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レティシアの結婚 ~とある圧倒的少数派公爵令嬢の運命の出会いとその後についての備忘録~

とある一般的でない公爵令嬢が、運命の人と出会い、人生が大きくかわるお話。
 お互い全く相手の顔に魅了されない美男美女が、人間としての魅力を感じていくきっかけを書いてみたいと思いました。
 どの世界でも枠におさまらないマイノリティは苦労しがちですが、人と人との出会いは、時に想定外の化学反応を引き起こしたりするのでオモシロイですよね。
 お気軽に楽しんで頂ければ幸いでございます。

 ※ さほど残酷な描写はないかと思いますが、少し大人な表現もあるので、念の為R15と致します。
 ※ 恋愛物語的要素はあると思ってますが、甘々なラブストーリーを期待されると、コレチガウ、と感じられるかもしれません。ご了承下さい。
 ※ あくまでも個人的な願望や好みの詰まった創作物語です。

 よそさんにも投稿してます。 どうぞ宜しくお願いします。

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 レティシア・アイリス・ドゥ・ダンティスト。この国で彼女の名を知らぬ民はいないであろう。

 十代以上続く、名門ダンティスト公爵家の唯一の令嬢。見目麗しい3人の兄に溺愛される、可憐で美しい妹君。
 その優雅な立ち居振る舞いは、まるで人間でなく妖精かと錯覚してしまうほどの軽やかさ。
 一目見ただけで虜になる。言葉では言い表せない魅力を彼女は放つ。

 ポワワンとしたベビーフェイスに、隠しきれない豊かな胸元とくびれたウエスト。
 若者だけでなく、壮年の者から杖をつく年長者、そして同性であっても、彼女のチャームから逃げるのはなかなかに至難の技だ。

 だが、国一番の美女の称号を、本人は全く望んではいなかった。

 レティシアは、自分が大勢の人々に愛される要素を持っている事を幼い時期に気づいた。それは、ずっと彼女の悩みの種となった。

 可愛しいレティシア。
 初々しい姫君。
 少女と大人のアンバランスな色気を漂わせる女神。

 幼少期からぶつけられてきた、欲情した視線の暴力だけではない。レティシアに魅せられた人々が起こした強引な誘い、ストーキング、誘拐未遂といった事件は、両親や兄達がいくら努めても防御しきれず、彼女の人格形成に大きな影を落とした。

 いつの頃からか、レティシアは社交会にも顔を出す回数が減り、そのことが彼女の神秘性をますます増幅させた。

 婚約者も決めず、社交もせず、大切に庇護されているようにみえるレティシアに、人々はますます熱狂した。

 正式なルートから、そうでないものまで、数多くの求婚者が列をなしたが、彼女のお眼鏡にかなう者はでていない。

「レティ、レティシア。そろそろ、本気で考えてみないか?」
「そうだよ、レティ。君も来月でもう20歳になる。他の家の令嬢はもうとっくに婚約者どころか結婚して子供もいてもおかしくないんだよ」

  ダンティスト公爵家では、久々の家族水入らずの昼食会が催されている。
 話題になるのは、末娘のレティシアの結婚話。

 3人の兄達は皆とっくに結婚し、其々に子供達がいる。長男は家督を継ぐため屋敷に残り、次男、三男は独立している。
 長男の妻と子供達は、妻の実家へ里帰り中だ。

 レティシアはここ数年、本家の離れに侍女と共にひっそりと暮らしていた。表向きは。

「なによ、御兄様方。昔は散々、やって来る男来る男蹴散らした癖に、私が20歳になったら今度は早く男をつかまえてトットと出て行けと催促するの? あまりにも勝手すぎません事?」
「出て行けなんて……、そんな意味じゃないよ。レティシア、でもいつまでも独身でこの家にいる訳にはいかないだろ?」
「いちゃダメなの? まさか、この私を本気で追い出すなんて非人道的な事をなさるおつもり? ああ怖い怖い」
「レティシア、彼らはお前の事を思って助言しているのだよ。そんな斜めに受け取らずに」
「お父様、お父様も私に出ていけとおっしゃるの? 知性はほんの僅か、お金を数えることと淫行にふける事しか頭にない輩に、身売りしろと? 私の人生はどうでもいいと?」
「そ、そんなことは……」
「レティシア! どうしてあなたはいつもそう品のない口調で反論ばかり言うのかしら。見た目は天使のように美しいのに、でてくる言葉は」
「お母様、お言葉ですが、子供の頃から散々、男や男や女や男共の色欲を見せつけられれば、そりゃヤサグレるのも道理ですわ。私は勉学に励み、乗馬や剣の腕前だって一流だし、商売にも興味がある。4ヵ国語を話し、政治歴史哲学の話をしたい私に、彼らが求めるのは可愛い顔と、高級娼婦にもなれるこのメリハリのある体だけ。黙ってニコニコ笑ってるだけでいいんですって。馬鹿にしてますわよね。人形か? 私は人形なのか?」

