拒否。
就活中の同期には「永久就職できていいね」と言われ。
近所のおばちゃんには「子供がいるのに大学行くなんてよっぽどよね」と感心しているのか、あきれているのかわからない感想。
保育園の先生からは「学生さんなんだから早く迎えに来てほしい」「今日は学校休みですよね」など延長保育に渋い顔。

子供がいることで自分の行動がスムーズにいかないと自分の人生を否定されたようで、とても悔しく、憤りを感じていました。

保育園のママとたまに話すと
「学生なんていいわねー」
と、どこか馬鹿にされたような言い方をされ、同じ母親でも大きな壁を感じていました。
なのでママ友はゼロ。

そしてもう一つ腑に落ちなかったのが夫への賞賛。
「こんな若くで所帯持ちで偉いね。大変だね。」と。
はて?
むしろ楽してませんか?
家事育児、身の回りの世話してあげてるの、私だけど?

ま、そんなことは言いませんでしたが。同じ学生結婚でも男女でこんなに評価が違うのかと思いました。

研究がうまく進まなかったこともストレス要因でした。

ほかの院生は24時間自分の研究に使えるのに、私は朝9時くらいから16時くらいまでしか使えない。

研究をしていると子供のことが気になり、家で子供の面倒を見ていると研究が気になる。そんな毎日でした。

まったく研究に集中できず、だらだらと院生生活を送り、社会的孤立から、どんどん気持ちが落ちていき、うつ状態になっていました。

留年の年に子供の事故

そんなもやもやした日々を送っていた、大学院3年目のある日(留年しました)。冒頭で言った通り、保育園で事故が起きました。
娘も全治4か月の大けがを負い、自宅療養を余儀なくされました。

修士論文の仕上げに入るこの時に子供が自宅療養。
研究が進まない。
気持ちもいっぱいいっぱいで、大学院をやめようか悩みました。

娘に大けがさせてしまったことをとても悔やみました。
保育園に預けていなければこんな事故に遭わずに済んだのに自分がやりたいことの犠牲にしては大きすぎた。
私がこんなわがまま言わなければ子供はけがを負わずに済んだのに。
そう自分を責め続けました。

大学院に行くことは自分のわがまま。

今思えばわがままなんかじゃないってわかります。でも当時は子供を預けて大学に通うことにずっと負い目を感じていたのです。

主人に「大学院やめたい」と話すと「ここまで頑張ってきたんだし、娘のためにも頑張ろうよ」と励まされ、娘は夫の実家に預けることにしました。おかげで研究に集中でき、修士論文を仕上げることができました。

手負いの娘の世話をしてくれた義母には心底感謝しています。

カウンセリングでの吐露

事故直後、保育園の責任者と保護者が集まって話す機会がありました。
そこで父親と母親によって考え方が大きく違うことを知ったのです。

父親たちは事故の責任問題について言及し、園や加害者を強く責めていました。まさに怒りに満ちた様子でした。

一方、母親たちは子供のことを守ってあげられなかったと泣きながら話していました。怒りよりも悲しみを訴えていました。

少し落ち着いた後、当事者でもあり、臨床心理士の保護者が「ゆっくり自分の思いを話しましょう」と母親だけで懇談会を設けてくださいました。

そこで語られたのは、私と同じように「保育園に預けてしまったせいで子供に辛い思いをさせてしまった」という自責の念でした。

数人の母親は仕事を辞めたいと話していたのです。

この話を聞いて、「自分のやりたいことのために子供が犠牲になってしまった」と思っているのは私だけではないということに気が付きました。

女性が働くということ

当時の私は、母親たちはみんな生活のために働いているとばかり思っていました。
もちろん生活するために働いているのですが、それだけでなく「やりがい」や「夢」「自己実現」のために仕事を選択していることがある。
こんな当たり前のことを、当時の私は気づいていませんでした。

学生と社会人との違いはあっても同じような思いを抱いている。そのことにやっと気づきました。

「働く」という選択のためには子供は保育園に預けなくてはいけないこと。
保育園に預けると子供を「犠牲にしている」と感じている母親がいるということ。
子供が事故に遭ったことで働くことに強くためらいを感じているということ。

事故直後の保護者の集まりでの発言でわかるように、父親は加害者や園を責め、母親は自分を責めていました。

父親たちは働くことが当たり前という認識。なので決して「保育園に預けなければよかった」と自分を責めることはありません。もしかしたら自責の念を抱いている父親もいたかもしれませんが、それを吐露する人はいませんでした。社会的な責任問題を第一にしているようでした。

母親たちは常に「預けること」に対する躊躇や負い目があるので自分を責めてしまうのです。

みんながみんなそうだとは思いませんが、その印象が強く残りました。

壁を作っていたのは自分だった

20代前半で出産し、学生生活を送っていた私はほかの人とちょっと違う人生を選びました。
そのせいで「特別である」というより「異質である」と感じ、周りから排除されていると思い込み、これ以上傷つきたくないと、自分から周りの人と距離を作っていたのです。

事故後、母親たちと交流をするようになり心から信頼しあえる友人を作れました。
いろんな職業の方がいて、立場はそれぞれ違っていましたが、お互い一人の女性として尊敬しあえる関係が構築できました。

孤立していた理由は自分にあったんだとその時学びました。

話しかけたかったけど、なんか壁作ってたよね
と言われたときはびっくりしました。

苦しい時こそ人と対話をすることが大切ですね。それを娘が教えてくれたと感じています。

以上、若かった頃の私のお話です。

やりたいことをやる母親になる。そこに負い目はない。

この事故から約20年。
私はいまフリーランスとして取材ライターをやっています。

末っ子も中学生になり、”手がかかる子育て”から”お金がかかる子育て”に変わりつつあります。

今は、子供に遠慮することもなく、周りの目も気にせず、むしろ子供を巻き込んでやりたいことをやっています。

「子どもはすぐ大きくなって親から離れるから。子育ては今しかないよ!今ちゃんと子育てしておかないと後悔するよ。」

そういう呪いに近い言葉で、母親たちの夢や願望を押さえつけてきた時代があったように思います。

今でもそう言われることがあるし、わたしたちも「たしかに、子供より大切なものはない」と理解はしています。

でも二者択一の世界なのかな?
そんなこと、ないよね?

子育てしながらだって、お母さんたちはやりたいことをやっていい。
そのために家族や地域、行政がある。
いきいきと、やりたいことをやっているお母さんの笑顔が、子供を幸せにすると信じています。

もう負い目なんて感じなくてよかよ。
好きなことば、やらんね。
大丈夫ばい、子供は親の背中ば見て育つけん。
背中に羽、生やそうで。

やえを

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