出世は運だから、お前の実力じゃねぇ、ってこともある「論衡1」

行儀のよさには教養が出る
才能や能力がある人の方が出世に有利

とかなんとか、スペックが良いやつが出世しやすいかもしれないけれど
やっぱり時の運としか言えない事もあるわけで

なんであいつがみたいなって奴が偉くなることがあれば
あんなに優秀な人がどうしてこんな低い地位にみたいなこともある

地位はその人間の実力や人望だけで選ばれないってことです

と、ここまでは人生そこそこ生きていれば
「そんなもんよね~」
となると思うのですが

この本が出た時期は、中国国内で今よりももっと壮絶な身分争いがあったわけで、
運が良ければあんなカスでも王様になれるんですよー
みたいな皮肉を感じます
(飲み屋とかで愚痴ってる感じですね)

しかも、これ一番最初の出だしの文なわけで
きっと作者は嫌な事あったんだろうなとか妄想がはかどる感じです

まぁ、この本自体「儒教」っていう中国最強の思想を否定してるので、結構長い間日陰者だったんですが、現代まで残ってるしぶといゾンビ本なんで、これくらい人間臭い出だしはとってもいいと思います。

という訳で、以下原文です。

操行有常賢,仕宦無常遇。賢不賢,才也;遇不遇,時也。才高行潔,不可保以必尊貴;能薄操濁,不可保以必卑賤。或高才潔行,不遇,退在下流;薄能濁操,遇,在眾上。
#行動や品行に一定の規則があっても、官職や仕事の運命は一定ではありません。賢明さとは、その人の能力にかかっており、運命は時の流れに依存します。才能が高く、品行が清廉であっても、それだけで必ずしも高位につくことが保証されるわけではありません。逆に、能力が低く、品行が曖昧であっても、必ずしも低い地位にとどまることはありません。高い才能と清廉な品行を持っている人が、不遇な状況に陥ることもあり、その場合、下位の地位に退かざるを得ないかもしれません。一方、能力が限られており、品行が曖昧な人が、運の良い状況に出会うこともあり、その場合、上位の地位に立つことができるでしょう。

世各自有以取士,士亦各自得以進。進在遇,退在不遇。處尊居顯,未必賢,遇也;位卑在下,未必愚,不遇也。故遇,或抱洿行,尊於桀之朝:不遇,或持潔節,卑於堯之廷。所以遇不遇非一也:或時賢而輔惡;或以大才從於小才;或俱大才,道有清濁;或無道德,而以技合;或無技能,而以色幸。
#世の中にはさまざまな方法で人材を評価し、士(人士や官吏)を選びます。また、士たちも自身の長所を活かす機会を見つけ、前進することができます。前進するかどうかは運命に依存し、運命に恵まれない場合、後退することもあります。高位にいる人が必ずしも賢明であるわけではなく、運命が良いだけかもしれません。逆に、低い地位にいる人が必ずしも愚かであるわけではなく、運命が悪いだけかもしれません。したがって、運命が良くない場合でも、不道徳な行動を取って高位に上がることがあるし、高位にいるにもかかわらず、清廉な品行を守り続ける人もいます。運命は一つではなく、賢明な人が悪人を支援することもあれば、大きな才能を持つ人が小さな才能を持つ人に従うこともあります。また、大きな才能を持つ人たちの中にも、善悪の違いがあり、技術的な能力だけで高い地位に上ることもあれば、技術的な能力がなくても外見や運の良さで成功することもあります。

補足

中国哲学の名著「論衡(ろんこう)」をAI翻訳使って読んでいきます。

周礼では、とりあえず訳してみようから始まりましたが、論衡はもう少し掘り下げて翻訳と解説をつけていこうと思います。

ちなみに太字が原文、#以下が原文のAI(ChatGTP)翻訳
他はここだけ読んで、筆者の思ったことです。

注:運営者は古典解釈に関して、10人いれば10通りの解釈があるという認識を前提にしています。自分以外の視点で物事を考えるきっかけにして頂ければと思います。

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