 あどけない可憐な令嬢から、不釣り合いな言葉がポンポンと勢いよく出てくる。
 そう、実はこれこそが、家族と限られた人間しかしらない、かの令嬢の素顔であった。

「だいたい、私は昔から言ってましたよね。女性で初めての国立剣士となられたジョアン・ヒューストン様みたいになりたい。もしくは、ジョアン様の妹君、アリア様みたいに平民の商家へ嫁入りし、商売という戦場フィールドで、己が才覚を試してみたいと。私が進みたい道を閉ざしたのは皆さんじゃないですか」
「レティシア、レティシア……。落ち着いて聞いてくれ」

 父の鎮痛な表情に、さすがのレティシアも口をとじる。

「実は……、国王からのお達しがあったのだ。お前が3ヶ月以内に婚約者を定めない場合は、隣のアース国の第三皇子との婚姻を結ぶように、と」

 一同、押し黙る。

「その……、レティが結婚しないせいで、若者達が君を諦めきれず、結果、若いご令嬢達も結婚出来ず困っている。何とかしてほしいと数多くの貴族から国王に嘆願書が届いているそうだ。だから……」
「わかりました。仕方ありません。結婚しましょう」

 レティシアは勢いよく立ち上がった。

「とはいえ、勝手によその国の王族に嫁がされるなんて、絶対にごめんですから。今晩、夜会が開かれるのはどちらの家門かしら? お兄様、確認して教えて下さいな。どなたかお一人、パートナーとしてご同行願います。サクッと、夫を探しに行ってくるわ。私、部屋に戻って用意しなくては。では皆様、失礼」

 昼食の途中にもかかわらず、言いたい事だけ言って席を立つレティシアを、とめる者はいない。
 一瞬の沈黙の後、公爵夫人がホッとしたように発言した。

「……どういう理由であれ、あの娘が初めて本気で結婚相手を探す気になったのですわ。喜ばしいことです」
「そう、そうだな。アレの好む男が見つかるよう、皆協力してやってくれ」
「はい!」
「そうだ、今晩はワードセンス公爵家の仮面舞踏会の日ではなかったか?」
「そうですね。あまり品が良い夜会とは言えませんが、規模の大きさと安全面では、最適かと」
「よし、ではここは長兄の私が同伴しよう」
「宜しく頼むわね」

 なんだかんだと、レティシアに甘い家族であった。

 ザクザクザクザクと勢いよく砂を踏みしめながら、レティシアは離れへと戻った。離れと呼んでいるが、元々はゲストを泊める為の、なかなか豪奢なつくりの建物だ。

 1階の広間をのぞくと、年若い女性が7、8名、布を広げ作業をしている。
 レティシアは2年前に城下町の手作りマーケットで出会った平民の少女たちをスカウトした。より高度な刺繍や縫物の技術を伝授し、自身のオリジナルドレスブランドづくりを画策しているのだ。

「こんにちは、お嬢様。今、最終手直しをしているので、もう間もなく仕上がりますよ」
「みんな、いつも有難う。ね、そのドレス、今晩着れるのかしら?」
「え? レティシア様、どこかへお出かけですか?」
「そうなの、リノ、湯浴みの用意をしてくれる? 結婚相手を探しに、今晩、夜会へ行く事にしたの」
「……かしこまりました」
「け、結婚相手……!? お嬢様、それはいったい……?」
「私ね、3ヶ月以内に結婚しないと、国王命令でよその国に嫁がされるそうよ」
「そ、そんな……!」
「お嬢様……」

 少女達が手を止め、不安そうにレティシアを見つめる。

 皆、レティシアの『ブティックをひらいて、一攫千金をゲットしよう』という夢を共にみる仲間なのだ。ここで、レティシアが海外に嫁がされてしまうと、計画がパーになってしまう。

「ああ、大丈夫よ、みんな。私、気が合いそうな人をサクッと捕獲してくるから、安心して」

 彼女達にそう言いながら、レティシアはニッコリと笑顔を向けた。

「そ、うよね……。レティシア様ですもの」
「そうそう……。レティシア様なら、きっとお好みの殿方をサクッと見つけて来られるわね」
「ええ、私達は、このドレスを最高のものに仕上げるようがんばりましょう!!」

 レティシアの言葉に安心した女性達は、仕事を再開した。

「レティシア様、準備できましたよ」

 侍女のリノの声に、レティシアはバスルームへと向かう。

「ほんとに夫になる方を探しに夜会へいらっしゃるんですか?」
「ええ、そうよ。意地でも、私の邪魔をしない人のいい夫候補を連れ帰ってくるわ。リノ、楽しみに待ってて」

※※※

 ワードセンス公爵家の仮面舞踏会は、いつも多くの来客で賑わっている。
 入口での身元チェックがある為、比較的安全な場として信用のある伝統の夜会だ。

 レティシアは長兄と共に、大広間へと進む。

 女性のドレスは色鮮やかで、裾が大きく広がるボリューミーな形が一般的であるが、今日のレティシアは濃紺一色のストンとしたシンプルなドレスを着用している。
 目元の仮面の下にはベールを貼り付け、一見誰かわからない程、顔を隠してある。

「さ、どうする? まずは踊るか?」
「いいえ、けっこうですわ。わたくし、グリーンガーデンの奥のテーブルにおります。何かあれば、お呼びくださいな」
「ええ? 良さそうな青年を探さないのかい?」
「混み合う漁場に用はございませんから」

