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「難しい」と言いそうになったら

社内でロジカル・シンキング研修やメンバー育成研修を担当している。僕からの説明のあいまあいまに、受講生どうしでの振り返りの時間を設けている。

そこでの会話を聞いていると、「難しい」という感想を頻繁に耳にする。

「大切だってことはわかったけど、難しいよね」
「難しいなって、思いました」

この「難しい」が何に対してのものなのか。おそらく2つあると思っている。

1つは、説明された内容そのものについて。ロジカル・シンキングやメンバー育成についての考え方を「理解するのが難しい」というもの。

もう1つは、「言ってることはわかるんだけど、実際にやるのは難しいよね」という、現場で実践することに対する難しさ。

僕が聞いている限り、後者を指していることがほとんどだと思う。ので、今回は後者についての「難しさ」だとして話を進める。

さらにもう1つ前提の話を。講師としての僕の力量の問題が多分にあることは認識した上で、今回はそこじゃない話をしようと思う。あくまで、受講者本人の側に焦点を当てる。

なお、講師の視点から「良い研修を作るためには」を考えたシリーズ記事はこちら。

この「(実践するのは)難しい」という言葉を僕が気にするのは、それが自己成就的な言葉だから。

研修の場で「実践するのは難しい」と口にしてしまったら、おそらく現場で実践することはないんじゃないだろうか。なぜなら、研修の内容に対して「実践するのは難しい」と自らラベリングしてしまったら、現場ではそもそも、研修内容を想起すらしないだろうから。「実践するのは難しい」という言葉は、それによって自らを実践から遠ざけてしまうという点で自己成就的だし、自らの可能性を閉ざしてしまうという点で、呪いの言葉だとも思っている。

振り返りの場で「難しい」という言葉が多いとき、僕は受講者にこんな話をする。

「難しい」という言葉を「馴染みがない」と言い換えてみてはどうだろう。実践するのが難しく感じられるのは、レベルが高いからではなくて、単にやったことがないゆえに馴染みがないから、と捉える。そうすると、「とりあえずやってみる」が現実的な打ち手として浮かんでくる。馴染みがないんだから、まずは馴染んでみよう、と。うまくいくかどうかは、やってみたあとに悩めばいい。

こう伝えると、顔が明るくなる受講者は多い。自らの言葉で自らにかけていた呪いがとけるからだろうか。

実は今回、「実践するのは難しい」という言葉を取り上げたのは、「研修転移を促すうえで本人が果たす役割」について書かれたこの部分を読んだから。

ウェイバーは「研修で学んだことを実践するのは受講者個人であり、職場のマネジャーではない。いい加減、マネジャーを責めるのはやめよう」と提唱しています。
(中略)
ウェイバーと同じように、受講生個人に着目していたのが、ロバート・ハスケルでした。彼は、研究者や実務家の文献双方から抜けているのが「転移魂(Transfer spirit)」とも呼ぶべき、受講者個人の態度であると主張しています。これは、受講者個人が「研修で学んだことを、現場で実践しよう」とする意欲や意志ともいえます。そのためにも、受講者個人に「類推」する力を身につけさせ、研修で学んだことと、職場環境で似ている点を探させるよう促すことが重要であると述べています。

研修開発入門 「研修転移」の理論と実践

最後の《受講者個人に「類推」する力を身につけさせ》という部分。「実践するのは難しい」という言葉が、研修転移の文脈を超えて、個人の内省する力につながるのではと考えさせられたのが、今回この言葉を取り上げた理由だ。

何かを学んだときに、その感想として「実践するのは難しい」と口にしてしまう人というのは、その学びを咀嚼して、現実世界に適用させる力に乏しいのでは、と邪推してしまう。

仮に〈学びを咀嚼して、現実世界に適用させる力に乏しい〉とすると、その人はどんな研修を受けても、どんな本を読んでも、どんなアドバイスを受けても、得られるものが少なくなってしまう。

だから僕は、「難しい」という言葉を「馴染みがない」と言い換えることを提案して、まずはとにかく〈現実世界に適用させる〉経験をしてみることを促す。

さきほど邪推と書いたように、本心では、〈力に乏しい〉なんていう「能力」の多寡の問題ではなく、単にやったことがないという「経験」の多寡の問題だと思っているから。

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