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振り返りを「これならできそう」と思ってもらうために

振り返りに関して以前、経験学習を「サイクル」ではなくてインプット/プロセス/アウトプットという「フロー」で捉えてみることを書いた。

経験学習における4つの要素をインプット/プロセス/アウトプットで表すとこうなる。

インプット|具体的経験
プロセス|内省的観察&抽象的概念化
アウトプット|能動的実験

経験というインプットを、振り返り(内省と概念化)というプロセスを通じて、マイセオリーとしてアウトプットする。

(中略)

唯一、「能動的実験=マイセオリーなのか?」というところが引っかかる。なので、能動的実験を「次にマイセオリーが活かせる機会はいつだろう?」と表現している。「マイセオリーを活かす機会」を振り返りのなかで考えてもらうのだ。

インプット/プロセス/アウトプットで捉えるとさらに、振り返りの質を上げるための方法も見えてくる。

入り口であるインプット(具体的経験)の解像度を上げる、というものだ。これは「記録を取る」という一点に収斂していく。

冒頭の「振り返りって何なんだ?」という問いに、いま私はこう答えるようにしている。

「考えるんじゃなくて、記録するんだ」

記録を通して、徹底的に「知る」ことで、振り返りのほとんどは終わっている。「知る」ことをないがしろにして「考える」をしても、そこに新しいインプットは無い。結局は〈いままでの自分がいままでどうりに考えている〉状態を抜け出せない。

振り返りとは、頭を捻って「今回の原因」や「今後の改善策」を創造することじゃない。そうではなくて、当時の記録を通して、「いま」の自分が「あのとき」の自分と再会する。

「あのときの」自分とちゃんと再会できた「いま」の自分は、〈いままでの自分がいままでどうりに考えている〉のとは違う場所に立てているはず。そこから見える景色は、振り返りの目的である「新しい気づき」をもたらしてくれるんじゃないだろうか。

インプット/プロセス/アウトプットという説明は実際、現場の人にとってすごくわかりやすいようだ。説明したときの顔が明るい。振り返りを「やってみよう」と思ってもらえているのではないか、と期待している。

今回は、経験学習をサイクルではなくインプット/プロセス/アウトプットで捉えることのもう一つの利点について書いてみようと思う。

それが、経験学習における4要素がすべて、「振り返りの場でやること」としてコントローラブルになる、ということだ。


糸の切れた凧

以前から、経験学習をサイクルとして捉えることの違和感としてあったのが、最後の「能動的実験」が、振り返りの場(たとえば1on1など)では生起しなくて、野に放たれた状態に陥ってしまっている点だった。

能動的実験というのは、振り返りの場で得たマイセオリーを実際の状況に適応してみることだ。つまり、振り返りの場では、能動的実験そのものは生起しない。

振り返りを本人(たとえば、部下)と他者(たとえば、上司)の協働作業とするならば、野に放たれてしまうというということは、他者の支援が途切れて本人まかせになってしまうということを意味する。

糸を結びなおす

そういう違和感が前からあったので、経験学習をインプット/プロセス/アウトプットで捉えることを思いついたときに、《能動的実験を「次にマイセオリーが活かせる機会はいつだろう?」と表現している。「マイセオリーを活かす機会」を振り返りのなかで考えてもらう》という能動的実験の再定義をひねり出した。

振り返りの締めくくりとして、他者が本人に「じゃあ今回気づいたことを、次に試してみる場面っていつになるだろう?」と問いかけてみる。本人から「来週のミーティングの資料作るときですかね」という言葉が出てくれば、まず本人の中で「実際に資料を作るときにこれを気をつけてみよう」と転移のスイッチが入る。さらに、他者から「じゃあ次の1on1では、今回のことを気をつけながら実際に資料作ってみた感想を教えてよ」と投げかける。これはすなわち、次の1on1のテーマになる具体的経験を提示していることになる。

こうやって、「毎回の1on1」と「その合間の業務」とが一連のものとしてつながってくる。

「振り返りの場でやること」としてコントローラブルになるのは、具体的経験も一緒だ。「振り返りの場」から見たときに、具体的経験というのは所与のものとしてアンコントローラブルに映る。なぜなら具体的経験が「すでになされた後」に、振り返りの場がもたれるから。しかしここについても、以前から書いているように、「記録を取る」という行為化を通して、「具体的経験の場」と「振り返りの場」に橋を架けることができる。

「概念」を「行為」に翻訳する

経験学習をサイクルで捉えていたときは、どうにもそれが「概念」の域を抜け出なかった。

言ってることはわかるんだけど、で、何をすればいいの?という状態。

それをインプット/プロセス/アウトプットと捉え直すことで、「行為」に落とし込めた印象だ。

インプット/プロセス/アウトプットのそれぞれのタイミングにおいて、「誰が何をするのか」がはっきりする。

インプットについては、本人が記録を取っておいて、それを振り返りの場に持ち込む。ちなみにインプットについては、本人が記録を取ることに加え、振り返りの場において他者が関わることで協働的に経験の解像度を上げることもできるが、それは別の機会に書こうと思う。プロセスでは、他者からの問いかけと本人による内省を通して、マイセオリーを導き出す。ここがいわゆる「振り返り」としてイメージされている場面だと思う。そしてアウトプットでは、導き出されたマイセオリーを能動的実験に晒してみる「場」=具体的経験が生起する「場」を決める。

私が本来やりたかったこと

人と組織に関する理論(今回で言えば経験学習)を現場の人に説明したり、施策として落とし込むときには、「概念」を「行為」に翻訳することが大切だと痛感している。

「行為」に翻訳することによって、どういった時/場面(When/Where)において、誰(Who)が何をする(What/How)のかが明確になる。なぜ(Why)、それをやる必要があるかは、「概念」(と自社の状況)によって説明する。

これは自分の反省を込めてなのだが、こちらは良かれと思って「概念」を現場に持ち込む。

悲しいかなしかし、実際に起きることは、「概念」が現場の人の前に立ち塞がってしまい、現場の人の足をすくませてしまうことだったりする。現場の人の戸惑いは、こちらが(意気揚々と)「概念」の説明をしたあとの、「はあ…」「大切だということはわかったんですけど…」という反応に表れる。

現場の人の背中を押すためには(こちらがやりたかったことは本来それであったはず)、「行為」が必要なのだ。

「行為」がイメージできると、現場の人のなかに「これをやればいいんだな」「これならできそう」という前向きな思いが芽生える。現場の人の中に初速が生まれれば、現場の中に変化が起きる。(こちらがやりたかったことは本来それであったはず)

経験学習を、サイクルではなくインプット/プロセス/アウトプットで捉え直すという「経験」は、そんなことを学ばせてくれたと思っている。

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