 勝手知ったる館と、レティシアは一人でスタスタと歩いていく。

 ワードセンス公爵家のガーデンは、2箇所にわかれている。色とりどりの花が咲き誇るフラワーガーデンと、緑の植物が主役のグリーンガーデンだ。この緑の庭園はレティシアのお気に入りだ。

 いつもは誰もいない、奥のテーブルに、今日は先客がいた。若い男性の話し声がする。
 レティシアは、気づかれないよう静かに手前のベンチに腰掛けた。

「ブロード、お前の心遣いには感謝している。だが、ここで私の花嫁を探すのはやはり無理だ」
「せっかく来たのに、もう諦めるのか?」
「先程の令嬢達の対応を見ただろう? 両親もなく、まだ幼い妹がいる、後ろ楯のない若造の貧乏男爵に嫁ぎたい女性など、まずいまい」

 品の良い落ち着いた声と内容に、レティシアは興味を持った。

「わかった、わかった。向こうの求める条件は置いといてさ、お前の好みはどうなの? どんな人と結婚したいと思うのか、この際全部言ってみろよ」
「私の希望か。そうだな。まず、サマンサを、妹を大切にしてくれる人だな。それから質実剛健。毎シーズン、新しいドレスや毛皮や宝石が欲しい等と言わない。今、あるもので工夫して楽しめる人。健康で何でも食べる。領地の農作業や、小商いを手伝ってくれる。好奇心旺盛で一緒に色んな事に挑戦してくれる人。駆引きせず本音で話す。私よくわかんない、等と言わない。きちんと自分の考えを持っている。誠実さ。私の事、愛してる?等としょっちゅう聞いてこない人。出来れば一人で馬に乗れる。護身術を嗜んでいる。それから」
「おい、まだあるのか? ……なんか、そういうのもいいけど、見た目とかはどうなの? 可愛い系とか大人っぽいとか、グラマラスなお姉様とか」
「見た目にそうこだわりはないが、強いて言うなら、お前の好きな可愛い系は苦手だ。さっぱりすっきりしている方が好ましい」
「お前、それただのシスコンじゃねえ?」

 レティシアは、話を聞きながら驚きで身体が震えた。
 こんなにすぐに、理想的な夫候補があらわれるとは!

「シスコンというか。見慣れたタイプの顔の方が落ち着くというだけだ。あとは、そうだな。私の顔に見惚れない人がいい」
「はあーー。めちゃめちゃ嫌味な言い方だが、お前の顔は確かに良い。結婚相手としての人気はないが、愛人になれって依頼は山程くるもんな、お前」
「ああ、全く迷惑な話だ」

 レティシアはそれを聞き、確信した。

 これは、神のお導きだと。
 この好機を逃してはなるまい。一刻も早く捕獲しなくては!

 レティシアは立ち上がり、奥のテーブルへと足を進めた。

「あの、黙ってお二方のお話を聞いてしまった無作法をお許し下さいませ。わたくしは……シアと申します。あの、実はわたくしも、ただ今結婚相手を探しておりますの。もしよろしければ、ご相談させて頂けませんこと?」

 急に聞こえた鈴の音のような甘い声に、若者達は驚きのあまり声も出ないようであった。

 レティシアは二人の座るテーブルの前で、丁寧な礼をとった。

「はじめまして、シア様。私は、サイモンと申します。どうぞお掛け下さい」

 片方の男が立ち上がり、開いている椅子を引いた。
 流れるような優雅な動作に、レティシアも驚いた。

 シルバーグレーの珍しい髪の色、背は高くも低くもなく、やや細身の体型。
 先程からの、柔らかい心地の良い声と話し方。そして、美しい立ち居振る舞い。
 また、仮面で目のまわりは覆われていても、その顔立ちの良さは、はっきり見て取れた。
 若い女性に人気の王子様タイプであると推測する。

 見た目は、かなりのハンサムで、全く私の好みではない。でも、それはたいした問題じゃない。

 レティシアはそう考えながら、すすめられた椅子に腰掛けた。

「え、あ……。サイモン、俺外そうか?」
「いや、いてくれていい」
「わたくしも、大丈夫ですわ」
「そ、そう、ですか? では、まあ……」

 ゴニョゴニョ言いながら、彼の友人も元の席におさまった。がっしり体型、短髪、粗野な物言いから、剣士だと当たりをつける。

「では、あらためまして。わたくし、シアは20歳になる貴族の娘です。この夜会に兄と来ておりますので、身元は保証されます。わたくしは、事情により、すぐにでも結婚して下さる方を探しております」
「なるほど……」

 一瞬、気まずい空気が流れる。

「あの、部外者が失礼な事を聞くようですが。その、事情って、そういう事なのですか?」
「そういう事?」
「つまり、その。急いで結婚しないといけない理由って、たいていひとつですよね? つまり、よその種を……」
「ブロード!」

