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両親が毒親だった件について(前編)


以前新月の記事で少し両親との関係に触れました。
あまり深く話してこなかったけど、人様に向けて書けるようになってきている時点で自分自身の浄化が進んでいるのだなと感じています。

親子関係で悩んでる人がもし居るなら、この記事が少しでも光になれば。



実は、投稿してない記事で「三十路を目前に父親と縁を切った話し」っていうのを長い時間をかけて書き進めていたんだけど、状況が一変。簡潔に言うと、31歳にして両親どちらも毒親だったことに氣付いた。

あれ?笑

まあでもこれってそりゃそうだよなと自分で妙に納得してしまった、何故かって自分の身に起こることって全部自分の思考と選択と責任で出来上がっていて、自分の周りの人間や環境だって自分が作り上げているということを知った今、両親同士一応惹かれ合って結婚したっぽいって事実がなによりの証拠だと思った。

だって当時同じ波動だから一緒に居られたんだよねそれって。
まあ恋は盲目もあっただろうし、一概にはそれだけで片付けられないんだけど。

物心ついた頃には両親が仲良いとか家族が仲良いなんてよく分からなかったしね。

ちなみにこれはわたしにとっての毒親だった、という経験談で、もちろん他人様との差があるのは当然なのでそこは理解して読んでいってほしい。

あくまでも、わたしにとっては、のはなし。

親が大好き、とか、家族仲良し、とかの人たちにとっては不快だと思うのでそこも悪しからず。
不幸自慢でもないので、ただの記録、それによる自己分析と真実。

一応上記リンクしておきます。
自分の両親が毒親だったかどうかわかる診断。

ここからはカテゴリー別で
1. そもそも毒親ってなに?
2.父親と縁を切ったはなし
3.母親も毒親だったはなし
4.アダルトチルドレンと占星術
5.血縁関係でも他人
6.自分の人生を生きる
7.解放、その後

1.そもそも毒親ってなに?

まず前提として、毒親って親を悪者にする言葉ではない。
「子供の人生に悪影響を及ぼす子育てを行う親」のことを言う。

毒親にも特徴があって、否定、放置、過干渉、過保護、4つのタイプに分けられる模様。
私の場合で言うと父親が否定で、母親が過干渉、過保護かな。

「毒親」という言葉は、あたかも、子供が抱える生きづらさの責任を親に押し付けるために用いる言葉=「親を悪者にするための言葉」ではなく、本来の意味は、その正反対で、「親を巻き込まず、親に押し付けず、親に邪魔されず、自分の生きづらさは自分で解決していきたい!」と、親との関係に苦しみ、生きづらさを抱えながらも、親からの心理的な自立を願う人々に希望を与えることを目的に、スーザン・フォワードが生み出した言葉である。

上記リンク参照

「親を巻き込まず、親に押し付けず、親に邪魔されず、自分の生きづらさは自分で解決していきたい!」
そう、ここまじ大事。

だから例え信じたくなかったりしても、毒親だと自分で氣付くだけでめちゃくちゃ変わるんだと思う。

2.父親と縁を切ったはなし


去年の30歳の誕生日を前に父と縁を切った。

この話しは父親がアル中、モラハラ、DVであることからはじまる。

長かった。とにかく長かった。
幼い頃から闘ってきた。まだ、ほんの少し闘ってる氣はするけど。でもいまは当時よりは全然楽。

新月の記事でも書いたけど正確に言えばわたしが会おうと思えば会える距離にはいるし、連絡先も知っている。

ただもう親であれ自分の都合でわたしを傷付ける人間に「わたしの人生に関わってほしくなかった」

もう「我慢」できなかった。したくなかった。

「我慢」というワードを使ったけれど、いままでの語り尽くせないほどの気持ちは、わたしはこれまで「我慢」していたんだと認められたことからはじまった。
いや、そんなのもう大分前からわかってたのかもしれないけど、わたしはどうやら無駄に忍耐強いみたいで「親」だから「子供」のわたしが我慢するのは当たり前だと思っていたし、もう麻痺していたように思う。