 レティシアはきょとんとした後、ああ、と頷いた。

「言い方が悪かったですね。いいえ、私は妊娠していません。まっさらですので、ご安心を」
「ま、まっさ……」

 顔を赤くする友人、ブロードは捨て置き、レティシアはサイモンの瞳をしっかりと見ながら話を続ける。

「サイモン様。私は兄が3人おります。ずっと妹が欲しいと思ってました。あなたの妹と仲良くできると思います。ドレスや毛皮や宝石は、既にお気に入りの物を持っていますので、買って頂く必要はありません。また、今、企画中の服飾ビジネスがあるので、それをサイモン様のお家の事業として一緒に運営していくことも可能です。健康には自信がありますし、火が通っていればたいてい何でも、昆虫でも食べます。領地の農作業は経験がありませんが、ガーデニング好きなので、自分で土の配合を研究した事もあります。好奇心は旺盛な方です。家族からはとめられる事もありましたので、夫となる方には私を自由にさせて下さる方を望みます。あ、自由と言っても、浮気は致しません。乗馬と剣術は問題なくできます。他に何か必要な事項はありますか?」

 最初のよそ行きの可愛らしい態度から一転、普段の調子で淡々と話すレティシアに、サイモンが戸惑うのがわかった。

「それから、私は猫をかぶるのは得意ですので、社交の場では、それ相応の対応ができます。ですが、先程サイモン様がおっしゃったように、私も本音の付き合うを望むもので。これが、素の私です。夫となる人に、可愛がられたい願望はありません。むしろ、家門の共同経営者として認めて頂きたい。妻を庇護する対象ではなく、心強い相棒バディとして認識して下さる事を願います」
「庇護対象でなく、バディとして……」
「はい!」
「ちょ、ちょっと、ちょっと、サイモンいいかな? シア嬢、失礼しますね」
「どうぞ」

 ブロードがサイモンの肩に手をまわし、テーブルから離れた。

「サイモン、シア嬢かのじょヤバいって……」
「何が?」
「いや、もう全てが。ちょっと病気療養中なのかもよ。メンタルの」
「失礼な事を言うな。むしろ、理路整然とした無駄のない理知的な話し方だ」
「だから、その理路整然した話し方が問題なんだよ。そんな令嬢、今まで見たことあったか? しかも、ビジネスを企画してるだの、土の配合を研究だの昆虫を食べるだの、夫に可愛がられたくないだの! 普通じゃないだろ?」
「普通じゃないのはうちも同じだ。私としては、ぜひ前向きに進めたいと思うが」
「あのな、あの令嬢が本当に馬を操り、剣で戦えると思うか?」
「彼女が嘘をついているとでも?」
「その可能性はあるだろ?」
「わかった。それを確かめよう」

 サイモンがレティシアの元に戻ってきた。ブロードは走ってどこかへ去った。

「シア様、私はあなたのお話に魅力を感じでおります。失礼ですが、一つあなたの腕前を試してもよろしいでしょうか?」
「ええ。何でも試して下さい」
「ありがとうございます。では、剣の打ち合いを希望します。今、ブロードが模擬刀を借りに行っております」
「わかりました。待ってる間に、質問しても?」
「勿論です」

 二人きり。お互いを見つめながら、静かに話す。

「サイモン様は、子供は何人ご希望ですか?」
「子供の数ですか……。はっきりとした数を考えた事はありません」
「……子供はほしくないと……」
「いえ、そうではなく。……昔、姉に言われたのです。子は授かりものだと。欲しくても持てない場合もあるし、欲しくなくともどんどん出来る事もあると。しかし、現状、子が出来ない場合、男側の原因は考慮されず100%妻の責任にされてしまうのだと。その話を聞いてから、子供はもてれば嬉しいけれど、もてなくてもそれはそれでよいかと考えるようになりました。養子をとるという方法もありますしね」
「それは……、素晴らしいお姉様をお持ちですね」
「はい、自慢の姉です」

 微笑んだサイモンの儚げな美貌は、仮面では抑えきれないほど破壊力のあるものだ。
 ここまでの美男子は、なかなかいないだろうとレティシアは思った。

「お待たせしましたーー!」

 ブロードが息を切らせながら、細身の木刀を2本持ってきた。

「ブロード、ありがとう。では、シア様。恐縮ですが、お手合わせ願えますか?」
「はい、宜しくお願いします」

 双方、木刀を握りしめ、広めの場所に移動する。

「シア様、こいつ優男にみえて、けっこう有段者なんです。無理するとケガしますよ。やめるなら、今のうちに……」
ブロード様、ご忠告に感謝します。そうそう、私のこのドレスは、普通のものではありません。動き回るのに適したものですから、サイモン様は遠慮なさらず、思いきり打ち込んで下さい」

 ブロードのやんわりとした制止を切り捨て、逆に挑発するレティシアに、サイモンは興味を抱いた。
 知りたい。この女性について、もっと知ってみたい。

 二人は、木刀を向け合いながら、対峙する。
 互いに、隙がない。

 サイモンが軽く打ち込んできた。
 カン、と相手の刀をはたき落とすと同時に、レティシアは剣先をサイモンへの首筋へと滑らせる。
 サイモンは瞬時にその筋を読み、身体を反らせ、かわす。

「……マジか……」

 ブロードにも、レティシアが口だけでない事がわかった。

 カンカンカンと凄まじい音が響く。
 サイモンが攻めているかと思えば、次の瞬間には一転、レティシアが猛攻をくわえる。
 流れるようなその攻防は、美しいダンスのようにも見える。

 楽しい! なんて楽しいの!

 夢中で打ち合っていた為、第三者が近づいてきた事にレティシアは気づかない。

「な、なにをしているのだ? やめよ、やめよ! 今すぐやめるのだ!!」
「お兄様? あ……っっ……!」

 兄の声に気をとられ、動きが止まったレティシアの腕を、サイモンの木刀が打った。  

 バシッという音と共に、レティシアの手から離れた木刀がカランカランと地面に落ちた。

「レティシア!」
「シア様!」

 サイモンが、レティシアに即座に駆け寄り、手を取った。

「申し訳ありません。ああ、やはり打ち身になっている。すぐ冷やさなくては……」
「大丈夫……」
「離れろ、無礼者! お前は何者だ? 誰に対しこのような行いをしたのかかわっているのか?」

 長兄はレティシアをサイモンから引き離しながら、怒りをあらわにした。
 サイモンとブロードは呆気にとられた表情だ。

「私はダンティスト公爵家の次期公爵、こちらは私の妹レティシア・アイリス・ドゥ・ダンティストだ」
「えっ?!」
「ダンティスト公爵家のレティシア様……! あ、あの、麗しの女神、レティシア様?」

 レティシアは、兄に抱きしめられながら、この状況をしばらく見守る事にした。

 非常時にこそ、人間はその本性をみせるもの。
 サイモン様はどんな顔をみせてくれるのか?

「ラノラック男爵家当主、サイモン・ハルト・ラノラックと申します。この度はレティシア様を傷つけてしまった事、申し訳なく存じます」

 サイモンは即座に仮面を外し膝を折り、剣士の作法で長兄へ詫びの姿勢をとった。

「全くだ。女性相手なのだぞ。なぜ、きちんと手かげんしなかった!」
「……お言葉ですが、女性だからといって手かげんは出来ません。私達は先程、対等な剣士として打ち合いを行いました。手かげんをすれば、それこそレティシア様に失礼かと」
「そんな事は詭弁だ! いくら腕があっても、女性は女性だ。守るべき存在だ! それをお前は……」
「サイモン様!」

 レティシアは、兄をグイグイと肩で押しやり、サイモンの前に同じように跪いた。

「サイモン様。私を対等にみて下さり有難うございます。先程、私が打たれたのは、私が兄の声に気をとられてしまったせい。未熟な私の自己責任です。ですから、あなたが謝る必要は一ミリもありません」

 そう言いながら、レティシアはサイモンを立たせた。

「サイモン様、いかがですか? 私との結婚、ご検討頂けそうですか?」
「あなたは素晴らしい剣士で、己の意思を持つ自立した稀有な方だ。あなたさえよければ、ぜひ私の花嫁に迎えたい」
「は、花嫁……?!」

 目を白黒させる兄を尻目に、レティシアは続ける。

「嬉しいです。サイモン様、私からもう一つだけ確認したい事があります。私のこの姿は、あなたのお好みでしょうか?」

 そう言って、彼女は自身の仮面とベールを外した。
 二人は、互いに素顔で向き合った。

 サイモンは、繊細なガラス細工のような煌めきを、若い女性が泣いてその姿を拝むほどの美しい王子様のオーラを纏っている。
 勿論、レティシアも国一の美貌とうたわれる容姿だ。

 その二人が見つめ合う姿は、さながら美しい天上人が描かれた、一枚の尊い絵画のようである。

「うわあ、これはヤバい絵だな。美男美女が揃うと、破壊力ハンパねえ」
「レティ、ああ、サイモン君も……美し過ぎる……」 

 うっとりしながら、長兄とブロードが呟いた。

「シア様、いえ、レティシア様。正直に申し上げると、あなたの可愛らしいお顔は、私の好みではありません」
「ヴッバ……っか! サイモ……」
「な、なんと……!」
「……本音のお答え、有難うございます。お好みでなくとも、閨では問題ありませんか? 私は契約結婚がしたいわけではないので、白い結婚は望みません。出来れば、私が愉悦を楽しめる程度には、閨にも注力して頂きたいのですが」
「ゴッブオ……ッ……!」
「レティ! 人前で閨などと……」
「レティシア様。あなたのお顔は好みではありませんが、あなたの考え方、勇気、率直な物言いに、私は既に惹かれています。あなたの事を好ましく感じています。私は、性欲が強い方ではありませんが、姉達から、一般的な閨教育と別に、女性を喜ばせる為の課題図書を与えられ何十冊も読んできました。あなたの為に、精一杯努める事をお約束します」
「サイモ……おま……」
「……課題図書とは……?」
「あの、レティシア様こそ、私の顔をどう思われますか? お好みの顔ですか?」
「いいえ、サイモン様。私もあなたのお顔は、好みではないんです。だから、あなたのお顔に見惚れることはありません。私達、お互いに好みの容姿ではないのです。良かったですね」

 互いを、自分の好みではないと嬉しそうに話す二人を、兄と友は何とも言えない顔でながめる。

「お兄様、私決めました。サイモン様と結婚します」
「まあ、まてまて、レティシア。わかった、とりあえず、家に帰ろう。腕も冷やさねばならぬし。サイモン君、お友達も、今から一緒に来てもらえるかい?」