当たり前だと思い込んでいた。
育ててくれてる恩はあるわけだし、そんなこと思ってる自分はおかしいのだと。

わかりたかった。わかろうとしたかった。
これは多分太陽星座蠍の性質も相まってたはず。

小さい頃から、なぜ父はわたしに対してそうなのか。
父親は確実にアダルトチルドレンだったんだろう。

父の帰宅にあれだけ怯え、常に顔色を伺っていたわたしからしたら、こうやって人様に見せる用に文章を書いたり、ましてや父に対してラインやらメールやらの文字で気持ちを伝えることが出来るようになっただけ相当な成長なんだけど。

物心ついて、はじめてこんな大人になりたくないし、こんな親には絶対にならないと思った生き物だった。

「絶対に大切な人を傷付ける人間にはならない」そう誓った。

それが無意識な我慢に繋がって自分を苦しめることになっていたと氣付いたのは、だいぶ経ってからのお話。

これまでこの自分との約束を守れてきたかは自分ではわからない。
けど、最強の反面教師として父が居たお陰で人に対しては大切に接することが出来てきたようにおもう。
人に対して使う言葉も慎重になった。

と言っても、15歳から離れて暮らしていたから、それ以降の実害はそんなにない。
でも、たぶん、ずっと心が麻痺していた。
会うたびに傷付いて帰って、その度にひとりでわんわん泣いた。

父は絶対に謝らない。どんなに自分が悪くても、わたしが悪いと思ってしまうくらい心ない言葉を浴びせる。
学校にしばらく行けなかっただけで世間体を気にする父からするとわたしはどうやら「生きてる価値はない」ようだった。
勇気を出して一度口答えをしたとき、言いたいことがあるなら学校に行って子供としての義務を全うしてから言えと言われたことがある笑

はて…?笑

当時不登校気味だったわたしは、学校に行かなきゃ生きてる権利も、なにかを言う権利もないのか!と言ったら父ははっきり「そうだ」と答えた。

自分に不登校の娘がいるなんてありえないし言えないんだよね。

まわりばっか気にして、心は置き去り。
外側ばっかり飾って中身は腐りまくってた。

いま考えても知ったこっちゃねえよな~。

てめえらのせいでわたしが精神的におかしくなったのなんて明白だろ。
もうわからなかった。なにかのせいにしないと保てなかった。

いつからか、わたしはわたしを傷付けるようになった。
明らかに心を病んでしまってた。おかしかった自覚しかない。

成人してからはお酒が入ればなおのこと、歯止めが全く効かなくなって酒を浴びるように飲み当時の恋人に当たり散らかしたこともある。

ごめんね。ほんとに今となっては申し訳ないと思ってる。

「そんなに傷付くなら会わなきゃいいじゃん」
当時の恋人はサラッと口にした言葉だったけど、わたしはその意味が全くわからずに居た。だからどうしたらいいかわからなくて苦しかった。

いま思えば簡単なことだったんだけど。

わかりきったことを言われて浅はかだと思っていたし、同じ経験してみろよって本気で思ってたもんね。
そんな簡単に出来たら苦労してないよって思ってた。

ここら辺のことを星座の相性として書いてくことも出来なくないんだが、当時はその彼が持っている視点が自分になかった、って表現のがしっくりくるかな。
自分のなかでガチガチに固められた枠のなかだけで完結しちゃってた。

その視点で考えることが難しかった。

こうでなきゃいけない、とか、家族だから、とか、親だから、とか、そういう固定観念。
中身腐りきってたのに、家族だからと思っていたのは、誰よりも自分が家族で居たかったからだろう。

そこへの執着みたいなものもだんだんほどけてきている氣はする。
でもいまだに自分が家族を作れるのか不安になる時はある。

3.母親も毒親だったはなし


去年の冬至の日、月が蟹座だった。
蟹座は居場所やホームを表すサインで、月は母性も表す。

毎年自身の11月の誕生日を迎えると母親と日程を合わせて出かけるのだけど、このときはじめてこんなに楽しくなくて、ひとりになりたいと思ったことはなかった。
きっかけは本当に些細なことだったけど、長年の我慢の糸がプツンと切れてしまって、感じたことのない感情に自分でも処理が追い付かなかった。