 半ば強引に、サイモンとブロードはダンティスト公爵家に連行された。

※※※

「んまああアァァ、なんてハンサムさんなの? 眼福眼福。肖像画が飛ぶように売れそうね。こちらがレティシアが選んだ方? 確かにゴリゴリムキムキ好きのレティシアの好みとは違うけれど。どちらかというと、リノ、あなたの好みのタイプではなくて?」
「奥方様、おっしゃる通りです。まさに、わたしのどストライク!」

 サイモンを連れて帰ると、公爵夫人とリノは黄色い声で歓迎した。

「うちのレティは可愛いけれど、君もなかなかのレアな美しさだね、サイモン君」
「結婚式で、サイモンとレティシアが二人並ぶと、見てる人、皆鼻血だしちゃうかもね。レティは話すと怖いけど、見てるだけなら本当に可愛いから」

 次男と三男は、妹大好きなシスコン発言を連発する。

 客間のソファーに座らされたブロードは居心地悪そうにしながら、隣のサイモンを見た。
 サイモンは、薄っすらと笑みを浮かべていた。幼なじみの自分でも気を抜くとホゥっとなるこの友人の美貌に、あらためて同情した。

 サイモンは、昔からモテた。皆、彼の顔に群がった。だが、サイモンはいつもこう呟いていた。
 皆、私の顔ばかり見て、誰も私自身を見ようとしてくれない、と。

 女性からも男性からも言い寄られ、困り果てているサイモンを見てきて、ブロードは、自分は平凡な人間で良かったと何度も神に感謝した。

 もしかしたら、レティシア嬢も、サイモンと同じなのかもな。
 容姿が良すぎて苦労してきたから、自分にうっとりしない人間を求めていたのだろう。だとしたら、お互いにとってやっと見つけた貴重な相手だ。幸せになってほしい。

 などと考えていたにもかかわらず、腕の手当をして戻ってきたレティシアを見たブロードは、瞬時にその考えを忘れた。

 ウワァ、麗しの女神、良いわ! ああ、あの豊満な胸に顔を埋めてえ! それから……。

「ウォッホン! では、あらためて話を進めよう。私は、ダンティスト公爵家当主である。我が娘、レティシアの結婚相手を希望して、この場に来てくれたという事で間違いないか?」

 名門公爵の重厚な声が響いた。緊張した空気が走る。
 サイモンの目の前には公爵夫妻が、そして両サイドの椅子に3人の兄とレティシアが腰かけた。

 サイモンは、ブロードに誘われて、今宵久しぶりに夜会に参加した。

 彼の両親は、14年前、彼が10歳の時に事故で他界した。それ以降、姉2人が親代わりとなり、サイモンと妹を育ててくれた。
 18歳になり、成人したサイモンは家門を継ぎ、姉たちは結婚して家を出た。この6年間、彼は一心不乱に家門を守り、妹のサマンサを育ててきた。15歳になる妹は、そろそろサイモンも結婚して、自分の幸せを考えてほしいと何度も言うようになった。

 結婚が幸せかどうかは別にして、確かに当主として、そろそろ妻を迎えた方がいい事は理解していた。ただ、サイモンは、誰かに愛をささやき、キスをし、それ以上をする自分の姿が全く想像できなかったし、そうしたいと思う欲求もなかった。

 子供の頃から、よく女性から声をかけられた。サイモンはハンサムだから女なかせになるね、等と母が冗談で言っていたのを思い出す。

 しかし、現実は、そんな生易しいものではなかった。サイモンは、うんざりするほど、モテたのだ。
 姉妹のお陰で、女性恐怖症にはならなかったものの、姉妹以外の女性には、全く興味が持てなかった。今日、先程までは。

 サイモンは、レティシアを見つめる。

 確かに、美しい。麗しの女神、国一番の美貌とうたわれるのも成程と思う。
 しかし、サイモンにとって、その美しさは、全く魅力的にうつらない。

 それよりも。彼女の淡々とした、無駄のないすっきりとした話し方。媚も過剰な謙遜もない、対等な対話。
 えっとお、なんていうかあ、やだやだあ。等という語尾を伸ばした意味不明な言葉が介在しない会話は、なんと心地よいのか。

 また、彼女の剣の腕前は素晴らしい。姉程でないにせよ、かなりの時間を練習に費やしてきたにちがいない。努力家なのだ。きっと、乗馬も上手だろう。

 サイモンは姿勢を正し、公爵に真っすぐに向き合った。そして、立ち上がり、貴族の作法で腰を折り、優雅に挨拶した。

「ラノラック男爵家当主、サイモン・ハルト・ラノラックと申します。本日、有難いご縁を頂き、レティシア様とお話する幸運を得ました。ぜひ、我が花嫁にお迎え出来ることができれば、これ程嬉しい事はございません」
「サイモン君、いや、ラノラック男爵。あなたは、我が娘にどんな幸せを与えてくれるのだろうか?」
「私は、我がラノラック男爵家は、決して裕福ではありませんし、歴史も浅い。貴族とはいえ、平民に近い家門です。ですので、私は、レティシア様に何かを与え、幸せにすることはできません」
「なんと! では、ラノラック男爵は何をもって我が愛娘を迎えようとするのか? 聞いた話によると、貴殿はレティシアの顔には全く興味がないそうだな。娘を大切にしない男に娘を嫁がせる気にはなれぬが」
「私は……。レティシア様を、男爵家の対等な共同経営者として、尊重することをここに誓います。何かあれば、二人で相談し、納得するまで話し合いながら、二人で決めていきたい。確かに、レティシア様の可愛らしいお顔は、私をそう惹きつけはしません。ですが、彼女の自分の人生を生きようとする強い意志、枠に囚われない先進的な考え方、理知的な話し方、行動力、そして剣の腕前。それらは、私を強く魅了します。私は、レティシア様を、尊敬しています。これからの人生を、彼女と切磋琢磨しながら、共に歩んでいきたい……。そういう形で彼女を大切にしたいと、強く願っております」

 このサイモンの答弁に、その場にいた全ての人間が驚いた。

 サイモン自身も、自分のなかにこのような情熱が眠っていた事を初めて知った。

 ブロードは、長年の付き合いの友の、見た事のない雄々しい姿に、胸がキュンとなった。

 公爵と3人の兄達は、レティシアの外側の美しさでなく、その本性を知りながら、公爵令嬢として規格外な内面部分に魅力を感じるという変わった男が実在したその事実に驚愕した。

 公爵夫人と侍女は、サイモンの言葉はあまり聞いていなかったが、彼のその憂いを帯びた強い眼差しに、ゴフウウッ……ッ……鼻血ものだわ……とか何とか言いながら両手で顔を覆った。

 そして、レティシアは。レティシアも、驚きのあまり、目を見開いたまま、固まった。

 昼間に、結婚するよう父から話を聞き、とりあえず少しでも自分が快適に生活できる結婚相手を探さなくてはと、仕方なく夜会へ参加した。
 その夜会へ参加してすぐに、お気に入りのグリーンガーデンで、サイモンに出会った。
 彼の希望する結婚の条件を聞き、レティシアの希望とも合致する事に気がついた。これはかなり、理想的な相手なのではなかろうか、と。

 しかも、初めての手合わせにもかかわらず、彼は手かげんなしで、打ち合いをしてくれた。レティシアの隙をつき、しっかりと腕に打ち込んできた。こんなに嬉しいことがあるだろうか?

 本当の意味で、女性を下に見ず、対等な存在だと考える男性を探し出すのは、砂漠の中でオアシスを求めるにも等しい。

 自分は、そのレアな男性を引寄せたようだ。
 それだけで、もう充分にラッキーだと思った。当初期待した以上の、素晴らしい相手を見つけたと内心喜んでいた。

 さらにサイモンは、レティシアを対等な共同経営者として尊重することを誓うとまで言った。
 そして、顔には魅了されないが、彼女の考え方や行動力には魅かれると。尊敬していると言ってくれたのだ。

 レティシアの頭に、ある単語が浮かんできた。

『運命の出会い』

 そんなもの、ただのおとぎ話だと思っていた。
 そんな都合の良い偶然の出会いなんて、ある訳ないとバカにしていた。

 でも……、これが運命の出会いでなければ、なんと呼べばいいと言うのか。
 レティシアは、生まれてはじめて、神を、おとぎ話を、運命を信じてみたくなった。

 なぜなら、レティシアは心の奥底で、ずっと運命の人との出会いを求めていたのだから。

 自分を心強い相棒バディとして認識し頼ってくれる人間を。
 そして、自分の心強い相棒バディとなり頼らせてくれる人間を。

 黙ったままのレティシアに、サイモンは近づき、跪ひざまづいた。

「レティシア様、これが、今の私の正直な気持ちです。私はあなたと、結婚したい」
「サイモン様……」
「そして、私の姉と妹にも、ぜひ会ってほしい。姉達は、世間の噂ほど傍若無人な人達ではないので、怖がらないでほしいのですが……」
「傍若無人……? お義姉様がですか?」

 サイモンは少し緊張しながら、こう続けた。

「はい、実は……。私の上の姉は、ヒューストン将軍と結婚した女剣士、ジョアン・ヒューストンです。下の妹は、大商人ロン一族に商人としての才能を見初められて嫁いだアリア・ロンです」

「な、な、なんだと!? なんですってーーーー!?」

 レティシアはじめ、ダンティスト公爵家全員の声がかぶりあい、館内に大きく響いた。

「サイモン様のお姉様が、ジョアン・ヒューストン様? あの国が誇る美しき最終兵器のジョアン様? 一騎当千、敵の兵士から荒くれ者の海賊、ゴロツキの悪まで皆震えあがる、ジョアン様? 嘘でしょう? そして国庫の何倍もの富を持つと噂される、6つの海を股にかけ世界中に広がる商人ネットワークの肝を握るロン一族に嫁入りし、メキメキと頭角を現し、女性で初めての若頭のポジションに就いたというあの、アリア様が、姉? という事は、彼女達が、私のお義姉様に!?」