もちろん前提として、我慢してきたのも自分、特に大きな反抗期もなく、なんだかんだ言い訳をして家を出る勇気もなく、30年生きてきた自分の責任なのだけど。

旅行から帰ってきて、母親とうまく接することが出来ず、口も聞かない状況。

母親に対しての自分のイライラと、当たり前にあるものに感謝の出来なくなってしまった自分への嫌悪感と、感情的になってしまいそうな自分を抑えることにとにかく必死だった。

機嫌が悪いと物に当たったり生活音が大きくなる父親を見てきたからこそ、爆発させてしまうことへの恐怖心、父の存在はストッパーだった。
反面もう大人をやりたくない自分、冷静に何故この事象が起こったかを心理学的に調べて解釈して分析してる自分も居たり。

あーもうここでどうなるかわからなくても、自分の心と感情に向き合って、行動しなければ一生このままだ、と。

言い訳ばかりの人生を送っていくのか?
自分の人生は親のものではなく、自分のものなのに?


父がそんな人で、母がたくさん苦労したこともわかっていたはずなのに、自分にとって母親もまず毒親だったと氣付くこと、そして母親もアダルトチルドレンだと氣付くこと、だけど自分のなかで悪者になってもらわないとおそらくあの時の感情は宙ぶらりんのままどこにも着地することなくいまも彷徨ってたんじゃないかと思う。

心のなかで折り合いをつけるために必要なことだった。

4.アダルトチルドレンと占星術


去年の冬至、月が蟹座だったと前述しました。
わたしのインスタグラムを見ている方たちはご存知だと思いますが、毎朝のストーリーで月の位置とサビアンシンボル、シンクロニシティカードによるリーディングを自身の感覚で行うようになりました。

月にただならぬ魅力を感じるようになったのは、月の表すものがインナーチャイルドであること、月星座の大切さ、なにに安心し、安らぎ、無意識の癖がどんなときに出るのか。

これは各天体によって表す年齢域というものが存在していて、月が0歳〜7歳という自我の形成に置いて大部分を占めるであろう役割を果たすから。

7歳までって大体小学校に入って少し経ったくらい。

産まれて一番最初に関わる社会がまず両親、家族、親戚など。
ここでなにを感じ、なにを思って生きてきたのか、これが月が心や無意識下を表す所以。

幼少期の記憶や体験はその後の人格形成に必ず影響が出てくること、これは自分のホロスコープと読み解き、向き合い、自身がいちばん痛感したことでした。

まあ、その体験を自ら選んでみんな産まれてきてるんだけどね。

アダルトチルドレンは増え、現代では実に人口の約8割がそうだとも言われています。

慢性的な不安、原因不明の寂しさ、嫉妬や妬み、内から発生する恐怖、生きづらさ、モヤモヤ。
こういう認めたくない感情や傷ほど、ホロスコープと向き合って行くことで緩和してきたように思います。

月をキロンをアスペクトを読み解き、自身の小さな頃の感情を抱きしめに行く。
わたしはこれはホロスコープを勉強し始めたからこそ出来るようになってきたことだけど、ほとんどの人はきっと蓋をしたまま、アダルトチルドレンだと自覚することもないまま、生きてる人が大半なんじゃないかなと思う。

先祖とか家族ってさ不思議なもので、やっぱりカルマとかもちゃんと存在していて、親やその前の世代で解決出来なかったことって世代間連鎖として出てきたりするんです。

わたしのそんな父親も母親もアダルトチルドレンなんだよね。
父親と母親のホロスコープも読み解き、ふたりの人間の傷を見つけたからこそでもあります。
お国柄みたいなものも関係はしてるだろうけど。
だからわたしはこれからの守りたいものたちのために、このしんどい連鎖を断ち切るために本能レベルで占星術に足を踏み入れたんじゃないかななんて思ったりしている。

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長くなったので一旦前編はここまでに。
後半、近日中に書き上げたい。ではでは。


両親が毒親だった件について(前編)


弥呼


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