 興奮のあまり、レティシアは目の前のサイモンに抱きつきタックルし、押し倒し、2人は共に豪華な絨毯の上にゴロゴロと転がった。

「レティシア……!!」
「レティ!! はしたない真似は……!! 」
「嬉しい!! ああ、夢みたいよ! サイモン様、結婚しましょう。すぐにでも、明日にでも結婚しましょう!! ずっと憧れていたあのお二方が、私の義理の姉になって下さるなんて……。嬉しすぎて、もう、訳がわからないわ……!」

 レティシアに抱きつかれながら、ゴロゴロと転がるサイモンを、ダンティスト公爵家家族ファミリーと、ブロードは、申し訳なさそうな、可笑しさを堪えるような、なんとも言えない表情で見守った。

 しばらくして、やっと動きを止めたレティシアに、サイモンの呟きが聞こえた。

「レティシア様、私の運命の人。私こそ、あなたに出会えて幸せだ」

※※※

 レティシア・アイリス・ドゥ・ラノラック男爵夫人。この国で彼女の名を知らぬ民はいないであろう。

 元・名門ダンティスト公爵家の唯一の令嬢。
 ラノラック男爵と運命的な出会いを果たし、出会ってわずか一週間で電撃結婚。

 公爵令嬢時代から、平民のお針子達を育て、自分だけの裁縫チームを持っていたのは有名な話だ。
 コルセットなしの一人で着用出来るドレスや、切込みのはいった独特のプリーツドレスを発明。特にプリーツドレスはこれまでの伝統的なドレスと違って可動域が広く、走ったり乗馬もできる画期的な衣服として、女性剣士、王城の侍女から町のダンサー、下町の酒屋の女給まで幅広い支持を得て、今や3人に1人はプリーツドレスを持っていると言われる程の人気商品だ。

 彼女のユニークな服飾プロジェクトは、ラノラック男爵の姉、大商家ロン一族に嫁ぎ『牛農家に牛肉を売る女商人』として有名になったアリア・ロンの手助けをへて、やがてラノラック男爵家の根幹を担う大事業へと成長した。

 また、レティシアはラノラック男爵のもう一人の姉、『ヒューストン将軍に喧嘩を売っても、奥方であるジョアン・ヒューストン副将軍だけは怒らすな』と言われる影の実力者と手を組み、女性の自立と社会的地位の向上の立役者となった。

 ジョアンと共同経営をはじめた、20名規模の小さな女性専用職業訓練学校は、今や、国内外から毎年500名を超える入学希望者が殺到するマンモス校へと変貌を遂げた。

 そして、10年前にこの職業訓練校の出版社から発売された3冊、『王国のこれからの発展にかかせない女性の力』、『妻をサポートするということー女性を下に見る時代の終焉と共に横に並ぶ新しい時代の幕開けー』、『時代を切り開いた先駆者。ラノラックに連なる3人の女性達』はいまだにベストセラーとして右肩上がりに売れ続けており、10ヶ国語に翻訳されたその本は、海外にも大きな影響を与えている。

 『時代を切り開いた先駆者。ラノラックに連なる3人の女性達』の後書きで、レティシアはこう述べている。

 ーー私が、ここまでいろいろな事に挑戦できたのも、夫であるサイモン・ハルト・ラノラックのお陰です。彼のプロポーズの言葉、私を男爵家の対等な共同経営者として、尊重すると誓ってくれた事が、私に大きな勇気をくれました。勿論、今も何かあれば、彼としっかり話し合っていますし、とても良い関係を築いています。

 私にとって、彼は運命の人でした。その素晴らしい夫は、育ての親でいらっしゃるお義姉様のジョアン・ヒューストン様とアリア・ロン様の教育の賜物です。ですから、2人のお義姉様は、私にとっても師同然の方々なのです。

 運命の輪は、いつどこで廻りだすかわかりません。だから、あなたも絶対に諦めないで。自分の頭で考え、自分の足で歩き、夢を掴みとろうと努力する事を辞めてしまわないで。この世界は、不思議なおとぎ話に溢れているのだから。ーー

 レティシア・アイリス・ドゥ・ラノラック男爵夫人。この国で彼女の名を知らぬ民はいないであろう。

 格下の貧乏男爵家に嫁ぎ、己の才覚で成功した職業婦人。
 20歳という結婚適齢期を過ぎてから理想の夫と結婚した、現世に生きるおとぎ話のヒロイン。
 多くの少女達の憧れの存在。

 レティシアを知る人々に、彼女がどんな人間かを尋ねると、それぞれが色々な返答をする。

「物凄く、アイデアが豊富な方です。どっからそんな考えが? ってことを、思いつかれます」

「元公爵令嬢だと思えない程、気さくな方です。お店で清掃されている姿を見た時は驚きでしたよ」

「彼女は常に冷静に、感情に邪魔されることなく、合理的な判断をされますね」

「努力家ですよ。いつも、新しい本を読んでらっしゃいます。それも、色んな分野のね」

「そんなに愛想がいいわけじゃないけど、いつも感情が一定というか。とても話しやすい方です」

「時間がある時には、色々アドバイスを下さる、後輩おもいの優しい方です」

「けっこう、お転婆さんですよ。ご存じない方もいらっしゃいますが、剣術も馬術も、なかなかの腕前ですから」

 たくさんの異なる意見がでてくるのが興味深い。
 しかし、彼女のその美しい容姿について話す者は、いつの間にかいなくなっていた。


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